第八話・魔物との距離感
「ジュード! 何度言えば分かるのだ!」
今日も青空の下に、メンフィスの怒声が響き渡った。
ジュードは頭を垂れて小さく溜息を吐く。メンフィスはそんな彼の腕を掴み、強引に馬車の隣へと引き摺っていった。
ジュードは強制的に座らされると、続いて腕に氷嚢を押し付けられる。その冷たさに僅かばかり痛みさえ感じながらも文句は言わなかった。
メンフィスは慣れた様子で、ジュードの右手首から肘の辺りまで包帯を巻いていく。その表情は怒っているようにも見えるが、双眸には確かな心配の色が宿っていた。
「メンフィスさん、あの……」
――心配を掛けている。
それは考えなくとも理解出来ることであった。ジュードは何か言おうとはしたのだが、結局言葉にはならずに喉の奥へと沈んでいく。メンフィスはそんなジュードを一瞥し、申し訳なさが浮かぶ彼の風貌を確認して目を伏せた。
「……ジュード、魔物の命を奪うのがそんなに嫌か?」
ジュードはメンフィスに剣を習うようになったが、依然として魔物の命を奪うことに抵抗があった。いざ戦闘となっても、トドメを刺すとなれば剣先は途端に空振りばかりが目立つようになるし、集中力もなくなり完全に注意散漫状態。敵の反撃を受けて生傷をこさえるのが常となってしまっていた。
そして今も、軽い打撲を受けた箇所をメンフィスが手当てしている。そんな状態だ。向けられた問い掛けに、ジュードは暫し黙り込んだ後に小さく頷いた。
「……分かってるんです、躊躇ったら自分がやられるんだってことは」
「……うむ」
「けど、狂暴化する前は……オレにとって魔物は身近な存在だったんです。うんと小さい頃は森で一緒に遊んだりもして」
まだジュード達が幼い身であった頃。僅かな期間ではあったが、神護の森に迷い込んできた魔物と共に遊んだことがあった。神護の森の神聖な空気は魔物の毒気さえ抜き、普通の動物と変わらない穏やかさを与えたのである。
ジュードとて、勉強の類は嫌いだがただの馬鹿ではない。既にそれは過去のことであり、更に言うならここは比較的魔物が穏やかな風の国ではなく、激戦区と言われる火の国であることも理解はしていた。
「……分かってるんです。でも頭が、身体が付いてきてくれなくて」
ジュードは昔から神護の森に入り浸っていた。だからこそ、ウィルやマナよりも魔物と遭遇する機会が多かったのである。迷い込んできた魔物と、友のように遊び回ることも。
大切な父に怪我をさせたのも魔物ではあるのだが、ジュードはどうにも『魔物』という一括りで見る気にも、憎む気にもなれなかった。それが過去の楽しかった思い出から来るものか、ただの甘さなのかは定かではないが。
メンフィスは暫し難しい表情でジュードを見つめていたが、やがて何も言わずに立ち上がる。踵を返し馬車の前側に乗り込むと、いつものように手綱を片手に取り、そこで漸くジュードに一声掛けた。
「……乗りなさい。休憩は終わりだ、行くぞ」
ジュードはその言葉に静かに頷くと、座していたそこから立ち上がる。ウィルは馬車の中から扉を開け、乗り込む手助けをするべく片手を差し出した。
「ジュード、手は大丈夫か?」
「ああ……うん」
風の国へ向かうこの道中でさえも、何度か魔物の襲撃があった。確実に魔物の狂暴化は進んでいるのだと理解出来る。特にこの火の国はそれが顕著だ。
ジュードは差し出された手を掴み馬車へと乗り込む。扉が閉ざされるのを合図にゆっくりと走り出す馬車の中、ジュードはウィルの隣へと腰を落ち着かせた。正面に座るマナは、心配そうに眉尻を下げて口を開く。
「本当に大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だよ。大したことないから」
ジュードの右腕に巻かれたばかりの包帯を見つめて、マナは微かに表情を曇らせる。
火の国の魔物はやはり手強い。ウィルやマナも何度か傷を負うことはあったが、彼らの怪我や傷は全てカミラが扱う治癒魔法により、即座に癒されていくのである。
しかし、ジュードはそう言う訳にはいかない。彼は魔法を受け付けない特異体質の持ち主。攻撃魔法はもちろんだが、能力を一時的に上昇させるような補助魔法や傷を癒す治癒魔法さえも受け付けない身だ。一旦魔法を受ければ、高熱を出して一晩は寝込んでしまう。
だからこそ、そんなジュードの身には生傷が刻まれたままだ。腕に巻かれた包帯も頬に貼られた絆創膏も痛々しく感じられる。
ルルーナはいつものようにジュードの傍らへ寄り添うと、その肩に頭を預けて軽く寄り掛かった。
「しっかりして、ジュード。あなたが怪我ばかりしていたら心配だわ」
「……分かってる」
ジュードとて、仲間に心配を掛けているというのはよく分かっていた。特にウィルやマナはもう長い付き合いである。心配する気持ちはルルーナやカミラより遥かに強い。
いつものようにジュードにくっつくルルーナに、マナも一度は怒号を飛ばそうとはしたのだが、結局言葉にはならずに口を閉ざした。どうにも、そんな気になれなかったのである。
カミラはただ一人、多少離れた場所に座り込みぼんやりとジュードを見つめていた。
* * *
結局、王都ガルディオンを発って三日目となるこの日も、水の国への入国には至らなかった。
この日は、風の国と水の国とを繋ぐ関所にほど近い、風の国の王都フェンベルで一泊することになったのである。
馬車を降りたジュード達は、取り敢えず宿へと足を向けた。ジュード、ウィル、マナ。三人から見れば王都フェンベルは庭のようなものだ。
宿に入ると看板娘のプリムという少女が忙しなく動き回り、あくせく働いていた。彼女はマナの昔からの友人だ。どうやら今の時間帯は軽食屋の担当らしい。両手に銀のトレイを持ち、様々な料理を配膳していく。休みなく動き回る様は何処となく小動物のようで、ジュードは思わず小さく笑った。
すると、そこへ宿のカウンターから声が掛かる。
「あら、もしかしてジュード君? あらあら、ウチの宿に泊まってくれるの?」
「あ、こんにちは。部屋二つって空いてますか?」
「もちろんよ、二階の一番奥の二つを使ってちょうだい。ジュード君が泊まってくれるとプリムも喜ぶわ」
カウンターの中にいたのは、栗色の柔らかそうな髪を高い位置で纏めた見た目麗しい女性であった。プリムの母親で、宿の女将をしている。
柔らかな物腰ながら掴み所のなさそうな様子が主に男の客にウケており、宿はほとんど彼女が一人で切り盛りしている時もあった。
「ウィル君にマナちゃんも一緒なのね。あらあら、ウィル君はカッコ良くなったし、マナちゃんはまた一段と美人になったんじゃない?」
「やだ、おばさんったら。おばさんこそ、相変わらずお綺麗ですよ」
女将がそれぞれウィルやマナに目を向けると、二人も笑顔で挨拶を向ける。
マナはプリムと口論になることも多いが、互いに気心知れた仲であり冗談で軽口を叩いていることがほとんどである。ジュードやウィルも仕事の際にこの宿を使うことが多く、マナの家族のようなものということもあってか既に仲の良い関係だ。
女将はその後ろに控える見慣れぬ二人の女性に目を向け、片手を頬に添えて小首を傾げてみせた。
「あら、今日は随分とたくさんいらっしゃるのね」
「うん、ちょっと仕事でね。青い方がカミラさん、ピンクの方がルルーナって言うんだ。あともう一人、メンフィスさんっていう人がいるんだけど、馬車を停めてから来るよ」
「そう、分かったわ」
女将はジュードの言葉に笑って何度か頷くと、早速宿帳へと記載していく。鼻歌なぞ交え、上機嫌そうに見えた。
そこへ、仕事もひと段落したのか娘のプリムが駆け寄ってくる。表情を輝かせて――こちらもやはり嬉しそうだ。
「あっ、ジュード! マナにウィルも!」
「プリム、お疲れさま。お邪魔してるわよ」
マナは嬉しそうなプリムの姿を目の当たりにすると、自然と表情を緩ませる。プリムも彼女に視線を向けてそちらに駆け寄った。
昔からの付き合いである二人は、ただの友人と言うよりは既に親友のようなものである。
「久しぶりじゃない、マナ! ……相変わらず進展はないみたいだけど」
「うるさいわね、あったらあったで騒ぐじゃないの」
チラと一度プリムはジュードを見遣るが、一向にマナとの心の距離感が縮まっていないことを理解すると、揶揄するように薄い笑みを浮かべて彼女に小さく耳打ちをした。
マナは双眸を半眼に細めて一言返すのみに留める。何を隠そう、プリムもまたジュードに好意を抱いているからだ。二人は親友でもあり恋敵でもある。
ジュードは不思議そうに首を捻り、ウィルは苦笑い混じりに肩を疎ませた。
だが、プリムはマナの後ろに見慣れない二人を見付けると、暫し無言で眺めた後に双眸を細めて勢い良くジュードを振り返る。
「……ちょっとジュード、あんたは本当に女ばっか侍らせて……」
「なんだよそれ……」
彼女の言葉にジュードは軽く眉尻を下げるが、プリムはそんなジュードに構わずに改めて見慣れぬ二人へ向き直った。
カミラは慌てて頭を下げると先に口を開く。
「は、はじめまして。カミラと言います」
「……プリムです、はじめまして」
緊張からか、カミラの頬はいつものようにほんのりと赤い。プリムは暫し彼女の様子を窺いはしたが、やがて人好きのする笑みを表情に貼り付けて挨拶を返した。職業柄、愛想笑いはお手の物である。
そして次にルルーナへと目を向けるのだが、ルルーナはプリムには目もくれず嫌そうに宿の内装を見渡していた。
「はあ、オンボロねぇ……まあ、野宿よりはマシと思った方がいいのかしら」
「……オンボロでごめんなさいねぇ。これでも色々なお客様にご贔屓にして頂いているんです」
「あら、失礼。ジュードのご友人なら、私もしっかりしなくちゃね」
ルルーナはプリムの言葉に対し今更ながら気付いたように彼女へ視線を向けると、片手を口元に添えて小さく咳払いを一つ。怪訝そうなプリムの様子には構わずジュードの元へ歩み寄れば、彼の腕に片腕を絡め寄り添いながらにっこりと笑った。
ジュードとウィルはほぼ同時に身を固めて表情を引き攣らせる。
「はじめまして、プリムさん。私、ジュードの恋人のルルーナです」
「な……」
その言葉にプリムは目をひん剥いて文字通り固まり、ジュードは「違う!」と咄嗟に声を上げ、マナは眉を吊り上げて拳を握り締める。カミラは困ったようにオロオロしながら成り行きを見守っていた。
「な、ななな……っ! ちょっとマナ、どういうことなの!? なんなのよ、このアバズレは!」
「お、落ち着きなさいよプリム、これは――」
街娘らしいごく普通のワンピースを身に纏うプリムから見れば、胸元が大きく開き、大胆なスリットさえ入った露出度の高過ぎるドレスを着用するルルーナはひどく卑猥な存在として映る。プリムが露出している箇所と言えば、半袖の下から覗く腕とスカートで隠れない足首程度だ。
オマケにルルーナは、大胆なその装いの上には何も羽織っておらず、肩や胸元、背中や太股など惜しげもなく人目に晒しているのだから。プリムからすれば、そんな格好で街中を歩き回るなど信じられないことだった。更に、そんな女が想い人の恋人だと言う。最早ジュードが上げた否定の声は彼女の頭には入っていない。
プリムは大股でジュードに歩み寄ると、ルルーナが絡めるのとは逆の腕を引っ張った。
「ちょっとジュード! どう言うことよ!」
「ど、どうって……」
「ジュードもそういう露出狂が好きなワケ!? やっぱりあんたも立派に男なのね!」
「誤解だ! って言うか違うって言っただろ!」
そればかりは譲れないとジュードは慌てて頭を左右に振り、再度声を上げた。ルルーナはそっと目を細めて更にジュードに身を寄せる、完全なる修羅場だとウィルは思った。