第二十九話・ジュードの答え
「ったくよぉ、なんなんだよあのジジイ。掃除が行き届いてないだの、こんな蒸し暑い部屋で寝れるかだの、飯がマズいだの……胃が痛いったらないぜ」
「お疲れさま、クリフさん。はい、お酒」
「おっ、分かってるねぇマナちゃん」
その日の夜、ジュードたちが休む屋敷にはメンフィスとクリフがやって来ていた。メンフィスは積もる話を聞きに、クリフは愚痴を言うために。
部屋に案内してからも大臣にとやかく言われたのだろう、彼の端正な顔は不機嫌そうに歪み口を開けば次々に愚痴が飛び出してくる。
マナが用意したジョッキを呷り、中の酒を一気に飲み干すとそこでようやく少し落ち着いたらしい、顔を俯けて深い吐息を洩らした。
「でも、ほんっと失礼な連中よね。勇者様の子孫だからなんだってのよ」
「よっぽどご自慢なんでしょ、伝説の勇者の子孫ってことが。あの王女様はそんなことないから話し易くて良いけどさ」
「エクレール様ですね。ですが……エクレール様やテルメース様、他の方々も比較的悪い方ではないように見えます。大臣様とヘルメス様は存じませんが……」
マナとルルーナは互いにテーブルを挟み対面する形で、食事を進めている。ストレスが溜まると必要以上に食欲が増すのだろう。先程夕食を終えたばかりだと言うのに、彼女たちの手は一向に止まらない。
しかし、リンファの言葉にグラムは小さく唸ると同意を示すように頷いた。
そうなのだ、王妃と王女だけではない。横柄な態度を取るのはヘルメスと大臣とその一部だけで、他の兵士や騎士、侍女と思われる民は寧ろ友好的なのである。
故に、ヴェリアの民全体が嫌な連中だと一括りには出来ずにいた。
「明日からは今後のことについて色々と話し合わねばならん、アメリア様のご心労も心配だな」
「お前が脅してやれば良いじゃないか」
「はっはっは! やれるモンならやっとるわ!」
メンフィスもグラムも既に赤ら顔だ、酒が回っているのだろう。互いに互いを小突き合いながら豪快に酒を呷り、愉快そうに声を立てて笑い合っている。
クリフはそんな嘗ての英雄二人を苦笑い混じりに眺めた末に、ふと神妙な面持ちで呟いた。
「けど……シルヴァさんが亡くなったなんてな、まだ信じられないぜ」
「……すみません」
「お前たちの責任じゃないさ、そうなったのも魔族の所為だ。責めようなんて思ってねーから、そんな顔すんなよ」
「そうとも、……お前たちにも辛い想いをさせたな」
その呟きに対し、ウィルは申し訳なさそうに視線を下げて一つ謝罪を告げる。自分たちがあの時、シルヴァを置いていかなければ彼女は死なずに済んだのだ。
――その代わり、リーブルやオリヴィアなどの王族は救えなかったかもしれないが。
だが、クリフは小さく頭を横に揺らすとウィルの肩を軽く叩く。慰めるように。その彼の言葉にはメンフィスが同意を示して、言葉を続けた。
そして彼らが尤も気になっているのは――やはり、ジュードのことだ。
「それにしても、ジュードがヴェリアの王子だと言う話は本当なのか?」
「さあ、それはワシにも分からんよ。だが、王子であろうとなかろうとあの子はワシの可愛い息子だ」
「がっはっは! 違いない、お前の親バカっぷりは昔からヒドイものだったからな! わははは!」
「お前にだけは言われたくないわ!!」
メンフィスは以前、アメリアと話していたことがある。
あれは確か、カミラが姫巫女だと知った直後だ。姫巫女が現れたのだから、これで勇者がいてくれたら人々の希望になるのに、と。
ジュードがヴェリアの王子なのだとしたら、真に勇者とされるべきはヘルメスではない。寧ろジュードの方だ。ヘルメスの氷のように冷たい双眸には、人々は希望など見出せない。彼が勇者の子孫であろうと、だ。
明日からの話し合いを考えれば、メンフィスとて気が重い。けれども、ヘルメスに本当に勇者の素質があるのかどうか――それを確認しなければならないと、そう思った。
* * *
「ご、ごごごめんね、休んでたのに」
「いや、大丈夫だよ。休んでたって言っても寝てた訳じゃないから」
ジュードとカミラは賑やかな食堂ではなく、それぞれ自室で身を休めていたのだが――カミラは少しばかり休んだ後にジュードの部屋を訪れていた。
現在は屋敷の二階に上がり、テラスから共に星空を見上げている状態だ。緩やかに吹き付ける生温い風が、何処か心地好い。緊張から顔が上気している所為だろう。
「ラ、ライオットたちは?」
「散歩してくるってイスキアさんたちと出て行ったよ」
「そっか……」
カミラには、話したいことがいっぱいある。疲れていないか、気分はどうか、頭の中は落ち着いたか――大丈夫か。本当に色々なことが。
しかし、それらをどのように聞けば良いのか全く分からなかった。大丈夫かと聞けば、恐らく大丈夫としか言わないだろう。それは既に熟知したジュードの悪癖だ。
「……ごめんね」
どうしよう、とカミラがうんうん唸っていると、そんな謝罪が彼女の鼓膜を揺らした。
彼が一体何を謝ると言うのか。カミラはそう考えて思わず首を捻る。
「心配掛けてるな、って分かってはいるんだ。カミラさんにもウィルたちにも」
「う、うん」
「けど、どうしたら良いのか分からなくて。……オレ、父さんに拾われるまでのこと何も覚えてないし。それでいきなりヴェリアの王子だなんて言われても……」
「……うん」
そう呟いて、ジュードは薄く苦笑いを浮かべながら己の後頭部を掻いた。
記憶喪失と言うには、あまりにもおかしい。ヴェリアの名前を聞いても、テルメースやエクレール、ヘルメスの顔を見ても全く何も感じないのだ。
もしも記憶喪失なのだとしたら、懐かしく思ったりするものではないだろうか。
けれども、ジュードにはそのような感覚が全くない。どう見ても、自分の知らない人たちだ。
「(でも、あの時……エクレールさんが泣いてた時、撫でて慰めるのが当たり前みたいに感じたっけ)」
カームの街でエクレールが泣いた時だ、記憶にはなくとも身体が覚えてるような――そんな感覚だった。
自分はどうして昔を覚えていないのだろう、どうすれば思い出せるのだろう。近頃のジュードはそんなことばかり考えていた。
それと同時に芽生えるのは、このカミラへの罪悪感だ。
「……ごめんね、カミラさん。失望させてると思う……」
「え? ど、どうして?」
「オレがヴェリアの第二王子ってことは……その、カミラさんにとっては昔、ええと……」
ジュードがヴェリアの第二王子と言うことは、昔カミラと好き合っていた張本人だ。
そこまで考えて、カミラは彼が何を言いたいのかを理解し――そして両手を振り上げて怒り始める。自分はあの第二王子かもしれないのに彼女のことを何も覚えていなくて失望しただろう、そう言いたいのだと。
「失望なんてしないよ! ジュードがあの時の王子さまでもそうじゃなくても、わたしどっちでもいいもん! わたしはジュードがどっちだって好――」
「……?」
「……じゅ、じゅーどはじゅーどだよ」
つい感情に任せて出そうになった告白は、寸前のところで彼女の手によって止められた。両手で勢い良く己の口を押えて、カミラは言葉もなくふるふると頭を横に振る。夜の闇の所為で分からないが、その顔は耳や首まで真っ赤だ。
勢いに乗せてうっかり告白してしまうところだった訳だが、ジュードは不思議そうに首を捻るばかり。罪な鈍さである。
カミラはぎこちない口調で取り繕うと、深く吐息を洩らしてから改めて口を開いた。
「……ジュード、一つ聞きたいことがあるの」
「ん?」
「ジュードは……これからも魔族と戦うの?」
その突然の問い掛けにジュードは目を丸くさせると、意図を量りかねて暫し彼女を見つめたまま黙り込む。
だが、程なくして小さく頷いた。魔族との戦いは恐らくこれからが本番だ。
「うん、戦うよ」
「も、もう戦わなくていいって言っても? ヘルメス様たちが合流したし、ジュードたちが無理に戦うことは……」
「それでも戦うよ。一度首を突っ込んじゃったことだし、女王様もヴィーゼ王子も、リーブル様もみんな必死で何とかしようとしてる。それに……シルヴァさんのためにも、逃げたくないんだ」
「……怖くはないの? 相手は魔族なんだよ、アルシエルはとても恐ろしい力を持ってるって聞いてるし……」
カミラがなんと言おうと、ジュードの表情は一つたりとも変わることはなかった。真っ直ぐに夜空を見上げたまま、不安など微塵も浮かばない表情で躊躇なく返答してくる。
だが、今後はアルシエルとも戦うことになるだろう。今の魔族を率いている長だ。その力はどれほどのものか。
それでも、ジュードは迷うような素振りを一切見せなかった。
「オレは魔族よりも、何もしないでみんなが殺される方が怖いよ」
その言葉に、カミラは息を呑んだ。なんとなく視界が開けた気さえする。
――ジュードはそういう男だ、敵を前に臆することなどない。あったのはただの一度、初めてサタンと邂逅を果たした時だけ。
それに、ウィルが風の神器の継承者として選ばれたと聞いた。彼はこれからも戦いに参加することになるだろう。ならば、ジュードが行かない筈がないのだ。
カミラは泣きそうな、しかし安心したような表情で星空に視線を移す。
「(……でも、ここでいきなり告白なんて出来ないようぅ……)」
好きだと、一言そう言えば良いのかもしれない。そうすれば彼女に掛けられた聖剣の封印は解けるだろう。ジュードを次の継承者と定めて。
それでも、考えれば考えるだけ言葉が喉の奥に沈んでいく。その想いを彼に告げるには、今暫くの時間が必要なようだ。