第二十七話・浄化の炎
「あ゛あああああぁ――――ッ!!」
オロチの、見るからに「ヘビです」と言わんばかりの身を目の当たりにしたジュードは、以前地の国でパニックを起こした時と同様、真っ青になりながら叫び声を上げた。隣にいたウィルは思わず傍を離れ、状況に不似合いなほどに白い眼で彼を見遣る。
落ち着けと言おうにも、こうなってしまったジュードに言葉など届かないことは理解している。巻き込まれないように気をつけるくらいしかできることはない。
「くわははは! 私が怖いか、所詮はガキだな!」
「ヘビ、ヘビいぎゃああああぁ!!」
「むッ!?」
当然、オロチの声とて聞こえていないのだろう。笑い声を上げるオロチにも構うことなく――ジュードは渾身の力を込めて聖剣を真一文字に振るう。そのあまりの勢いと素早い攻撃に対し、オロチは目を見張り身を前に倒すことで回避した。翼はともかく、両手があることからその様はヘビと言うよりはトカゲのようだ。
だが、ジュードにとって重要なのはその下半身なのだろう。にょろにょろと、ヘビ特有の軟体さは彼の恐怖を煽るばかりだった。
クリフとジェントは半ば呆然とその様子を見守ってはいたものの、数拍の沈黙の後に説明を求めるかのように各々近場の仲間へと視線を投じる。
「おいおいおい、どうしちまったんだ坊主は……」
「そっか、クリフさんやジェントさんは知らないんだっけ……ジュードってヘビが大の苦手なんです……」
『ヘ、ヘビが……? ジュードにそんな弱点があったとは……』
それに気づいたマナは苦笑いを浮かべながら返答を向けるものの、今となってはなんとも哀れだ。
恐らく、ジュードのヘビ嫌いは幼い頃にサタンに喰われた際のトラウマだろう。サタンの中で蠢く、おぞましき無数の触手の存在が、彼の記憶には残っておらずとも身体はしっかりと覚えているのだ。
ヴァリトラが過去の記憶を見せてくれたからこそ、なぜジュードがヘビを見る度に泣き喚くのかようやく仲間も理解できるようになった。
そのため、このまま傍観しているのはやや気が引ける。マナは固く杖を握り締めた。
「援護したい、けど……でも、どうしたら……」
ジュードをなんとか助けてやりたい、そうは思うものの――そのための術がないのだ。
どのような攻撃をしても傷を負わせられず、負わせても瞬く間に癒えてしまう。そんな敵を前にどうしろと言うのか。
現在、仲間の武器はウィルとカミラ、クリフを除き火の神柱の加護を受けて形状が変化し、能力も幾分か強化されている。だというのに、オロチには効果がない。
メルディーヌの時よりも遥かに深刻な状況だ。
だが、そんな時だった。
不意に最奥にある白い台座が一際強い輝きを放ったのである。
「きゃッ!? な、なに……!?」
「祭壇が……!」
精霊が出てきてくれるのかと、マナたちは思わず期待したのだが――その予想はやや外れていた。
次の瞬間、不意にマナの頭上に強く輝く赤い光が出現したためだ。それを見てマナは思わず身を跳ねさせて警戒するように数歩後退すると、片手を額の辺りに翳しながら赤い光を見据えた。
『――仲間を助けたい、そう思ったのでしょう? ならば、これを手になさい』
「(え……だ、誰……!?)」
続いて己の頭の中に直接響いた声に、マナは慌てて周囲を見回すが――仲間以外の姿は特に見えない。けれども、なんとも耳に心地好い女性の声であった。
視界に映る赤の輝きに敵意などはまったく感じられない。それどころか、言葉にできない安心感を覚えるような、そんな光だ。
その光を掴むべく、やや恐る恐るながらマナは片手を伸ばしたのだが――それはジュードと交戦していたオロチにより阻まれてしまった。
「神器ッ! 神器だなァ、それは私がもらい受ける!」
「きゃあっ!」
ヘビを追い払うべく半狂乱になりながら聖剣を振り回してくるジュードと戦いながら、それでもオロチは光の出現を見逃さなかったのだ。大きく振られた聖剣を避ける勢いを活かし、オロチは勢いよく後方に跳ぶと斜め方向からマナに体当たりをひとつぶち当てた。
突然のことに反応もできなかったクリフとルルーナは、飛ばされた彼女の傍らに慌てて駆け寄り――ウィルとリンファは武器を構え、カミラは魔法で援護すべく詠唱を始める。
「ふはははッ! バカめ、さっさと取らぬからだ!」
「じ、神器って……あの光が? そんな……!」
「これで火の神器は私のモノ、早速この力で貴様らを屠ってくれるわ!」
カミラは神器を掴むオロチの片手を魔法で撃とうとしたのだが、それは傍らで動いた影により阻まれた。待て、とでも言うように魔法の発動を制してきたのは――つい先ほどまで意識を飛ばしていた、火の精霊サラマンダーだ。
カミラの治癒魔法で怪我こそ癒えたが、完全ではないのだろう。その顔には隠し切れない疲労が色濃く滲んでいる。
「ククッ、いい気なモンだな……ヴァリトラに造られた神器がお前なんかに扱えるかよ」
「サラマンダー! 気がついたに!」
「さっさと離した方がいいぜ、痛い想いしたくなけりゃな」
ライオットは上体を起こしたサラマンダーの膝の上に飛び乗ると、その容態を窺った。随分と手酷くやられたらしく身なりはボロボロだが、取り敢えず肉体を失うには至らなかったようだ。
だが、彼のその言葉にオロチは愉快そうに笑うと神器を掴んだ片手を掲げながらジュードに向き直った。当のジュードは未だにオロチを前に錯乱している、顔は蒼褪め、恐怖に涙さえ滲ませてオロチを見据えていた。
「ハッハッハ! なにを言うかと思えば……どれ、その神器の力、貴様で試してやろうではないか!」
「――ジュード!」
オロチの言葉にウィルとリンファは思わずジュードを見遣り、ちびは相棒を守るべく彼の前に立って低く唸った。ウィルやリンファはフォローに入ろうとはしたのだが――その矢先、オロチが手にした赤の光は神器としての形を取ることはなく、逆にその腕を燃え上がらせてしまったのだ。
紅の炎はオロチの片腕で燃え盛り、瞬く間にその全身へと広がっていく。それは先ほどマナが感じた安心感とは程遠く、まるで怒っているような、敵意がむき出しの炎であった。
「なっ、なんだとおぉ!? ぐ、ううぅッ……!」
そして眩い光を放っていた祭壇方向からは真っ赤な鳥の羽根が弓矢のようにいくつも飛翔し、炎に包まれるオロチの背中に突き刺さった。
ウィルたちが慌ててそちらに視線を投じると、光に包まれる祭壇には真紅の髪を持つ一人の女性の姿。しかし、その身は人型ではあるものの――彼女の両手は鳥の羽根ような形をしており、白い肩から手先にかけてグラデーションのように赤へと変わっている。
つい今し方の羽根を投げつけたのは彼女で間違いないだろう。
「――だからサラマンダーが言ったでしょう? 痛い想いをしたくなければ離せ、と。私はそなたにそれを託した覚えはないのですから」
「あ、あれが、フラムベルク……?」
ルルーナに助け起こされながら、マナは祭壇に現れた女性を見つめて双眸を瞬かせる。綺麗だと、純粋にそう思った。
彼女の風貌がではない、彼女が纏う――人の形をしながらも鳥と融合したようなその姿が、だ。小さな光の粒子を纏いながら微笑んでみせる様が、彼女の目にはとても美しく映った。
『……違う、フラムベルクではない。彼女が火の神柱――フィニクスだ』
「マスターさんがあまりにも騒ぐものですから、つい出てきてしまいました。しかし、私の寝所を荒らすとはよい度胸をしておりますね」
「ひ、火の神柱……!? あの人が……?」
彼女の姿を見てマナたちは目を見張り、イスキアとトールはそれぞれ個々に分離すると――イスキアは早々に最後方へと下がる。風の大精霊である彼にとって、火の神柱は天敵のようなものだ。少しでも熱から遠ざかりたいのだろう。
オロチはフィニクスの姿を認めて神器を地面に叩きつけると、息を乱しながら彼女を睨み据える。ヘビに睨まれた蛙――のようには、まったくと言っていいほどにならなかった。しかし、その目はすぐに見開かれ、オロチは慌てたように己の身体を見下ろす。
――傷が、その身に負った火傷がひとつも癒えていかないのだ。
「私の炎は破壊ではなく浄化――そなたの身を守っていた負の感情は我が炎により浄化されます。ゆえにいくら大量の負の感情を注ぎ込もうと、魔心臓の効果など私の前では無力」
「浄化、だと……!?」
「神器の暴走で息絶えなかったことだけは褒めてあげましょう。ですが、これでそなたの身を守るものはなにもありませんね」
オロチの身を守るものはなにもない――フィニクスのその言葉に、マナは静かに立ち上がると改めて杖を両手で握り締める。すると形状を変化させた彼女の武器は、その意志に応えるかのように光り輝いた。
ウィルとリンファは再び武器を構え、クリフはマナとルルーナの前に陣取る。カミラは未だ本調子とは言えないサラマンダーを守るべく彼の斜め前に立ち、ジュードの方へと視線を投じた。
ジュードは――戦えるかどうかは定かではない。オロチが炎に包まれたことで危険を察知したのか理性は戻りつつあるようだが、結局はヘビなのだから。
しかし、驚異的な再生能力がなくなったのなら――ジュード抜きでも充分に戦えるはずだ。忌々しそうに唸るオロチを見据えて、ウィルとリンファはほぼ同時に飛び出した。




