第二十話・迫りくる脅威
ルルーナの誕生日から既に五日。
今日も今日とて、ジュードは精神空間でジェントと特訓をしていた。
現在は朝の五時、他の仲間はまだ眠っている時間帯だ。
けれどもジュードはここ最近、いつも決まって朝早く起床してはこうしてジェントに訓練をつけてもらっていた。
どれだけ疲れていようと、この時間には目が覚めてしまうのだ。
それだけではなく、早く身体を動かしたくて仕方がない衝動に駆られている。クタクタになって眠りについても、翌日にはその疲労は残っておらず、飛び起きてはジェントと訓練という日々が続いていた。
幼い頃から憧れてきた伝説の勇者が稽古をつけてくれる――その事実は疲労にも勝るらしい。
「はああぁッ!」
果敢に立ち向かってくるジュードに対し、ジェントはふっと薄く笑うと双眸を細める。ジュードは非常にすばしっこい、聖剣の効果でその能力が上昇しているのに加え、連日の訓練で彼のその長所はぐんぐん伸びていた。
流石のジェントでも、その動きを追うには神経を使う。
それでも、依然として彼の身に一撃を叩き込むことは難しいのだが。
細めた双眸でジュードの挙動を読み、ジェントは流れるような動作で叩き込まれる連撃を避けようと片足に力を込める。
――だが、それは叶わなかった。
『……ッ!?』
「……! ジェントさん!?」
ジュードは今まさに聖剣を振り回そうとしていたのだが、標的としたジェント本人が不意に胸の辺りを押さえてうずくまってしまったのである。これが作戦――などとは思わない、そのような油断を狙わずとも彼の実力はジュードよりも遥かに上なのだから。
どうしたのかと、ジュードは彼の傍らに駆け寄るとその場に片膝をついた。このような様子は初めてだ、彼の胸には心配ばかりが浮かぶ。
「だ、大丈夫ですか!? さ、最近ずっと訓練に付き合ってもらってたから……!」
『ち、がう……そうじゃ、ない……っこれは……ガイアスか……』
「え……?」
小刻みに震える肩と寄った眉が、その苦痛が並大抵のものではないことを教えてくれる。
連日訓練に付き合わせてしまったせいで疲れさせたのだと、ジュードは一度こそそう思ったのだが――ジェントの口から紡がれた言葉に、そうではなかったことを知る。
ガイアス――それは地の神柱の名だ。そのガイアスがどうしたのだろうかと、ジュードは次の言葉を待った。
すると、ジェントは小さく一息洩らすと静かに立ち上がりジュードを見下ろす。その表情は多少なりとも苦しそうだ。
『……まだ早いかとは思っていたが、ジュード。君に教えたいものがある』
「で、でも……ジェントさん、大丈夫なんですか? それにガイアスって……」
彼の具合は大丈夫なのか、なにかあったのだろうか。ジュードの中に湧くのはそんな疑問だ。
ジェントはそんな彼を暫し無言で見下ろしていたものの、やがて脇に下げた手を固く握り締めた。
『……サタンが動き出したようだ。大地に自らの一部を突き刺し、地中から世界中に襲いかかろうとしている』
「え……そ、それじゃあ……!」
『外から入れないため地中から攻める気だろう、ヴァリトラの結界も大地の中までは守れない。ガイアスが……大地を深く抉られる痛みに苦しんでいる』
返る言葉にジュードは思わず息を呑んだ。
各地の街や村にはヴァリトラが魔族の侵入を阻む結界を張ってくれた。そのため、多くの人間たちは救われているはずなのだ。
だというのに、サタンは今度は地中から人間たちに迫ろうとしている。今後はどこにいても決して安泰ではないということだ。大地の中からいつサタンが襲撃してくることか。
そこまで考えて、ジュードは固く口唇を噛み締めて視線を下げた。もう残された時間は決して多くない。
『……だからジュード、君に技を――閃光の衝撃の別の使い方を教える。基本はシヴァから教わっているだろう、完全にモノにするまで少し時間はかかるだろうが……君なら使えるさ』
「は、はい!」
『(……だが、気になるのは……)』
ジュードはジェントの言葉に一度だけしっかり頷くと、それ以上口やかましく止めようとはしなかった。代わりに、彼のその期待に少しでも応えようと屈んでいたそこから静かに立ち上がる。そんなジュードを見て、ジェントも薄く表情に笑みを乗せた。
しかし、その視線は彼の手にある聖剣へと落ちる。言葉にこそ出さないが、ひとつの引っかかりを感じていたのだ。
聖剣の能力、ジュード自身が持つ力や長所。その二つを合わせてジェントの中に芽生えた疑問、それは――
『(ジュードの身体能力は常人よりも遥かに優れている。それらは聖剣の効果で更に上昇しているはずだが……それでなぜ、俺に一撃も入れられないというんだ……?)』
かつて聖剣を手にしていたからこそ、ジェントにはその力がよくわかっている。
そのため、聖剣により強化されているはずのジュードが己の身に攻撃を叩き込めないことが不思議だったのだ。ジェントの戦闘能力は確かに異常なまでに高い、それでも元から高い身体能力を有するジュードが聖剣を持っても互角にさえならないというのは、なにかがおかしい。
ジュードの能力は確かに強化されている、だが――完全ではないような、そんな気がしていた。
* * *
「では、一刻も早く神器を集める必要があるということか……」
ジュードは精神空間を飛び出して仲間を叩き起こし、そして王城へと足を向かわせていた。事情を聞いた仲間の表情はいずれも真剣そのものだ。
そして彼らから話を聞いた女王アメリアは、やや沈んだ面持ちで呟く。これからは世界中のどこにいてもサタンに襲われる可能性がある、それを考えているのだろう。どうすれば民を守れるか、と。
「はい、だからオレたちはまずサラマンダーが言ってたらしい火の神殿に向かうつもりです」
「火の神器のためだな? そのあとは?」
「それが終わったら、次は地の神器よね。水の神器は今は手に入らないし……」
この王都ガルディオンから一番近いのは、同じ国内にある火の神殿だ。どれほどの距離があるかは定かではないものの、取り敢えず近場から済ませる方がいいだろう。
火と地の神器を手に入れたあとは――どうすればよいかはわからないが。
氷の大精霊であるシヴァがいない以上、水の神柱オンディーヌは誕生しない。そして水の神器はそのオンディーヌが持っているのだ。
どうひっくり返っても、水の神器を手に入れることはできない。
「……とにかく、今はまず二つの神器を手に入れることが重要という訳だな。わかった、メンフィス――グラム殿、二人は?」
「ううむ、できることなら共に行きたいのですがね。ヴァリトラから少しばかり仕事を頼まれましたんで、今回は都に残ろうかと」
「ほう、仕事だと? 貴様、ケガはどうした?」
「ふっ、カミラちゃんのケリュケイオンで治療してもらって随分とよくなった。これならば問題はない」
「がっはっは! 久方ぶりすぎてなまくらを造ってくれるなよ!」
グラムとメンフィスのやり取りを聞いて嬉々を滲ませたのはジュードやウィル、マナの三人だ。
グラムは彼らにとって父親そのもの、その彼のケガがもう問題ないところまで回復したというのは、これ以上ない朗報だった。
「ほ、本当? 父さん、もう大丈夫なの!?」
「うむ、お前たちにも随分と心配をかけたな。もう問題はない、だから安心して行ってこい」
「でもおじさま、ヴァリトラに仕事を頼まれたって……?」
「ああ、まぁ……お前たちが地の国から戻るまでには片付けておくさ」
マナは不思議そうにしていたが、グラムはヴァリトラから頼まれたという仕事内容は告げずぼかして答えた。視線を横に流して大きな手でがしがしと横髪をかき乱す様は、なんとなく返答に困っているようにも見える。あまり追及されたくないのだろう。
それを理解したジュードは、問い質すことをやめて仲間たちを振り返った。
「それじゃ、早速行こう。火の神殿ではサラマンダーが待ってるだろうから、油断はできないしさ」
「はい、そうですね」
ジュードの言葉に頷きを返したのはリンファだ。
ジェントとの特訓でなにか成長があったのかどうかはわからぬものの、今度こそ認めさせると――誰より気合が入っているのも彼女だった。
「では陛下、私も坊主たちと一緒に行きます」
「うむ。彼らを頼んだぞ、クリフ」
メンフィスの傍らに控えていたクリフは話が纏まったのを確認すると、アメリアにひとつ頭を下げる。それを見て彼女は薄く微笑んで静かに頷いた。




