第二十二話・火の神殿奥地へ
古びた神殿内部は、薄暗かった。通路の両脇に燭台はあるのだが、ロウソクの類は設置されておらず形ばかりのもの。
内部はほんのりとカビ臭く、忘れ去られた場所といったような印象を受ける。時折顔にクモの巣がかかり、その度にマナやルルーナが悲鳴を上げていた。
だが、それでもほのかな明るさがあるのは――神殿の一番奥、祭壇で煌々と燃える炎の影響だ。
祭壇の台座に置かれた金色の杯の中、そこにはひっそりと揺らめく炎がひとつ。なにが燃えているのかはわからないが、その炎が真っ暗な神殿内に柔らかな明かりを与えてくれている。
ジュードは不思議そうに瞬くと、その炎へと歩み寄った。中を覗き込んでみても火が点くようなものは見えない。まるで杯から炎が溢れているような、そんな感覚だ。
「この火は……?」
『番人のようなものだ、この奥に進む資格がある者かどうかをその炎が判別している』
「番人? ――って、わわわッ!?」
ジェントの言葉にジュードは依然として疑問符を浮かべたまま首を捻ったが、その刹那。不意に杯の中で燃えていた炎が一層勢いを増し、強く、そして赤く燃え上がる。
ウィルたちは思わず身構えたのだが、襲ってくるような気配はない。
代わりに祭壇の奥の壁が、重厚な物音を立ててゆっくりと横へスライドした。その奥に見えるのは石造りの階段だ、先へと言うよりは下へ続いている。
「ち、地下なの?」
「ええ、そうよ。精霊たちの住処は固有属性が特に影響を受けるものなの、ウィルちゃんはアタシと同じ風属性だから特に気をつけてね」
「は、はい。じゃあマナなら……」
「そうねぇ、同じ火属性を持つマナちゃんなら能力が強化されるし、水属性を持つリンファちゃんなら余裕なはずよ」
イスキアの言葉にウィルは何度か小さく頷いて、頭の中に情報を叩き込んだ。
マナは火、リンファは水、ルルーナは地で、ウィルは風。それは以前ライオットにも教えてもらったことだ。そこでウィルはクリフやカミラ、そしてジュードに目を向ける。
すると、彼が疑問を抱くことはわかっていたのか、ライオットがイスキアの代わりに答えてくれた。
「ちなみにクリフは雷で、マスターとカミラは光だに」
「え、オレも光なの?」
「そうだに、でもマスターはテルメースの血のせいか氷の適性も高いみたいだに」
「ああ、なんかわかる気がする……」
ライオットの言葉に、ジュードは納得するように何度か小さく頷く。
アメリアに協力要請を受ける前は、護身用の短剣に氷の魔力を込めた鉱石をつけて使っていた。属性は色々とあるが、中でも氷属性がジュードにとっては一番使いやすかったのだ。
それもテルメースの――母の血の影響なのだと思えば妙に納得できた。
ともあれ、固有属性が光であるのならばウィルほど気をつけなくても大丈夫だろう。
『……? ……ジュード!』
「え?」
とにかく先に進まなければと、ジュードたちはそう思い現れた階段に足を向けようとはしたのだが――その時、不意にジェントが声を上げた。
どうしたんだろうとジュードは足を止めて彼を振り返るものの、そんな彼の視界の片隅をなにか大きめの影が素早く横切ったのである。
「きゃあぁっ!?」
「な、なんだ!?」
その影は、ジュードたちの頭上をすり抜けて階段の方へと飛び込んだ。
何事だとそちらを改めて振り返った先――すると、そこにはえんじ色の髪を持つ一人の女性が立っていた。鳩尾の辺りには赤黒い不気味な塊が鎮座している。
その正体は、アルシエル直属の部下であるイヴリースだった。
「ふふっ、アルシエル様の仰られた通りだ。貴様らは必ず神器を求めるだろうとね」
「イヴリース……!」
「だが、思い通りにはさせないよ、神器は我々が戴く。それが不可能であれば神柱を殺すまで――!」
「な……っ!」
イヴリースはそう告げると共に、両手を固く握り締める。すると、彼女の拳は紅蓮の炎に包まれた。
そのまま「ニィ……」と口角を引き上げて笑みを浮かばせる様を見て、ジュードは腰裏から短剣を引き抜く。けれども、彼の予想は大きく外れていた。
ジュードは、てっきりこのまま襲ってくるものだとばかり思っていたのだ。
しかし、次の彼女の行動は攻撃ではなかった。
イヴリースは両手を上に向けると、その手を包む炎を問答無用に天井へぶち当てたのである。
「きゃああぁッ!」
「あっははは! 貴様らはここまでだ、のんびり穴でも掘って追ってきな! 到着する頃には全て終わっているだろうがね!」
「あいつ……ッ! 待て!!」
イヴリースの火炎弾を受けた天井やその周辺の壁は古びた建造物ということもあってか、瞬く間に崩落してきた。先頭にいたジュードは後方に跳ぶことで巻き込まれることだけは避けられたが――高笑いを上げるイヴリースは、崩れてきた瓦礫の奥。
地下へと通じる階段までの道は、その瓦礫で完全に塞がれてしまっていた。
まだ向こうにいるだろうイヴリースへ向けてジュードは咄嗟に声を向けたが「待て」と言って待ってくれる敵などいるわけがない。
程なくして、イヴリースの笑い声が遠のいていくのが聞こえた。奥に通じる階段を駆け下りて行ったのだろう。ジュードは眼前に立ち塞がる瓦礫の山に拳を叩きつけると、悔しそうに歯噛みした。
建物全体が崩れるということはなかったようだが、肝心の入り口が塞がれてしまっては進みようがない。マナは困ったような表情を浮かべながら口を開いた。
「イヴリースの奴、薄暗いのをいいことに隠れてたのね……どうするの? 早くしないと精霊が……」
『ノーム、その瓦礫の山……破壊しても大丈夫か調べてくれ』
「了解ナマァ!」
ノームは短い片手をピンと伸ばして瓦礫に駆け寄ると、その山と密着する地面とを交互に眺める。そして次に両脇にある壁を確認するように見つめ始めた。
これでもノームは地の上級精霊だ、どこを攻撃すればどこが壊れるか――それを見分ける優秀な眼を持っている。
しかし、対する瓦礫の山は大きい。すぐ傍に立つジュードの何倍あることか。ルルーナは小さく頭を左右に振り、困惑した様子でジェントを見遣った。
「破壊って、どうするの? マナの魔法は使い手と同じでガサツだから難しいわよ」
「あんたねぇ! こんな時に!」
『壊すのはジュードの役目だ。……できるな、ジュード』
マナのバニッシュボムで破壊するにしても、どれだけ時間と労力が必要になることか。ここで精神力を使い果たしてしまう可能性もある。
けれども、ジェントは緩やかに頭を左右に振ると、瓦礫の山を前に困り顔のジュードに視線を向けた。すると、当のジュードは自分に白羽の矢が立つとは思っていなかったのか、不意に声がかかったことに目をまん丸くさせて何度か瞬きを繰り返す。
「え……オ、オレがやるんですか?」
『教えたばかりだろう?』
「あ……! そ、そうか、わかりました!」
ジェントがなにを言いたいのか、そこでようやく理解したジュードは己の片耳に鎮座するイヤーカフに片手を触れさせて、聖剣を顕現させた。
それを見てウィルやカミラたちは不思議そうにするばかりであったが、イスキアは嫌な予感を覚えたらしく目を細めて眉を寄せる。
「あなた、まさか……あれ、教えたの?」
『魔族との戦いには必要になる。ジュードは呑み込みが早かったぞ、シヴァが基本を教えたお陰だろうな』
至極当然とばかりに返る返答に、イスキアは呆れ果てたように深い溜息を吐いて片手で己の目元を覆った。
ジュードは瓦礫の山から離れると、手にしていた杯を台座の上に置き直してから、両手で聖剣を握り込む。
「坊主、どうするんだ?」
「ええと……こ、壊す、かな。ノーム、大丈夫そうか?」
「大丈夫ナマァ、でも周りはちょっと不安定だから叩くなら中央部分をお願いするナマァ!」
ノームはそう返答を向けると、跳びはねてジュードの傍まで戻ってくる。彼がなにをしようとしているのか、大体は察しているのだろう。
ジュードは聖剣を構えると、静かに目を伏せた。今のジュードは誰とも交信などしていないし、呪いのせいでできない身だ。当然、魔法を扱えるはずもない。
どうするのだろうか、と。ウィルたちはそう思って心配そうに見守っていたのだが、次の瞬間――
「はあああぁッ!!」
ジュードは吼えるように声を上げると、両手で握り込む聖剣を振りかざし――渾身の力を込めて勢いよく振り下ろした。
彼の立っている場所と目的とする瓦礫の山の間には三メートル以上の距離がある、当然ながら刃が届くはずもない。
しかし、ジュードが振り下ろした聖剣の刃からは真っ白い閃光が迸り――地面を抉るように、瓦礫へ向けて巨大な衝撃波が飛んだのである。
聖剣から放たれた衝撃波は見事に瓦礫を打ち、その刹那、大きく爆ぜた。
ノームは真ん中を狙えと言っていたが、衝撃波があまりにも大きすぎて真ん中もなにもあったものではない。瓦礫そのものが吹き飛び、砕けた破片が辺りに強く叩きつけられた。
ジュードが放ったそれは瓦礫だけではなく、その山を直撃して破壊したあとは最奥の壁さえもぶち破ったらしい。すっかり風通しがよくなってしまった奥地には、外の景色が見える。
それを見てウィルもマナも、無論他の仲間たちもあんぐりと口を開けたまま絶句していた。
「ジュ、ジュード……なに、今の……」
「閃光の衝撃の別の使い方! ジェントさんに教えてもらったんだ!」
マナは辛うじてそれだけを口から絞り出すことはできたが、ジュードは目を輝かせてなにやら興奮した様子だ。勇者に直に教えてもらった、それが嬉しいのだろう。
「……聖剣とフラッシュインパクトをかけ合わせたってことか? ヴァリトラや四神柱と交信して今のやったらどうなっちまうんだよ……」
「考えるのはやめときましょ、自信なくなるわ……」
「ジュードすごい!」
「……」
ウィルやマナ、それに他の仲間たちは思わず頭を抱えたが、カミラは頬をほんのりと赤らめて純粋な称賛を送っていた。
ともかく道を塞いでいた瓦礫はなんとかできた、今は先に潜ったイヴリースを撃退して大精霊に会うのがなによりも大事なこと。
先んじて駆け出したジュードに先頭を任せ、全員で神殿へ続く階段を駆け下りていった。




