第三十二話・魔心臓
「――ジュード、どこだ!」
「んもう、邪魔よアンタたち!」
ウィルたちはジュードの後を追い掛けようと、途中で合流したルルーナたちと共に屋敷を後にしていた。
しかし、この広い王都の中、ジュードは一体何処へ行ったのか。考えても分からない。
周囲では住民たちがパニックを起こして逃げ惑い、大混乱に見舞われている。
それもその筈――街の中には複数のグレムリンが出没していたのだ。ウィルたちの足止めのため、イヴリースが上空から放ったものだろう。
ルルーナは愛用の鞭を撓らせると、人々に襲い掛かるグレムリンたちの背中を強打する。
グレムリンは魔族の中でも比較的弱いものに分類されるが、戦う力を持たない者にとっては脅威でしかない。ジュードのことは心配だが、街人たちを放ってもおけなかった。
ルルーナとリンファはウィルやマナに向き直ると、慌てたように言葉を向ける。
「数が多いわねぇ……! アンタたち、ここは私たちに任せて早くジュードを探しなさい」
「け、けど……!」
「もっと頭使いなさいよね、こんな街中でアンタの魔法なんて使われたらどうなるのよ」
「私たちは大丈夫です、街の皆様を助けて必ず後から向かいます。これだけの騒ぎですから、きっとグラム様とメンフィス様も出ていらっしゃると思いますし……」
メンフィスは会議に同行、グラムは隣にあるメンフィス邸で武具の手入れをしていた筈だ。だが、あの二人が魔族の襲撃に対して黙って腰を落ち着かせている筈がない、ウィルたちよりも先に応戦に出ていることだろう。元英雄二人がいれば、恐らくは住民の避難にはそう時間が掛からない。
その間にジュードを探せと、ルルーナもリンファも言っているのだ。
二人を置いていくことに心配よりは申し訳なさを感じつつも、ウィルはマナの肩を軽く叩く。最初は考えられないことだったが、ルルーナも随分と信頼を寄せてくれるようになった。
寄せてくれると言うのなら、それに応えなければと――そう思ったのだ。
「行こう、マナ!」
「わ、分かった、気を付けてね二人とも!」
ウィルに促されてマナは何度かぎこちなく頷くと、ルルーナとリンファの二人を心配そうに見遣ってから彼と共に駆け出した。
* * *
「きゃああぁ!」
一人の女性が城の手前で転倒したのを、グレムリンの群れは見逃さない。恰好の餌だ、キキキと鳴き声とも笑い声とも判別し難い高い声を上げながら、我先にと数匹が飛び掛かる。
女性はまだ幼い自分の息子だけでも守ろうと、その身を抱き締めて顔を伏せた。
「やらせるかよ! ――雷光一閃ッ!!」
「ギイイィッ!」
母子に襲い掛かろうとしていたグレムリンたちだったが、それは真横から飛んできた雷の刃により阻まれる。雷光を纏う斬撃は直撃した一体から周囲の群れに広がり、次々に感電させていく。
グレムリンたちは苦しそうな声を上げると、程なくして王都の地面へと墜落した。女性はそんな光景を目の当たりにして、顔面蒼白になりながら浅く荒い呼吸を頻りに繰り返している。
「立てるか!? しっかりしろ!」
「ク、クリフ様……!」
「よーしよしよし、もう大丈夫だ。坊主、ちゃんとママと守ってやるんだぞ。城の中は安全だから、早く!」
「う、うん、ボクがんばるよ、ありがとう騎士さま!」
クリフは素早く母子とグレムリンの群れとの間に己の身を滑り込ませると、盾となるべく立ち塞がりながら早口に言葉を向ける。今の一撃で大半を撃ち落とすことに成功はしたが、それでもまだ上空には数多くのグレムリンが群れを成していた。
城内も完全に安全とは言えないが、城の中に侵入したものは今頃ヴィーゼが連れて来た風の騎士団に退治されていることだろう。少しでも多く、そして早く住民を避難させる方が確実に安全だ。
「クリフさあぁん!」
「……! お嬢ちゃん、メンフィス様は?」
「アメリア様のことをお任せしました、ジュードは?」
「坊主? いや、俺は見てないが……」
母子と入れ替わる形で、城からはカミラとエクレールが出てきた。両者とも手に武器を持っていると言うことは、やはり城内にも敵の侵入を許しているのだろう。
カミラから掛かる言葉に返答を向けながら、クリフは急降下してきたグレムリンの爪による一撃を盾で防ぐ。その威力はそれほど高くないらしい、防いでも腕に響くほどの衝撃はなかった。
――これならば、人手がない方が有利に戦える。そう判断するとクリフは敵に向き合ったまま改めて口を開いた。
「お嬢ちゃん、坊主を探しに行くなら早く行け。ここは俺一人で充分だ」
「で、でも、大丈夫なんですか!?」
「ははは、見くびってくれるなよ。俺の戦法は寧ろ周りに人がいない方がやり易いんだよ、雷ババーンって感じだからな」
カミラは依然として心配は払拭出来ぬものの、軈て小さく頷いてから駆け出した。エクレールは申し訳なさそうにペコリと彼に一礼すると、一拍遅れてからカミラの後を追いかけていく。
「(外の世界の方々はお優しい方ばかり……生きるために必死に戦っていらっしゃる。だと言うのに我々は……)」
先の会議室でのやり取りを思い返せば、エクレールの胸は痛むばかり。
なぜ自分は女に生まれてしまったのだろう――と、そんなことを考えていると少し先を駆けていたカミラがふと困ったように立ち止まった。
「カミラ様、どうなされたのですか?」
「う、うぅ……ガルディオンは広いからどこを探せばいいか分からなくて……」
――そうなのだ、このガルディオンは王都と言うだけあって非常に広い。ましてや街のあちらこちらが襲撃を受けている状態だ。
恐らくはジュードたちも応戦に出ていることだろう。しかし、誰が何処に行っているか。それは全く分からなかった。
するとエクレールは片手を宙に伸べて静かに口を開く。
「ウィスプ、ジュードさんを探してください。わたくしと似た気配を辿れば分かる筈です」
ウィスプ――と呼ばれた光の炎はエクレールの手の平の上に出現すると、ふよふよと宙に舞い上がる。しかし、次の瞬間――何かに怯えたように慌ただしく揺らめいた。
そしてまるで泣き付くかの如くエクレールの胸辺りに飛び付き、必死に彼女とカミラの周囲に光の結界のようなものを張り巡らせる。
「ど、どうしたのです? 何が……」
エクレールはそんなウィスプをそっと抱き締めて宥め、カミラはその様子を不思議そうに見つめる。
――精霊が怯えている。言葉は分からずとも、そう思った。
その刹那――周囲からは苦悶の声が上がり始める。
「な、なに……!?」
それは逃げ惑っていた住人たちのものだ、近場で襲撃を受けている者がいるのかと一度はそう思ったのだが、どうやら違ったらしい。
辺りにいた住人たちはグレムリンに襲われている訳ではない。だと言うのに誰もが皆、苦しそうにその場に四つん這いになり胸を押さえている。中には嘔吐している者さえいた。
一体どうしたのか、何があったと言うのか。
『……魔心臓だ』
「え……?」
『魔心臓とはその名の通り心臓だ。特に重苦しい負の感情を大量に注入し、被検体の身に埋め込んで使う。特殊な技法を使い、目に見えない筈の負の感情を血液と混ぜ合わせることで爆発的に身体能力を向上させる』
「それって……」
『被検体が力を解放すれば……その身からは大量の負の感情が放出され、その場を穢していく。彼らは一時的にそれにやられているんだ。ウィスプが張ってくれた結界がなければ俺たちもああなっていただろう』
ジェントの言葉にカミラは改めて周囲を見回す。苦しんでいるだけで、今はそれ以上の症状は出ていないようだが――この状態が長く続けばどうなるか分からない。
現状を打破するには、この負の感情を撒き散らす本体を何とかすること。
『ここまで禍々しい気配を放てば居場所は分かる……都の外だ、恐らくジュードもそこだろう。都に被害が出ることを考えて外に出たんだ』
「――!」
その言葉を聞くなり、カミラは全身から血の気が引いていくのを感じた。
ジュードが、都の外に。それも、ここまで禍々しい気配を放つ敵と対峙している。そう聞くと居ても立っても居られない、カミラはそれまで止めていた足を再び動かして都の出入り口へと駆け出した。
エクレールは突如として駆け出す彼女に目を丸くさせると、一拍遅れながらも慌ててその後を追い掛ける。
「(ジュードもああなっていたら、敵の前で無防備に……! どうしよう、どうしよう……! わたしが昨日ちゃんと言っておけば、好きって言ってたら……聖剣を渡せていたら、危険な目に遭わせないで済んだかもしれないのに……!)」
カミラたちはウィスプが張ってくれた結界のお陰で難を逃れたようだが、周りは違う。その場に居合わせた誰もが、苦しそうに胸を押さえて倒れ込んでいた。
仲間たちは大丈夫なんだろうか、行けと言ってくれたクリフは、ウィルたちは――カミラの頭には様々な心配が寄せては引いていく。
どうか無事でいてくれるように――そう願いながらカミラはエクレールと共に王都の出入り口へと急いだ。