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第二十四話・魔心臓の変化


 イヴリースは自分に飛びかかってくるジュードたちを見据え、忌々しそうに舌を打つ。一旦後方に飛び退くことで距離を取るものの、ジュードの反射神経は尋常なものではない。イヴリースの咄嗟の行動に着地を果たすと共にその地を蹴り、滑るような勢いで追撃に出る。

 半ば突進のような動きに、イヴリースの表情は煩わしさに歪んだ。そのまま殴りつけてやろうと拳を握り、勢いよく突き出したのだが、その一撃は彼の身を捉えることは叶わなかった。


「なにッ!?」

「(見える――!)」


 更にジュードは素早く大地を蹴ると、彼女の真横へと回り込む。

 イヴリースは咄嗟に彼の動きを目で追うものの――やはり、反応はやや遅れる。目で追うことはできても、身体の反応がそれについてこれるとは限らないのだ。

 ジュードはそんな彼女を見据え、利き手に携える聖剣を躊躇なく振るった。


「う……ッぐううぅ!」


 聖剣の刃は彼女の肩に食い込み、イヴリースは苦しげな呻きを洩らす。彼女は火属性を強く持つ存在であるとはいえ、魔族だ。光の加護を強く受ける聖剣は彼女の身に深い苦痛を与えるもの。

 更に頭上からはリンファが飛びかかり、問答無用に彼女に短刀の刃を振り下ろす。イヴリースはそれを確認すると身を翻してジュードの腹に一発蹴りを叩き込もうとするが、それよりも先にジュードが身を引いた。


「このッ!」

「無駄だ!」


 攻撃こそ外れたものの、ジュードが身を引いたことで聖剣も彼女の身から離れた。その隙を見逃さずイヴリースは改めて後方へひとつ跳んでリンファの攻撃を避けたのだが――その刹那、今度は真後ろから彼女の腕を一本の槍が貫いたのである。

 何事だと見てみれば、そこにいたのは神器を構えるウィルの姿。いくら属性相性が悪くとも、神が造った神器が単純に属性負けなどするはずがない。ゲイボルグは確かにイヴリースの身に傷を刻んだ。


「忌々しい蟲どもめ……ッ! この私を、ナメるなあぁッ!」

「うわわわっ!」


 イヴリースは己の身に刻まれる傷に奥歯を噛み締めると両手の拳を固く握り締め、全身に力を込める。

 すると彼女の鳩尾に鎮座する魔心臓が一際強く不気味な光を纏い、どす黒い靄がイヴリースの全身から噴出した。

 それは紛れもない、彼女の身に巣食う負の感情だ。リンファは己の身に纏わりつく靄に表情を歪ませると、重くなる全身に悔しそうに歯噛みする。


 その隙を、イヴリースは見逃さなかった。口角を引き上げてリンファに飛びかかると、その顔面をぶん殴ってやろうと拳に炎を纏わせる。

 けれども、この場は当然――リンファ一人ではない。

 ウィルはそんなイヴリースの真横に回り込むと、両手で持つ槍を彼女目がけて振り下ろした。躊躇もなにもない渾身の一撃だ。


「な……ッんだと!? こいつ……っ!」

「アンタのアドバイス通り、得物に遊ばれない程度にはなったさ!」


 ウィルが振り下ろした槍は、イヴリースが踏みとどまったことで直撃こそしなかったが――その切っ先は叩きつけられた地面を深く抉り、大きな亀裂を走らせた。それと同時に抉れた大地の破片がイヴリースだけではなく、ウィルの身にも襲いかかる。

 大きく見開かれた双眸に破片が入ったか、イヴリースは忌々しげに唸りながら思わず片腕で目元を擦るが――ジュードは目を伏せて、ひと呼吸。聖剣の切っ先に全神経を集中させると、思い切り振り抜く。


「いっけえええぇ!!」

「く……ッ! 調子に……乗るなよ!!」


 聖剣と閃光の衝撃(フラッシュインパクト)をかけ合わせた一撃だ、喰らえば恐らくイヴリースとてただでは済まない。ただならぬ気配に彼女は真横に大きく跳ぶことで襲いかかる衝撃波を避けることはできたものの、間一髪だった。

 つい今の今まで彼女が立っていた直線状、衝撃波がぶち当たっただろう壁は――数メートル先までが深く削られていたのだ。下手をすれば、この空間が崩落してもおかしくはない。

 イヴリースはそれを見て、思わず顔から血の気が引いていくのを感じた。


「な……なんだと、どうやってこれほどの力を……!?」

「――まだよッ! バニッシュボム!!」


 ジュードが放った衝撃波のあまりの威力に状況も忘れて見入っていたイヴリースだったが、そんな彼女を現実に引き戻したのはマナが放った火魔法だった。

 腹部に熱が集束する感覚に強制的に意識が引き戻されると、その刹那――マナが放った火の魔力は彼女の腹部で盛大に爆ぜた。いくらイヴリースが火属性を強く持っていようと、彼女は精霊の類ではない。サラマンダーのように無効化は難しい。


 すぐ傍で爆ぜる魔力にイヴリースの身は吹き飛ばされ、硬い岩壁へと叩きつけられるが、ただで転ぶ彼女ではない。利き手の五指に炎を纏わせると、カウンター気味に後方のマナへと勢いよく放ったのだ。


「やらせないわよ! クリフさん!」

「おう、任せろってんだ!」

「レディをちゃんと守ってよね、マジックバリア!」


 それを見たルルーナは双眸を細めると、己やマナの前に立ちはだかるクリフの背に一声向ける。そして彼の身に魔法への抵抗力を一時的に上昇させる補助魔法を施した。

 クリフは己の身が淡い黄色の輝きで包まれるのを確認すると、形状が変化した大盾を左腕に携えて目の前へと突き出す。その盾はこれまで彼が扱っていたものと異なり、非常に大きい。こうして前に突き出して身を屈めれば全身が隠れてしまうほどの大きさだ。


 イヴリースが放った火炎弾はクリフが構える盾に直撃し――完全な守りにこそならなかったが、後衛のマナやルルーナにはダメージを与えることさえ叶わなかった。

 それを見てジュードが聖剣を掲げると、彼の想いに呼応するかのように聖剣の刃が眩い閃光を放つ。

 すると、イヴリースから放たれるどす黒い靄は完全に消し飛んでしまったのだ。


「(こ、こいつら、一体……!? 少し前とは別人のようではないか! このままでは……!)」


 王都に攻め入った時、ジュードやウィルではアグレアスの動きについてくることさえ難しかったはずだ。

 だというのに、今の彼らは的確にイヴリースの動きを読み、あまつさえ攻撃まで叩き込んでくる。この短い期間に一体なにをしたというのか。

 このままでは、下手をすれば負ける。

 だが「敗北」の二文字が彼女の脳裏を過ぎった時、不意に強い眩暈を感じた。


「……っ、なん、だ……?」


 それと同時に「どくん」と、なにかが蠢くような大きな鼓動も。

 けれども、これはイヴリース自身の心臓の動きではない。なぜって、それを感じたのは彼女の胸ではなく――鳩尾の部分だったからだ。


 そして次の瞬間、彼女の鳩尾に鎮座する魔心臓から爬虫類のような手が突き出したのである。それには当然ジュードたちも驚いたように目を見開いて、様子を窺った。


「ジェ、ジェントさん、あれは……!?」

『なんだ、あれは……メルディーヌの奴、一体なにをした……!?』


 ジュードは思わず傍らに佇むジェントに答えを求めはしたのだが、どうやら魔族のことをよく知る彼も知り得ない現象のようだ。

 彼が勇者として戦っていたのは四千年前、メルディーヌがその間に成長していないはずがない。彼の知らない技術を手に入れていても、なにもおかしいことはなかった。


 イヴリースは己の鳩尾から生える不気味な手に瞠目しながら、肉体を内側から突き破られるような激痛に苦悶の表情を滲ませる。

 けれども、その間にも魔心臓からは更にもう一本の腕と――イヴリースの背中からは肉と皮膚を突き破って四枚の翼が生えた。


「な、んだよ、あれ……!?」

「さぁ、ね……トール、わかる?」

「わ、わかりませんようぅ、あんな気持ち悪いの見たことないですうぅ!」


 ウィルが洩らした疑問に、カミラの傍らに佇むイスキアは冷や汗を垂らしながらひとつ呟く。その言葉からわかるのは、これが精霊たちにも知らぬ未知の現象ということだけだ。

 イヴリースの腕や首、顔に至るまで――彼女の全身には不自然なほどに血管がくっきりと浮かび上がり、白目を漆黒に染め上げ、双眸は血のような真紅に変貌していた。

 彼女自身の意識があるのかどうかは――既にわからない。


『……! なにか来る、散れ!!』


 次の瞬間、イヴリースの全身が不気味な光に包まれるのと同時に、大気が震えるのを感じ取ったジェントは不意に声を上げたのだが――それは間に合わなかった。

 ジェントが声を上げた刹那、イヴリースが両手を大きく広げると彼女の身を中心に空間一帯が灼熱の業火に包まれたのだ。叩きつけられるような炎と熱、それに衝撃が加わり、彼らの身は容赦なく吹き飛ばされてしまった。


「ぐ、あ……あはは、ッあははは!!」


 イヴリースは――否、イヴリースだったもの(・・・・・・・・・・)はゴミ屑のように吹き飛んだ彼らを見て、愉快そうに腹の底から笑い声を上げる。その口から洩れる声は、既に彼女のものではない。地を這うような、ひどく野太い声であった。

 だが、そんな笑い声もすぐに喉の奥へと沈んでいく。灼熱の炎に包まれる辺り一帯、その中に人影を見つけたからだ。


「……ほおぉ……」

「あっつ……! この、野郎……ッ!」


 ジュードだ。両手を己の顔の前で交差させ、なんとかその場に踏みとどまったのである。

 その身は火の神柱(しんちゅう)の加護を受けているとは言え、ボロボロだ。衣服の袖や裾などは燃え尽きてしまっている。


「(みんなはどうした、無事なのか……!?)」


 辺りは紅蓮の炎に包まれていて、視界が満足に利かない。こんな中では流石のジュードの目でも、仲間の安否までは確認できなかった。

 イヴリースの形をした何者かは、そんなジュードを見て不気味に笑うと薄く口を開ける。

 そして、彼女は大きく息を吸い込み――次の瞬間、その口から真っ赤な炎を吐き出したのだ。



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