第二話・これからのこと
「……神さまって、ご飯食べるんだ……」
王城の食堂に用意された食事を食べながら、ジュードたちの視線は窓から顔を覗かせて料理を貪るように食す竜の神を見つめていた。
あの後、ジュードとカミラは眠っていたウィルたちを起こし、こうして共に朝食を食べている訳だが――厨房から食堂に場所を移し依然として用意された料理を食べ続けるヴァリトラに誰もが皆、興味津々だ。
思わず一言洩らしたマナの言葉にヴァリトラは料理鍋から顔を持ち上げると、何処か得意げに笑ってみせる。
「別に喰わんでも良いのだか、人間の料理は美味いのでな」
「へ、へぇ……」
ヴァリトラの身は非常に大きい、この身の丈で満足するとなると一体どれだけの量を食べれば良いのか。
取り敢えずと気になることやツッコミたい部分は多々あれど、食事を進めていきながらウィルは浮かぶままの疑問を向けた。とにかく今は、今後のことを考えるのが最優先だ。
「そ、それで、ジュードと話したいってことを聞いたんですが……」
「うむ、話したいことは山のようにある。今後の戦いのことも含めてな……」
幸いにも、ヴァリトラの考えも同じのようだ。料理鍋から完全に顔を離すと、その双眸をジュードたちへと向ける。ジュードたちも確かに腹は減っているのだが、やはり気に掛かるのは今後のこと。
火の国と水の国、そして風の国は一体となっていると言っても過言ではない。彼らは協力して魔族と戦う覚悟を既に決めている。
だが、地の国は依然として姿勢を崩さないし、ヴェリアも譲ろうとはしない。――と言っても、譲らないのはヘルメス一派だけなのだが。
一丸となって魔族と戦うには不安要素ばかりが残る。魔族に対抗出来る強力な武器を有しているのも、現段階ではカミラとウィルのみ。それも、カミラが持つケリュケイオンは攻撃用のものと言うよりは回復魔法の効果を高める効果を強く持っているだけで、攻撃には不向きと言えた。
明らかに不足ばかりなのだ。安心出来る要素があるとすれば、こちらに神がいてくれると言うことだけ。
「竜の神ヴァリトラよ、どうか我ら人の子を導いてください」
アメリアやリーブルは食事には一切手を付けず、ヴァリトラを見上げたままその言葉を待つ。彼らは一国の王だ、幾ら神が降臨したとは言え、先が見えぬ中では満足に食事も喉を通らないのだろう。
ヴァリトラはそんな彼らを見下ろすと、何事か悩むように低く唸る。イスキアはそんな父とも言える竜の神を横目に見遣ると、その脇に控えたまま代弁するかの如く静かに口を開いた。
「神器が必要になるでしょうね、それに聖剣の力も……」
「神器……?」
「ええ、ウィルちゃんとカミラちゃんが持っているようなものです。各地に存在する他の神柱が残りの神器を持っている筈ですが、全て揃うかは……」
「あ……そっか、オンディーヌは……」
イスキアの言葉にアメリアやリーブル、ヴィーゼはそれぞれ顔を見合わせると先の言葉を待つ。ジュードたちは知っていても、彼らには伝わっていない情報なのだろう。
だが、珍しく歯切れの悪い返答を返して寄越すイスキアにウィルは軽く眉を顰めて視線を下げた。
それぞれの四神柱は各属性の大精霊が一体化することで誕生するもの。風の大精霊イスキアと雷の大精霊トールが一体となり風の神柱シルフィードが誕生したのと同じように、他の神柱もそうなのだろう。
けれども、水の王都が襲撃を受けた際、氷の大精霊であるシヴァはメルディーヌに敗れ肉体的な死を迎えた。つまり、水の神柱オンディーヌは現状失われているのだ。
シヴァが戻らなければオンディーヌは失われたまま、当然水の神器も手に入らない。
「……あれ、聖剣って……?」
「ああ、そういやお前は知らないんだっけ。お前がアグレアスたちに連れて行かれた後、聖剣の封印が解けたんだよ。今は女王様が城の宝物庫で保管して下さってる」
「うむ、巫女様は是非とも君に使ってほしいと仰られた」
聖剣の封印が解かれたのは、ジュードが魔族に連れ去られた直後だ。当然、ジュードがそれを知っている筈もない。
しかし、続くアメリアの言葉にジュードは思わず翡翠色の双眸を丸くさせると、銜えていたスプーンから口を離して辺りの面々に慌てて視線を巡らせる。
聖剣は嘗て伝説の勇者が使っていたものだ。そのような貴重なものを自分になど――と、非常に混乱した様子で。
カミラはそんな彼を横目に見遣ると、何を思ったのか顔を真っ赤に染めて俯いた。
「で、でも聖剣はヘルメス王子が使うんじゃ……?」
「マスター、聖剣はカミラの中に封印されてたんだに。カミラはヘルメス王子よりもマスターのことが好――」
「おい」
ライオットは食堂の長テーブルに飛び乗ると、短い足を使って彼の前まで歩いていきながら静かな口調で語る。だが、その直後――完全に言い切るよりも前に、横から伸びてきたウィルの手に叩き潰された。
マナとルルーナはそんなライオットを目で殺す勢いで睨み下ろし、当のカミラは顔を俯かせたまま耳までを真っ赤に染めて両手で顔を覆っている。
メンフィスとグラムはそんなやり取りを苦笑い混じりに眺め、ジュード本人は疑問符を浮かべながら頻りに首を捻っていた。
「なにするに!」
「ともかく、だ。お前だって少しは思ってるんじゃないのか? ヘルメス王子に聖剣を持たせてもいいのかって」
「うん、それはまぁ……ヘルメス王子は聖剣を使って外の世界の人たちに復讐しようとしてるって、前カミラさんに聞いたことあるし……」
今も彼の考えが変わっていないのなら、ヘルメスに聖剣を渡しても良いのかとジュード自身そう思っていたことだ。しかし、だからと言ってお前が聖剣を使えと言われて二つ返事で頷くなど出来る筈がなかった。
ジュードは力なく頭を横に振ると、見るからに困惑を露わに眉尻を下げる。
「けどオレ、自分がヴェリアの王子だとかそういうの全然分からないし、どうしたら良いのか……」
「うむ、我が話したいのはそのことだ」
ジュードが途切れ途切れに紡ぐ言葉にアメリアやレーグルは言葉もなく静かに、そしてゆっくりと頷く。彼の言いたいことはなんとなく分かるのだろう。
巫女がお前を選んだのだから聖剣を持って戦えと言われても、普通は素直に頷いたりなど出来ない。
すると、それまで余計な口を挟むこともなく静観していたヴァリトラがそこでようやく口を開いた。その言葉にジュードたちの視線は一斉にそちらに向く。
「……そのこと?」
「王子……いや、ジュードよ。自身のことを何も知らぬまま、聖剣を持って戦えなどと言われても納得はいかぬだろう」
「う、うん、まぁ……そうだね」
「知りたいと願うのなら、お前が失っている過去を我が見せてやろう。……それを知ってから、聖剣をどうするか決めても良いのではないか?」
囚われた際にアルシエルから教えられはしたが、それでは全てを理解したことにはならないのだろう。あの時ジュードが聞かされたのは、あくまでも過去の一部。ジュードにとってはそれでも充分なほどであったが、だからと言って聖剣を持って戦う理由にはどうしても結び付かなかった。
アルシエルから聞かされたのは、サタンに喰われたところを母テルメースが助けて逃がしてくれたと言うことだけ。
実の父親のことも母のことも、ヘルメスやエクレールのこと――そしてヴェリアの民のこと。ジュードは何も知らないのだ。自分がヘルメスを押し退けて聖剣を扱うに相応しいのか、それを知れば心を決められると言うのか。
「……ジュード」
ふと仲間を見てみれば、その表情はいずれも心配そうなものであった。中でもグラムは眉を寄せて沈痛な面持ちで見つめてくる。
ジュードの素性が知れた時、父は彼の傍でずっと慰めてくれていた。その時の動転した様子を誰よりも知っているからこそ、純粋に心配なのだろう。
だが、次に彼の脳裏に浮かんだのは死を覚悟したあの時に思ったこと。自分はテルメースのことを何も知らずにいたと後悔したことだ。ちゃんと向き合っておけば良かったと、ジュードは確かに後悔した。
「……大丈夫だよ、父さん。そりゃ、知るのはまだ怖い気がするけど……多分、逃げてても何も変わらないと思うから」
「……そうか」
「自分のことを知ってから、ゆっくり考える」
自分が失っている過去にどのような出来事があるのかは、当然分からない。恐らく十年前、ヴェリアの聖王都が襲撃された記憶もそこに含まれている筈だ。考えるだけでも恐ろしい気がするが、しかし逃げていても何も変わらない――その言葉に嘘や偽りの類はない。
ジュードの返答にヴァリトラは黄金色の双眸を緩やかに笑みに細めた。