第四話・母の記憶
次々に変わる場面に、その場に居合わせる面々は目を白黒させるばかり。
ジュードが生まれた日のこと、それからの日々、何処までも平和な日常。恐らくこれらが、ジュードが生まれてからの記憶なのだ。とは言え、うんと小さい頃のことを覚えている者などそうそういないのだが。
ジュードは次々に映し出される光景に言葉を失ったように見入っていた。あれほど知ることが怖いと思っていたのに――否、今とて思っている筈なのに、己の内では「知りたい」と確かに願っている。
映し出される記憶の中にいつも存在するのは、ジュリアスと呼ばれる金髪の青年だ。
テルメースの夫と言うことは、この青年がジュードの実の父親と言うことになる。長い金の髪に翡翠色の双眸、その風貌は何処かヘルメスに似ていた。
「この人が、ジュリアス国王……」
「……うん、そうだよ。ジュリアス様、とてもお優しい方で……わたしのことも、いつもとても可愛がってくださったの」
ジュードが洩らした言葉に反応したのは、彼の傍らにいるカミラだった。
彼女にとっては、ジュードがヴェリアの王子であろうとなかろうと既にどちらでも良い。しかし、もしも本人であるのなら、なぜ――何処で記憶をなくしてしまったのか気になっていた。
現に実の父を前にしてもジュードの様子に変化は見られない、ちらりと視線を移した先では久方振りに見る父の姿にエクレールは涙を流していると言うのに。
そしてカミラには気になっていることがもう一つ。
ヘルメスのことだ。
ヴァリトラが見せるこの記憶の中のヘルメスには、歪んだ部分など何一つない。生まれたばかりのジュードと、その翌年に生まれたエクレールの世話を率先してやるし、赤子二人を見つめる双眸は本当に愛しいものを見るような優しさに満ちている。
この頃は、ヘルメスも弟と妹を心から愛していたのだろう。
けれども、カミラの記憶にあるヘルメスとエクレールは兄妹とは思えないほど他人行儀で余所余所しい。言われなければ誰も二人が兄妹などとは思わないだろう。
一体何があって、ヘルメスはエクレールにキツく当たるようになったのか。
なぜヘルメスは、ジュードが弟だと認めてくれないのか。
カミラはどうしても、それが気になっていた。
* * *
「おかあさまあぁ」
「あらあら、ジュード。どうしたの?」
「みてみて、僕お友達ができたよ!」
それはジュードが五歳になった頃のこと。
聖王都ヴェリアにも子供は多かったが、ジュードは王族だ。民はあまり「友」として接してはくれない。そのため、時折寂しそうにしていることがテルメースには気掛かりだった。
ヘルメスには勉強があるし、エクレールは妹――友達と言うものは、ジュードにとって憧れの一つであったらしい。
テルメースはやや興奮気味の愛息子に向き直るが、その言葉とは裏腹にジュードの周りには人の姿が見えなかった。
「あら、そうなの。でも……そのお友達はどこにいるの?」
「ほら、ここにいるよ! 最近お庭によく来るんだ、おはよう、一緒に遊ぼうって」
ここ――と、ジュードが指し示したのは自分の肩や頭、そして足元。
そこには小鳥や猫、ウサギなど色々な動物がいるだけ。だと言うのに、ジュードはその動物たちを「友達」と呼んだ。
テルメースは真っ青になると共に双眸を見開き、咄嗟にジュードの頬を平手で打った。辺りには乾いた音が響き渡り、傍に集まっていた動物たちは大慌てで逃げ出し、小鳥は大空へと羽ばたく。
頬を打たれたジュードはと言うと――訳が分からないとばかりに唖然とした様子で母を見上げていた。
テルメースの美しい顔は完全に血の気が引き、真っ青だ。
その身を痙攣するかのように小刻みに震わせ、今にも泣き出しそうな様子でジュードを見下ろす。呼吸は荒く、自分が息子を叩いたと理解しているかどうかも定かではない。
「お、おかあ、さま……? なんで……」
「……! あ、ああ……ッジュード、ごめんなさい……大丈夫? 痛かったわね……」
ジュードは叩かれた頬を片手で押さえながら、その場に座り込んでただただ母を呆然と見上げる。
すると程なくしてテルメースは我に返ると、息子の正面に屈んでしっかりとその身を抱き締めた。よしよし、と片手でジュードの後頭部を撫で付け、まだ小さな肩に顔を伏せる。
「ごめんね、ごめんね……でもジュード、お願いだから二度と言わないで。動物は喋らないの、植物も、魔物もそうよ。私たち人間が話せるのは、同じ人間だけなの……いいわね?」
「で、でも……」
「お願いよ、ジュード。お母さんと約束して、そうじゃないとお母さんは心配で夜も眠れないわ」
ジュードは、その意味が全く理解出来なかった。
鳥も猫もウサギも、果てには植物までも「おはよう」や「こんにちは」と声を掛けてくるのに、母はそれらの生き物は「喋らない」と言う。確かに喋っているのに、どうしてそのことを話したらダメなんだろうと、不思議に思った。
だが、震えながら懇願してくる母を前にジュードはそんな疑問をぶつけることは出来なかったのだろう。程なくして小さく頷いた。
そしてその晩、テルメースは寝室で狂ったように泣き叫んでいた。ジュリアスはそんな彼女をそっと抱き締め、幼子でも宥めるかの如く優しく、ただひたすらにその頭を撫でる。
彼女は怖かったのだ、自分が役目を放棄したから大切な子供にその能力が――使命が継がれてしまった。精霊が子供を攫いに来るのではないか、と。
ジュリアスはテルメースが落ち着くまで、ただそっと彼女を宥めていた。
そしてまた、場面が切り替わる。
次に切り替わった先、それは聖王都の近くにある森。
勉強はイヤだ、とジュードが逃げ込んだ先がこの森だったのだ。この時、ジュードは七歳になっていた。
初めて訪れた森に、幼いジュードは興味津々である。一歩、また一歩とその足を先へ先へと向かわせていく。
すると程なくして、大きめの岩に座り込んでめそめそと泣いている少女の姿を見つけた。
「……?」
どうして泣いているんだろう、なにかとても悲しいことがあったのかな。そう言いたげにジュードは翡翠色の双眸をまん丸くさせて、不思議そうに小首を捻る。
そして彼女の傍に駆け寄ると、至極当たり前のように声を掛けた。
「どうして泣いているの?」
「……っ!」
ジュードが声を掛けると、少女は大きく身を跳ねさせて弾かれたように見上げてくる。泣き腫らして真っ赤になった目元が痛々しい。
けれども、少女の瑠璃色の髪と瞳がとても綺麗で、ジュードは思わず見惚れた。
その少女こそが、同じく当時七歳ほどの――カミラだったのだ。