第十話・水祭りへの準備
宿を後にしたカミラとウィルは、ジュード達が待つ洋服屋へと足を向けていた。
カミラの頬や足に付いた傷は、既に彼女の治癒魔法によって癒された後だ。これならジュードとて気付くことはないだろう。
ウィルは隣を歩くカミラを心配そうに見遣る。
「……大丈夫です」
「えっ、あ……うん……」
ウィルが自分を心配してくれているとカミラは既に理解していたらしく、不意に掛かる言葉にウィルは些かぎこちなく頷いた。
カミラはウィルの隣をゆっくりと歩きながら、視線を下げて軽く頭を垂れる。犬か何かであれば耳が垂れているだろう、それほどの落ち込み具合だ。
「……カミラ、ルルーナにはあまり関わらない方がいいよ。今回はあれで済んだけど、次はどうなるか……」
「うん……」
「……ジュードには、今回は言わないでおくから」
「うん……」
聞いているのかどうか定かではないが、カミラは取り敢えず相槌を打つように小さく返事を返す。
ジュードが落ち込んだ時、彼を慰められるのはカミラだとウィルは思った。しかし、カミラが落ち込んだ時に彼女を慰め励ませるのは、やはりジュードなのだと思う。
「……カミラ、今日は折角のお祭りだし、ジュードと一緒に楽しんでこいよ」
「……ジュードと?」
「ああ。ほら見えてきた、あの店にいる筈だから」
ジュードの名を出すと、そこでようやくカミラは顔を上げた。ウィルは薄い笑みを浮かべて視線を正面に戻し、ちょうど見えてきた青い瓦屋根の店先を示してみせる。
カミラは不思議そうに頻りに首を捻り、店とウィルとを何度も交互に眺めた。青い瓦屋根の店はどう見ても普通の家や店と言う形であり、お祭りと言うような雰囲気ではなかったからである。
「あそこは祭りの為の衣装とかを売ったり、貸し出したりしてる店なんだよ」
「衣装?」
「女の子は祭りとなると着替えて騒ぐのがほとんどでね、みんな着飾るんだ」
ウィルの説明を聞いて、カミラはふと微かにだが表情を和らげる。お祭り自体に反対もしなかった彼女は、どうやらお祭り嫌いのルルーナとは違うらしいとウィルは思った。
カミラはほんのりと瑠璃色の目を輝かせて、彼と店とを改めて眺める。今度は不思議そうな色を宿していないことから、早く行ってみたいとの催促なのだと即座に理解出来た。
「行こうぜ、ジュードもマナも待ってるよ」
「うん! ありがとう、ウィル!」
何か礼を言われるようなことを言っただろうかとウィルは思ったが、特に何も言わずに笑って頷いた。
青い瓦屋根の店は女性客が多いのか、店の外観からして可愛らしい雰囲気であった。クリーム色の壁や大きな窓には可愛らしい花や飴玉の模様が描かれている。これなら女性だけでなく、子供達にも評判が良さそうだ。
外に建つ看板には青と白のストライプリボンが巻かれていたりと、可愛らしさを強調した雰囲気と言えた。カミラは店に近付いていく度に好奇心を刺激されていくのを感じる。
店の扉を押し開くと、中には綺麗に着飾った店員達が店内を忙しそうに歩き回っている光景が視界に飛び込んできた。辺りには様々な種類の衣服があり、大勢の女性客が至極楽しそうに衣装を選んでいる。
その雰囲気に圧倒されてしまいそうになりながら、カミラはぽかんと口を半開きにして店内を眺めた。赤い絨毯が敷かれた上に恐る恐る足を踏み出し、一見厳かな雰囲気さえ漂う中へ意識を向ける。ウィルは場離れしていないらしい彼女の姿を眺めながら薄く苦笑いを浮かべた。
慣れない雰囲気の中、カミラは混乱したように目を回し、両手を頬に添える。
「え、ええと、わたし……何をすればいいの? まず何をするのが普通なのかしら、ご挨拶かしら、でも誰にご挨拶すればいいの?」
「カ、カミラ、大丈夫だから落ち着け」
すっかり場の雰囲気に混乱しているらしいカミラに、ウィルは歩み寄ると大丈夫かと声を掛ける。王都フェンベルは他の国の王都から見れば小さい方だ。にも拘らず、カミラは完全なおのぼりさん状態である。
ウィルから見れば微笑ましいのだが、だからと言って見物しているのも気が引ける。
だが、そんな彼女にふと横から声が掛かった。
「カミラさん、こっちだよ」
「えっ」
「ああ、ジュード……マナとプリムは?」
カミラが慌てたように振り返った先、そこには壁に凭れてカミラとウィルを眺めるジュードがいた。宿を出る際に一緒だった二人の姿が傍に見えないことにウィルは疑問符を浮かばせ、そちらに歩み寄りながら問い掛ける。
すると、ジュードは一度奥の試着室を示してから店の出入り口を一瞥した。
「マナはそっち、プリムは出店の用意があるからって先に広場に行ったよ」
「ああ、なるほど……」
プリムは宿屋兼軽食屋の看板娘と言える。その彼女が出店の支度をしているのを見て集まる客は多いだろう。快活で人当たりの良い彼女のファンは多い。
彼女自身も賑やかな行事を好んでいる為、自然なことと言えた。更に言うならば今回の祭りは友好国である水の国の平和や平穏を願ってのこと。気持ちも篭るのだろう。
カミラはカーテンの閉ざされた試着室へ視線を向けたまま、緩やかに小首を捻る。
「……着替えてるの?」
「そうだよ。カミラさんも着替えたらどうかな、折角なんだし」
「そうそう、何か好きなの選んで着替えてみなよ」
「で、でも……わたし、あまり洋服のこととか分からなくて……」
ジュードやウィルは彼女が何処から来たのかを知っているが、マナにはまだ話していない。食べ物にも苦労するくらいのヴェリア大陸である。この店にあるような豊富な衣類が存在していないことは、容易に想像出来た。
口元に片手を添えて困ったように視線を下げるカミラに、ウィルは何度か小さく頷くと、カーテンを隔てた先で着替えているだろうマナへ向けて一声掛けた。
「おーい、マナ! カミラの着替えも手伝ってやってくれよ!」
その言葉に、カミラは慌てたように視線を上げてウィルを見遣る。しかし、彼女が何か言うよりも先にカーテンが開かれ、奥からマナが顔を出した。その身にはいつものチューブトップではなく、赤いコルセット型のミニドレスが着用されていた。コルセットより下部分はふんわりとした裾広がりの白いスカート、足元は多少踵の高い赤ヒールを履いている。
活発な性格のマナに、赤はよく似合う。
いつもは高く結い上げてある太陽色の長い髪は下ろされており、ハーフアップの形で結われていた。髪留めには赤と白の造花をあしらった髪飾りが鎮座している。
普段とは異なる――やや見慣れないマナの姿に、声を掛けた張本人であるウィル自身がまず固まった。マナはジュードに想いを寄せているが、ウィルは幼い頃からマナに恋心を抱いているのだ。
何処か淑やかな雰囲気さえ漂うマナの姿に、ウィルは単純に見惚れたのである。
しかし、マナはそんな彼の気持ちに気付く筈もなく、カミラの姿をそこに認めて表情に笑みを覗かせた。
「ああ、やっと来たのねカミラ。任せといて、バッチリ可愛くしちゃうから」
「だって。行っといで、カミラさん。オレ達はここで待ってるから」
「で、でも……、……うん……」
カミラはやはり慌てたようにマナとジュードを交互に見遣りはするが、そこはやはり少女である。
元々興味はあったのか、やや暫くの逡巡の後にほんのりと頬を朱に染めて小さく頷き、そしてマナの元へと駆けていった。そんな姿を見つめて、ジュードは優しく目を細めて笑う。それはそれは、とても大切なものを見つめるように、何処までも優しい表情で。
ウィルはジュードを横目に見遣り、双眸を半眼に細めると肘で軽くその脇腹辺りを小突いた。
「……ジュード、顔が弛んでるぞ」
「う……うるさいな、ウィルだってそうだろ」
「まあ……そうだけどさ」
ウィルがマナのことを想っているのを、ジュードは知っている。ウィル自身もジュードに無理に隠そうなどと当時から思ってはいなかった。
だからこそ返る言葉に数拍の間を空けはしても、下手に否定することなく小さく肯定を返してから、彼の隣に並び壁に背中を預けて寄り掛かる。
あ、とジュードは一つ声を洩らすと、傍らに立つウィルに視線のみを向けた。
「メンフィスさんも、先に会場に行ってるって」
「怒ってなかったか? 勝手に祭りに出るとか決めちゃって」
「全然、メンフィスさんも騒ぐのは好きなんだってさ」
その返答に、ウィルはそっと小さく安堵を洩らす。今現在のメンバーは当然メンフィスが最年長者である。
彼の意見も求めずに勝手に自分達だけで決めてしまったことを、ウィルは少なからず気にしていた。だが、当然のように返った返答に安堵しつつ、それでも内心で薄く苦笑いを滲ませた。
ジュードがカミラを連れて自宅に帰ってきた際、メンフィスも同行していた。
あの日の晩は、久方振りの親友同士の再会ということもあってか随分と遅くまでグラムと酒盛りをしていたのである。深夜近くになってようやく静かにはなったが、メンフィスもグラムも部屋に戻らず、そのまま居間のテーブルに突っ伏す形で眠っていたのである。それも高鼾を上げて。
そんな光景を思い出せばグラムの親友というメンフィスが、騒ぐのを嫌いであるとは到底思えなかった。
一人納得するようにウィルは何度か頷いていたが、そんな彼を改めてジュードは横目に見遣ってから幾分言い難そうに改めて口を開く。
「……ウィル。ルルーナは、どうだった?」
「なんだよ、……気になるのか?」
「そりゃ、一応は一緒に住んでて旅もしてるんだ。気になるよ」
ジュードとて、心底ルルーナを毛嫌いしている訳ではない。相手が女性だから、と言うのもあるかもしれないが呟くように言葉を連ねるジュードの横顔には、言葉通り確かな心配の色が見て取れる。
ジュードは何かと余計な気回しの多い男である。気にしなくていいことまで気を回すからこそ不特定多数に好かれるのだと、恐らく彼自身は理解していない。ウィルにとってはそれが一つの悩みの種でもあるのだが。
ウィルは小さく溜息を零すと後頭部を壁に預け、緩く宙空を仰ぐ形で再度口を開いた。
「……別に、なんてことなかったよ。疲れたんだろ、馬車での移動とは言え、お嬢様に旅はキツイだろうさ」
「……そうか、ならいいんだけど……」
正確に言うのであれば「なんてことなかった」訳ではない。
一歩間違えれば過度の流血沙汰になっていたのだ。ルルーナがカミラに花瓶を投げ付け、割れて飛び散った破片でカミラは肌に傷を負った。その傷はカミラの治癒魔法により既に完全に癒されているが、ウィルはしっかりと目の当たりにしたのである。
しかし、それをジュードに包み隠さずに伝えれば、恐らくジュードはルルーナに対して怒り出すだろう。そうなっては、水の国に行って必要な鉱石を手に入れる、という今の旅自体がおかしくなってしまうかもしれない。仲間内の関係は、旅をする上で大事な問題なのだ。
ウィル自身、ルルーナのことは快く思っていない。可愛い弟分であるジュードへ強引に求愛し、マナに対しては常に見下す態度、カミラのことは邪魔者扱い。更にワガママ放題な彼女をどうにも好意的に見れずにいた。だからこそジュードが彼女を気に掛けるのは、ウィルにとってあまり面白いことではない。
軽く表情を顰めていると、ジュードは怪訝そうにウィルを眺めてきた。
「……どうしたんだよ、ウィル。何か怒ってないか?」
「はああ……まったく、お前はねぇ……」
女性の気持ちだけでなく、心配する気持ちにすら鈍感なのかとウィルは思わず片手を自らの額の辺りに添えて頭を垂れる。それでも、ジュードはやはり不思議そうな顔をするばかりであった。