第十九話・生きる糧
翌日、遅く起きたルルーナは痛む頭を押さえながらメンフィス邸のテラスに足を運んでいた。
目的は――聖剣の封印が解けたことで誰でも姿を視認することのできるようになった、あの亡霊だ。
ジェントはテラスに佇み、庭を見下ろしていた。そこは未だ片付けが成されておらず、燃えた草木があちらこちらに散らばっている。
「勇者様、ハッキリ言ってほしいことがあるの」
『……?』
「魔族との戦いで、私にできることって……なにかあるのかしら」
不意にかかった問いに、ジェントはルルーナに身体ごと向き直り、緩やかに小首を捻る。
しかし、常とは異なりどこまでも真っ直ぐな彼女の双眸と表情を見れば、暫しジェントは黙り込んだ。
――聖剣、神器、竜の神に勇者。
これまで普通に生活していれば、そのどれにも触れることはなかっただろう。
だが、それらが突如として目の前に現れたのだ。それだけではなく、それらと共に今後は魔族とも戦うことになる。
ルルーナは不安や心配を抱いているのだろうと、ジェントはそう思った。彼女はこれまで、貴族令嬢として生きてきたのだから当然とも言える。
『……自分にできることがなにもないと?』
「だって、そうでしょ? 私はジュードたちみたいに運動神経がいいワケじゃない、カミラちゃんみたいに強力な治癒魔法も使えないし、癪だけどマナのような攻撃魔法の才能だってない、クリフさんのような頑丈な守りの技も、ね」
そんな自分が、魔族との戦いで一体なんの役に立てるというのか。
ルルーナはそう言いたいのだろう。普段は自信に満ち溢れている彼女の風貌は、やや気落ちしているようにジェントには見えた。
『……隣の芝生は青く見えるとよく言うが、今の君はまさにそれだろうな』
「……どういうこと?」
『君には補助魔法があるだろう、今後の戦いの要になると思っているんだが』
「え……」
至極当然とでも言うような返答に、ルルーナは思わず双眸を丸くさせた。なんとはなしに己の片手を見下ろすと、ジェントはそんな彼女を見遣りながら改めて庭に向き直る。
屋敷の出入り口は賑やかだ、先ほどからジュードやマナが慌ただしく出たり入ったりを繰り返していた。その騒がしい様子を見守りながら、彼の表情はふと和らぐ。
『……ルルーナ、言葉が悪かったな。俺は君たちを鍛えると言ったが、個人個人が単独で魔族を撃破できるようになれと言ったつもりはない。長所を伸ばしていけばいい、足りない部分は仲間が補ってくれる』
「長所……」
『……と、偉そうなことを言っても俺にできるのは前列組を鍛えるくらいなんだがな。俺は魔法に関してはからっきしだ』
「あ……」
その言葉にルルーナが思い出したのは、以前イスキアが話してくれたことだ。
この亡霊が人として生きていた時代といえば、魔法を扱える者は異端扱いだったのだ。彼のその言葉から察するに、ジェントは魔法を扱える能力者ではなかったのだろう。
確か、彼は普通の人間と魔法能力者の混血であると聞いた。その時代に於いて混血がどのような位置づけであったかはわからないが、悪魔と呼ばれた過去を持つことから決して安泰な立場ではなかったはずだ。
そんな彼がどのように勇者となったのか興味はあるが、聞いてはいけないような――そんな気がしていた。第一、聞いたところで教えてくれないだろう。精霊たちとの間になにがあったのかも話したがらないのだから。
と、そこまで考えたところで不意に当のジェントが肩越しに振り返った。そして庭を指し示しながら、どこか困ったように笑う。
『そろそろ降りた方がいい、ジュードたちが探している』
「わ、私を?」
『ああ、君の誕生パーティーをやると朝から騒ぎ回っていたが』
「な……っ! あ、あの男、話したわね!?」
慣れないアルコールを摂取したせいで、今日ルルーナが起きたのは随分と遅い時間だった。恐らく彼女が起きるまでの間にクリフから話を聞いたのだろう。
ジェントの思わぬ返答にルルーナはカッと顔を真っ赤に染め上げると、憤慨した様子で早々に踵を返し階下へと降りていく。そんな彼女の姿をジェントはやや呆然を見送っていた。
* * *
「あ、いたいた! もうルルーナ! なんで言わないのよ!」
「そうだよ、お陰でロクに準備できなかったじゃないか」
「なんで文句言われなきゃならないのよ、わざわざ言うなんて図々しいだけじゃない」
一階まで降りていくと、ちょうどルルーナを探してドタバタと走り回っていたと思われるジュードとマナに遭遇した。テラスにいた時はわからなかったが、屋敷の中にはなんとも食欲をそそる香りが漂っている。
食堂からはジュードの中から抜け出たと思われるちびが、嬉しそうに口を開けて待っていた。聖獣に転生したというのに、ご馳走は食べるつもりらしい。
ルルーナは眉を寄せると呑気に誕生パーティなるものを開催しようとしている二人に向き直り、複雑な表情を浮かべながら改めて口を開いた。
「大体、そんなことしてる場合? 今はもっと力をつけて――!」
「はっはっは、こんな状況だからだよ、ルルーナさん」
今は世界中が魔族の脅威に晒されている状態だ、そんな中で呑気に人の誕生日など祝っていていいのか。ルルーナはそう言いたいのだ。
けれども、そんな彼女に声をかけたのは食堂から顔を出したグラムだった。後ろ足で立ち上がり抱き着いてくるちびを片手で撫でてやりながら。
ルルーナはそんな彼に向き直ると、怪訝そうな表情を滲ませた。
「こうして仲間と共に過ごす時間が生きる糧になるのだ、たまにはこういう時間も必要だよ」
確かに今は、のんびりしていられるような状況ではない。
しかし、この先に待つのが決して楽な戦いとは言えないからこそ、このような時間が必要なのだ。
暖かな時間を過ごせは過ごすだけ――この時間を、この仲間たちを決して失いたくないと強く思えるようになるから。そしてそれが、勝利や生きることへの糧になってくれる。
グラムがそう告げると、彼の後ろからはカミラやウィル、リンファ、クリフが立て続けに顔を出す。どうやらルルーナ以外のメンバーは既に揃っているらしい。
「そうそう、それにもう色々作っちゃったしさ」
「そうよ、今からやめるなんて言ったら殴るからね!」
あちらこちらから向けられる言葉の数々に、ルルーナは口唇を噛み締めて横目にジュードやマナを見遣る。そして次に、その視線はカミラの後ろから顔を出すクリフに向いた。
刃物のような鋭い視線に対し、当のクリフはどこ吹く風といった様子。悪びれるどころか腹立たしいほどの満面の笑みである。この男には文句を言っても無駄だと――そう理解したルルーナは深く項垂れ、諦めたように溜息を洩らした。
すると、そんな彼女を見て待ちきれないとばかりにカミラは目を輝かせると、食堂から抜け出てルルーナの前まで駆け寄った。そして彼女の手を両手で取り、早く早くと急かす。
「ルルーナさん、早く早く! おいしいのいっぱいあるよ!」
そんなカミラをルルーナは暫し見つめていたが、やがて眉尻を下げると薄く苦笑いを滲ませて頷いた。
それを見てマナは後ろからルルーナの背中を押し、ジュードは満足げな顔で彼女たちを後目に食堂へと足を向ける。
人の誕生日だというのに、なぜかルルーナ本人よりもジュードたちの方が遥かに嬉しそうだ。人の誕生日の一体なにが嬉しいのだと彼女はそう思ったが――それは言葉として出ることはなかった。
「(……お母様はいつも仕事で忙しかったし、こんな騒がしい誕生日なんて初めてのような気がするわね……)」
物心ついた頃から、誕生日に意味などないとルルーナは思ってきた。そんなもので浮かれるなどバカげていると。
しかし、今の彼女にはそのような気持ちはカケラほどもない。むしろ、これまで尖っていた心がじわじわと溶けていくような、そんな気がしていた。




