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第三十八話・裏で繋がる者


 ヘルメスはガルディオンの東側地区へと足を運んでいた。

 昼にあったグレムリンの襲撃で様々なものが地面に散乱する悲惨な有り様だ、けれどもヘルメスはそれらに一切目を向けることもなく目的の場所へと静かに足を進ませていく。常に彼の傍に付き従う大臣は、やや遅れながら彼の後に続いた。

 程なくして行き着いたのは、人目に付かない家屋の裏手。夜の闇に紛れるようにして、建物の陰からそっと一人の少年が顔を覗かせた。


「ジュード」

「……その名前で呼ばないでほしいな、兄上」


 陰から出来たのは、ジュードと同じ顔を持つ男――アンヘル・カイドだった。

 ヘルメスの声を聞いてアンヘルは不愉快そうに眉を顰め、吐き捨てるように呟く。しかし、当のヘルメスは口角を引き上げて薄く笑うばかりで、詫びようなどと言う気は微塵も感じさせない。

 大臣はそんな二人のやり取りを傍らから眺めた末に、辺りを見回す。そして人の気配や姿がないのを確認してから、アンヘルに一つ歩み寄った。


「そ、それでこの後はどうすればよいのです? 昼間に話してはみましたが、女王はそう易々と城を譲る気はないようですぞ……」

「この後? 知るかよ、お前の好きにすればいいだろう?」

「な、なんですと?」

「オレはお互いにメリットがあるから兄上の願いを叶えただけだ、その後のことなんて知らない」


 アンヘルから返る言葉に大臣は蟀谷に脂汗を滲ませると、固く拳を握り締めて更に詰め寄った。納得がいかない、そう言いたげに。


「で、では我々の命はどうなると言うのです!? 約束が違うではありませぬか!」

「ふん……ヴェリア大陸制圧の手引きをしてくれたんだ、アルシエル様もそれなりの待遇は考えておられるだろうさ」

「そ、そうですとも、今回情報を渡したのも私であり……」

「兄上は迷っておられたようだけど、オレの言うことは嘘じゃなかっただろう?」


 アンヘルは大臣を煩わしそうに見遣ると、言葉途中にその視線をヘルメスへと向ける。

 するとヘルメスは何を思い出したのか、幾分か不愉快そうに双眸を細めると数拍の沈黙を挟んでから吐き捨てるように呟いた。


「……あの港街でも、この都に来るまでの間も……カミラはあいつのところにばかりいた。婚約者はこの私だと言うのに……お前が言ったように、大陸に戻ってからのカミラは何かが違っていた。以前はあのように強い反抗などしてはこなかった……」

「大陸の外で惚れた男がいるからさ。あの時はそう言っても信じてくれなかったけど……やっと信じてもらえたんだと思うと嬉しいよ。その結果、兄上は情報を流して贄を差し出してくれたんだから」


 アンヘルは近くの家屋に凭れて薄く微笑むと、両腕を胸の前で組む。ヘルメスはそんな弟の姿を見つめて暫し黙り込んだ末に、改めて口を開いた。

 彼にはどうしても、確認しておかなければならないことがあったからだ。


「……お前はジュード(・・・・)だと言うのに、カミラに対する未練はないのか?」

「あるワケないじゃないか、全部アルシエル様が教えてくれたんだ。……本当は誰もオレのことなんか見てなかったんだって。カミラはオレと仲良くしながら、王家に取り入る隙を探ってたんだ」

「……」


 今度はアンヘルが表情を顰める番であった。隠すでもなく、その表情を不愉快そうなものに歪めるとヘルメスや大臣の方を見ぬまま呟く。

 しかし、大臣はアンヘルのその言葉に怪訝そうな表情を浮かべると両者を何度も交互に見遣る。一体どういうことなのかと。彼の返答に疑問を抱いたのはヘルメスも同じであったが、彼はそれを表情に出すことはせず、無表情のままにアンヘルを見つめていた。


「(……当時のカミラはまだ七歳ほど、そんな幼い少女が下心を持ってお前に近付く筈がないだろう。それに、誰もお前を見ていなかっただと? 父上や母上がどれほどお前を溺愛していたか……)」


 間近で見てきた家族だからこそ、ヘルメスには分かる。

 カミラは本当にジュードのことが好きであったし、父ジュリアスも母テルメースも、妹のエクレールも城の者たちも同じだ。ジュードは持ち前の明るさで多くの者に好かれ、民からも非常に愛されていた。

 両親はそんな彼を溺愛していたのだ、見ていなかったなどと言うことがある筈がない。

 しかし、ヘルメスがそれを口に出すことはなかった。ジュードが――否、アンヘルがそう思って消えてくれる方がヘルメスにとっては都合が良いのだ。


「(魔族に何をされたのかは知らんが、私は貴様が消えてくれるのなら満足だよ――ジュード。家族の愛もカミラも……私から全て奪ったのは貴様なのだからな。愛されるのは私だけで良い、貴様は邪魔だ(・・・・・・))」


 そこまで考えてヘルメスは薄く口元だけで笑う。

 目の前にいるのは確かに十年前に死んだ弟、カミラが愛してやまない弟なのだ。しかし、彼女のその想いが実ることはない。弟はこのように思い込み、好きになったジュードは今はもうサタンの腹の中。

 彼女はもう自分を愛す以外にはないのだと――そう思うと笑いが込み上げてきたのだ。

 それでも言うことを聞かないのなら、力ずくで手に入れてしまえばいい。こうして魔族と繋がってしまった以上――引き返せない場所まで来てしまった以上はヘルメスを止めるものはもう何もなかった。


「そんなワケだから、兄上は変なこと気にしなくていいんだよ。あの女はもう兄上のモノ、好きにすればいいさ」

「そうさせてもらおう」

「それじゃ、今後のことは何か動きがあれば伝える」


 アンヘルはそれだけを言い残すと、己の足元に黒い魔法陣を出現させ――闇の中へとその姿を消した。転移魔法だ。

 大臣は暫しその後を見つめていたが、軈て額にじっとりと滲む脂汗を片腕の裾で拭い始める。ヘルメスは大臣のそんな様子に目もくれず、静かに目を伏せると早々に踵を返した。


「ヘ、ヘルメス様、お待ちください。……本当に大丈夫なのでしょうか、もし我々が魔族と繋がって大陸の制圧を手伝ったなどと知れれば……」

「知られたところで困ることなど何もない、奴らの力では魔族に太刀打ちなど出来んのだぞ。唯一対抗出来るのは勇者の血を持つ私だけだ、責め立てれば魔族と戦えぬことくらい奴らも理解はしているだろう。尤も――私には魔族と戦う気などないがな」


 淡々としたヘルメスの返答に大臣は目を丸くさせて瞬く。だが、すぐに口角を引き上げてにんまりと笑った。文字通り「安心した」と言うかのように。

 そして開いた距離を埋めるべく早足に彼の後を追い掛けると、いつものようにその後ろに続く。


 ――ヴェリア大陸は、度重なる魔族との戦闘で支配されたのではない。

 彼らが裏でアンヘルと繋がり、魔族と取引をしたのだ。当然ヘルメスと大臣以外はこのことを知らない。

 その結果、聖地ヘイムダルは魔族により侵略され、辛うじて命を繋いでいたヴェリアの民は島の外に逃げるしかなくなったのである。

 ヘルメスとて最初は難色を示していたが、島に戻って来たカミラの様子を見てその迷いも消えてしまった。


 全ては上手くいっている、これで良いのだ。ヘルメスはそう思いながら双眸を細めて笑った。

 だが、そんな時だった。不意にヘルメスと大臣に何か大きな――とてつもなく大きな影が掛かったのだ。それと同時に、彼らの鼓膜には巨大なものが風を切る唸りが届く。

 何事だと咄嗟に上空を見上げたヘルメスの双眸が捉えたのは――夜空を滑空する巨大なもの。それは王都の上空で何度か旋回してから、ゆっくりと都の中央へと降りていく。

 大臣はヘルメスの後ろに隠れながらその様を見守り、ヘルメスは怪訝そうな面持ちで都に降りた影を見つめた。


 * * *


「な、なんだあれは……! 魔族、魔物の襲撃か何かか!?」


 一方で城に逃げ込んだ避難民たちは部屋の窓から都中心部に降りた巨大な影を見て、誰もが恐怖に慄いていた。城を守る騎士や兵士は慌てて駆け出し、真っ先に飛び出して来たクリフはそのあまりの大きさに双眸を見開いた。流石の彼も恐怖のようなものを感じたのか、言葉を失って呆然と見上げている。

 遅れて飛び出してきたマナたちはそんなクリフの傍らで立ち止まり、固唾を呑んだ。

 しかし、ウィルとカミラの手にある神器はより一層強い輝きを放ち、まるで呼応するかのように光を抱き続けていた。


「おお、随分と物騒な出迎えだな」

「お、おい、喋ったぞ。魔族なのか……!?」


 ウィルは己の左手にある神器を不思議そうに見遣り、クリフは言葉を発するソレ(・・)を前に思わず剣を構える。だが、ちびは真っ先に飛び出して巨大な影に寄り添い、カミラは夜の闇に紛れてよくは見えずとも――その巨大な身を覆う鱗に瞬きを繰り返し、恐る恐ると言った様子で声を掛けた。

 彼女には、ふと思い当たることがあったのだ。それはカミラがヴェリアの民であるからこそ浮かぶ可能性。


「蒼い鱗……まさか、竜の神さま……?」

「巫女か、こうした形で逢うのは初めてだな。ほら、お前の王子を連れ帰ったぞ」

「え……?」


 巨大なもの――それは、蒼き竜の神ヴァリトラだ。魔族の居城を飛び出してから全力で夜空を飛び、こうして王都ガルディオンへと舞い戻ったのである。

 片手を彼らの前にそっと差し出して指を開くと、その手の中にはジュードがいた。それを見てカミラは絶句したように大きく口を開けて、一拍の末に大粒の涙を次から次に溢れさせる。そして感極まったように飛び付いた。


「……ッ、ジュード!!」


 それを見てウィルたちも各々仲間と顔を見合わせて、これ以上ないほどにその表情を破顔させた。安堵、喜びなど様々な感情が混ざり合い、次の瞬間には涙となって零れ始める。

 しかし、肝心のジュードはと言えばヴァリトラの手の中で項垂れたままピクリとも動かなかった。カミラはそんな彼にしがみついたまま、そっと背中を摩る。


「……?」

「ううむ、三日ほどはこのままだろうな」

「ど、どうしたんですか? ジュードに何があったんですか?」

「いいや、何もない。ただ我が強引に飛び出してしまった所為で膨大な精神力を消費した筈だ、その精神力を眠って戻そうとしているのだよ」


 マナやカミラなども多くの精神力を使えば吸い込まれるように眠ることが多い、それと同じだろう。カミラやウィルたちはその言葉に安堵を洩らすと、表情を和らげて彼を見つめた。

 なぜ神がこうしてジュードを連れて帰って来てくれたのか、気にはなるものの今はこの言葉にならない安堵に意識が向き過ぎて、疑問を向ける気にはなれなかった。

 ヴァリトラはそんな彼らを微笑ましそうに見つめた後、城の出入り口へと視線を投じる。そこには騒ぎを聞き付けてやって来た兵士や騎士、メンフィスやグラムの姿が見えた。


 そしてその中にいたテルメースに目線を合わせると、内心で薄く笑う。彼女は片手で口元を押さえて、ヴァリトラを見つめ返してきた。その頬には涙が伝っている。


「(約束は守ったつもりだぞ、テルメース。……あとはこの子が目覚めた時に、知りたいと思う全てを我が語ろう。……今は何も考えずにゆっくり眠るがよい、王子よ)」


 ヴァリトラはジュードとその彼に寄り添う仲間たちを改めて見下ろし、広げていた両翼を静かに畳んだ。



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