第三話・失われた過去の記憶
ジュードは、先程の己の発言をどうしようもないほどに後悔していた。
過去を知るのはやはり怖い、だが逃げていてもどうにもならないから向き合わなければ――そう思ったことは事実だし、向き合おうとも思っている。
だが、現在置かれているこの状況はどうか。
現在、彼がいるのは火の王都ガルディオンの王城――更に言うのならば、謁見の間だ。
広いこの空間には女王のアメリア、リーブル、ヴィーゼなどの王族を始め、ジュードたち一行の他にメンフィスやクリフ、そしてエイル。ヴェリアからの来訪者が数人。その中には王女のエクレールもいた。
テルメースやヘルメス、大臣の姿は見えないが。
謁見の間の大きな窓からは竜の神ヴァリトラが顔を出している。
「……ヴァリトラ、みんなも一緒に見るなんて聞いてないんだけど……」
そうなのだ、これだ。
これからヴァリトラが見せてくれるのはジュードが失っている過去、つまり彼も知らない自分のことだ。
しかし、自分の知らない自分を見知った連中にまで見られると言うのは、これ以上ないほどに気恥ずかしい。現にジュードの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
ヴァリトラはそんな彼を見遣ると、愉快そうに声を立てて笑い始める。
「はっはっは、何を言っているのだ。これだけの人数に見てもらえば証人になるだろう?」
「しょ、証人?」
「そうだ、過去の記憶を見ればお前が死んだ筈のヴェリアの王子なのだと言うことが分かるだろう。偽者などではなく、本物の王子なのだとな」
「そうだよ、俺たちはお前がドコの誰だっていいけどさ、もしもお前が聖剣を使うって決めたら……納得しないだろ、あの方々は。だから証人が多いに越したことはないのさ」
耳まで真っ赤に染まったジュードを横目に見遣りながら、ウィルがヴァリトラの言葉に便乗して口を開く。この場に足を運んだヴェリアの民の中にはヘルメス一派の者も数人いる、彼らが過去の記憶を見て理解してくれるかどうかは定かではないものの――ウィルが言うことは間違いではない。
それでもジュードは気恥ずかしそうにしていたが、ヴァリトラは「ふふ」と小さく笑うと静かに目を伏せる。
するとその刹那――謁見の間全体が青々とした森へと姿を変えた。ヴァリトラが部屋一帯に過去の記憶を呼び起こしたのだ。
* * *
雲一つない、澄み渡った蒼穹の下。
白い外壁に囲われた大層美しい城からは、泣き声が一つ。
おぎゃあ、おぎゃあと響くそれは紛れもない赤ん坊のものだ。それを聞くや否や、階下へ続く階段からはけたたましい足音が聞こえてくる。
金属同士が擦れ合う音がするのは、恐らくその出所となった者が鎧を身に付けているためだろう。
やがて王城の最上階――国王と王妃の部屋には、背の高い男が転がり込むようにして突撃してきた。
「う、産まれたか! テル!」
「まあまあ、陛下ったらそんなに慌てなくてもよろしいのに。おめでとうございます、ジュリアス様。元気な男の子ですよ、王子様です」
「ま、まことか! 王子とな!?」
大きな寝台の傍らに佇む中年の女性は、駆け込んできた男に向き直ると嬉しそうに相貌を綻ばせて笑う。溢れ出る嬉々を隠し切れない、そう言わんばかりに。
ジュリアス――そう呼ばれた男は興奮気味に頬を赤らめながら、大股でそちらに歩み寄った。背に流れる美しい金髪もここまで全力疾走してきたためか、酷く乱れている。一体どれだけ慌てていたのか。
息を切らせながらジュリアスは寝台に歩み寄ると、ふわふわのタオルに包まれた赤子を抱く赤茶色の髪をした女性に声を掛けた。
「テル、よくやった。おうおう、このように元気に泣いて……」
「うふふ……あなた、この子を抱いてあげてくださいな。優しくね」
「う、うむ、いまいち加減が分からんな。ヘルメスの時は大泣きさせたっけ……」
テル、そう呼ばれた女性こそ――あのテルメースだった。
出産の疲労が顔に出てはいるものの、それでも隠し切れない嬉々の方が勝るようだ。美しいその風貌には穏やかな、それでいて輝くような笑みが浮かんでいた。
ジュリアスは差し出された赤ん坊を恐る恐ると言った様子で抱くと、まじまじと赤子を見つめる。翡翠色の双眸は好奇心に満ちていて、まるで幼い子供のようだ。
そんな様子を見守っていた侍女たちは、何処までも微笑ましそうに表情を綻ばせた。
「早速だが、この子に名前を付けてやらねばならんなぁ。俺はどうもこういうのは苦手で……テル、何か良い案はないか? ヘルメスの時は俺がない頭を捻ってようやく名付けたのだ、今回はお前が付けてくれると嬉しいんだが……」
「そう仰るだろうと思って考えておりましたよ、ジュードと言うのはいかがでしょうか?」
「ジュード? ふむ……」
テルメースはそんな夫を微笑みながら見上げると、タオルに包まれた我が子にそっと手を触れさせる。その仕種は何処までも優しい、宝物にでも触れるかのような――そんな様子だ。
ジュリアスはテルメースから返る言葉に双眸を丸くさせると、我が子と彼女とを何度か交互に眺めた。
「私が生まれた国では、ジュードとは賛美を意味するのです。この子はヴェリアの王子として生まれたのですから、民に愛され、皆に賛美されるような立派な子に育ってくれるようにと願いを込めて……」
「そうか……そうか! ジュード、わははは! 今からお前はジュードだ!」
「ほぎゃあああぁ!」
「む、む!? す、すまんッ、父さんは抱き方が下手なのだ!」
テルメースの言葉にジュリアスは表情と共に双眸を輝かせると、込み上げる嬉々のまま赤子を――ジュードを高々と掲げて高笑いを上げる。
しかし、驚いたのか抱き方が気に入らなかったのか、ジュードは即座に火がついたかのように大泣きした。ジュリアスは慌てて抱き直すが、一向に泣き止む気配がない。
テルメースや侍女たちはそんな様子を見つめて、愉快そうに声を立てて笑う。
それはとても幸せな、幸せ過ぎる光景であった。
これは、今から十八年前――ジュードがヴェリアの聖王都に生まれ落ちた日の出来事。