第八話・魔族が恐れた力
「……ルルーナ、大丈夫……?」
ヴァリトラが見せてくれた記憶の映像は、そこで終わった。
謁見の間には重苦しく、気まずい――何とも言い難い空気が落ちる。その中でマナが心配になったのは隣にいるルルーナのことだ。
あの映像の中には彼女の母であるネレイナがいた。それも幼いジュードを襲った敵として、魔族と手を組んで。彼女の心情はどうだろう、大丈夫だろうか。そんな純粋な心配が湧いたのである。
「(……そういうことだったのね、お母様は出て行ったお父様を探している内にジュードを見つけて……)」
ネレイナは様々な魔法に長けた女性だ、遠見の術で世界中のあちらこちらを見通すことなど朝飯前。出て行った夫を探して世界中を見ている内に、ジュードを見つけた。
そして彼が魔物だけでなく、あらゆる生き物と言葉を交わしている様でも盗み見たのだろう。
そんなことが出来るのは、この世界でも精霊族と言われる稀有な血を持つ一族のみ。精霊族の血を持つ勇者の子孫――ネレイナがその時、どう考えたのかは定かではないが、彼の持つ力に目を付けたのは確かだった。
「……別に、私は何ともないわよ。それより……」
母が魔族と繋がっている可能性は地の国での騒動の時に浮上はしていた。そのため、思っていたよりもダメージはない。――全くの無傷という訳でもないが。
それでも、ルルーナは小さく頭を左右に振るとその視線をジュードの背中へと向けた。今は自分のことよりも彼の精神面を心配するのが第一だろう、と。
辺りに視線のみを向けてみれば、エクレールを始めとし、アメリアやリーブル、ヴィーゼたちも心配そうな面持ちで彼を見つめていた。
ジュードは静かに視線を下げると、片手でそっと己の片腕に触れる。上着に隠れていて見えないが、そこにはあの大層美しい腕輪が鎮座していた。
この腕輪は、離れ離れになる際に自分の代わりとして母が託してくれたもの。何よりも大切な母の愛だったのだ。内側に刻まれた文字はジュードの名前そのもので、乱雑に綴られていたのは彼女が慌てて刻んだものだったから。
吸血鬼に魔法を喰らった時、王都ガルディオンで悪魔のような魔族と戦った時。いつもこの腕輪が――母の愛がジュードを守ってくれた。
「(事情を知らなかったって言っても……オレは……)」
カームの街でテルメースと再会した時、ジュードは真っ先に彼女から逃げた。
頭が状況を理解出来なかったと言うのもあるが、自分を捨てたくせに何を今更と――そう思ったからだ。
だが、母は決してジュードを疎んじていた訳ではなかったのだ。それどころか、とても大切にされ、深い愛情で包んでくれていた。
だと言うのに自分は上辺だけでしか彼女を見ていなかった、知ろうともしなかったのである。そう思えば思うだけ、ジュードの胸は罪悪感で満たされていく。
「……王子よ、これがお前が失った記憶の全てだ。この後のことは分かっておるだろう」
「……うん。父さんに拾われて、育ててもらった……」
極力穏やかな口調で声を掛けてきたヴァリトラの言葉に小さく頷き、ジュードは静かに答える。心はメチャクチャだと言うのに、頭は妙に冷静だった。
グラムやカミラ、ウィルたちはそんな彼を心配そうに見遣る。
その中で、ルルーナは幾分控えめに口を開いた。
「あの……ヴァリトラ、一つ窺ってもよろしいかしら」
「うむ、構わぬ。どうした?」
「ジュードが……魔法を受け付けない呪いを掛けられたのはいつですか? お母様は……呪いを掛けたのは自分だと……」
「……お主はネレイナの娘であったな。恐らく我が上空で魔族と交戦している時だろう、不覚にも全く気付かなかったが……」
ヴァリトラから返る言葉を聞くと、ルルーナは静かに頷き眉を寄せる。
エクレールはそんなやり取りを聞いて、不思議そうに首を捻った。彼女はカームの街からの参入だ、ジュードが――自分の兄が呪いを掛けられているなど全く知らないことである。
「の、呪い……?」
「うむ、お前の兄には呪いが掛けられている。能力の開花を恐れたのだろう、王子の持つ力はお前のものよりも遥かにタチが悪いのだよ。……ウィルよ、なんとなく察しが付いているのではないか?」
ふと、不意に話を振られて当のウィル本人は思わず目を丸くさせた。
確かに聡い彼のこと、気になっていることは多い。もしかしたら、と頭の中で仮説も立っている。己に集まる幾つもの視線に、ウィルは困ったように眉尻を下げると片手で後頭部を掻いた。
「え、ええと……吸血鬼と戦った時、あと初めてアグレアスやヴィネアと戦った時だったっけな、ジュードがおかしくなったのは。あ、あとヘビで大パニック起こした時もか」
「他に言い方あるだろ……」
「お、ツッコミ入れる元気はあるんだな」
おかしくなった――それは聞き捨てならない言葉らしい。
何処となく恨めしそうな面持ちで振り返るジュードを見遣り、ウィルは緩く肩を竦めた。しかし、すぐにその視線をヴァリトラに戻すと片手の人差し指で己の瞳を示してみせる。
「あの時のジュードの目の色、ヴァリトラと同じなんだよ」
「言われてみれば……確かにそうですね」
「ヘビの時はともかく、吸血鬼騒動の時はまだ精霊となんて会ったこともなかった。マナも言ってただろ、あの時のジュードは誰と交信してたんだって。ヴァリトラがずっとジュードの中にいたんだとしたら……」
そこまで言われれば、流石のジュードやマナとて理解は出来る。マナは思わず朱色の双眸を丸くさせて、ルルーナと顔を見合わせた。
ヴァリトラは薄く笑うと、愉快そうに何度も頷きを返して寄越す。
「ふふふ、流石に察しが良いな。そうだ、当時の交信相手は我だよ。だが、力を貸そうと思ったのではない。王子が勝手に交信し、我の力を断りもなく使ったのだ」
「え、ええぇ……だ、だって」
勝手に使った、そう言われてもジュードに覚えはない。自分の中によもや神がいるなどと、普通は思わないだろう。ましてや、当時はジュードにそんな能力があるなど誰も思わなかった。
困ったような、それでいて申し訳なさそうな表情を浮かべるジュードを見て、ヴァリトラは声を立てて笑った。
「はっはっは! それだけ仲間を助けたいと思う気持ちが強かったのだろう、お前は無意識の内に我と交信し、見事に魔族を退けてみせたのだ」
「は、はあ……オレ、何も覚えてないけど……」
何度言われても、ジュードはその時のことを全く覚えていない。
不思議そうな様子で首を捻る彼を見遣りながら、ウィルは改めて口を開いた。
「つまり、だ。ジュードは神さまとも交信出来るってワケで……神さまや四神柱を使役するような能力が開花しちまったら、魔族としてはどうだよ。封印したくなるだろ」
「うに、マスターは魔力を受け付けない呪いを掛けられてるんだと思うに。今の状態だと精霊たちを使役するために必要な契約が出来ないんだによ」
「メネット様たちの旅館で試した時、確か倒れてしまいましたね……」
ウィルとライオットの言葉にリンファは静かに頷き、グラムやメンフィスは低く唸る。
逆に言えば、その呪いさえ解けてしまえばジュードの能力は開花するのだろう。それも、酷く恐ろしい効果を発揮する。
エクレールは己の口元に緩く握った片手を添えた。
「で、ではお兄さ――いえ、ジュードさん、は……その呪いが解けたら、ヴァリトラや四神柱さえも使役することが出来ると……」
「それだけじゃないわ、共鳴で味方に多大な恩恵を与える筈よ。私たち精霊や神柱には決められた属性があるけれど、ヴァリトラには存在しないの。全ての者に加護を与え、能力を限界まで高め、引き出してくれるわ」
「マスターさんがヴァリトラと契約すればぁ、そのヴァリトラの力をみなさんに分け与えることが出来るんですぅ。そうすればぁ、みなさんも魔族と互角――いいえ、互角以上の力で戦えると思いますよぉ」
イスキアやトールの言葉に、仲間の視線は改めてジュードに集まる。――否、それだけではない、アメリアたち王族も皆ジュードを見ていた。
彼の身に掛けられた呪いが解ければ、充分過ぎるほどに勝機はある。彼らだけではなく、多くの者がヴァリトラの加護を受けて魔族と対等に戦えるようになるのだ。
魔族やネレイナはそれを恐れて、ジュードに呪いを掛けたのだろう。
聖剣の誕生や神の降臨と合わせて、次々に希望が見えてきた。
アメリアは腰掛けていた玉座から身を乗り出したが――その矢先のことだった。
「へ、陛下! アメリア様ッ!」
「どうしたのだ、何事だ?」
一人の兵士が大慌てで謁見の間に駆け込んできたのである。兜に隠れてよく見えないが、その顔はやや蒼褪めているように感じた。負傷しているのか、腕や肩などには血が滲んでいる。
アメリアは玉座から立ち上がると、一体どうしたのかと早々にその先を促した。
「そ、それが……宝物庫が、ヘルメス王子が宝物庫を! 聖剣が奪われました!」
「な……なんだと……!?」
それは、最悪な報せであった。
希望が見えてきたと思った矢先の最悪な出来事。ジュードは奥歯を噛み締めると座していた椅子から真っ先に立ち上がる。そんな彼を見てウィルやカミラも慌てて席を立った。
「ジュ、ジュード、寝てなくていいの?」
「そんなこと言ってられない! 女王様、ヘルメス王子を追いかけます!」
「あ、ああ、分かった。メンフィス、クリフ、二人はジュードたちのサポートを頼む」
ヘルメスはジュードの兄、エクレールは妹。実際に映像を見ても実感は湧かないが、それは揺るがない事実なのだろう。
ならば、止めなければ。頭の整理はつかない、心も決まらない。それでも、ヘルメスを止めなければ――それだけは確かな気持ちだった。