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第二十八話・懐かしい想い出


 ははうえ、と呼ぶ声にテルメースは穏やかに微笑みながら振り返る。

 すると、そこには先日六歳になったばかりの愛息子が立っていた。息を切らせて、小さな肩を上下させながら。子供特有の丸みを帯びた頬は上気しており、走って来たということが見た目からよく分かる。

 そして、彼女には思い当たることがあった。この幼い息子が何処から走って来たのか。


『あらあら、また先生から逃げてきたのね?』

『だって、ぼくおべんきょう好きじゃないんだもの』

『うふふ、本当にこの子ったら……あら、先生が来たわよ』


 その場に屈み愛息子と目線を合わせながら、テルメースはその頭をやんわりと撫で付ける。けれども、そんな穏やかな時間を壊すように、彼女の視界には一人の男性が駆けてくる姿が映った。

 それは、この息子の教師として城に住んでいる青年だ。


『ああッ! やはりテルメース様のところにいらしたのですね、王子! 今日こそはちゃんと私の授業を受けて頂きますよ!』

『ふぎゃッ! や、やだよおおぉ!』

『ダメですっ! いけません! しっかりお勉強して頂かないと私が大臣様に怒られるんですよジュード様ああぁ!』


 ジュード――そう呼ばれた赤茶色の髪をした愛息子は大慌てでテルメースの後ろに隠れ、対する教師の青年は半泣きになりながら土下座までする始末。

 辺りでは侍女や騎士たちが、その日常茶飯事の光景を見つめて愉快そうに笑っていた。

 そうして一通り騒いで、ジュードは結局青年に引き摺られていく。

 それが、いつもの光景だった。


 * * *


 懐かしい日々を思い返しながら、テルメースはふっと笑う。嬉しそうに、それでも何処か泣きそうに。

 火の王都に着いてからと言うもの、城に向かう道すがら――色々な者がジュードに声を掛ける。街の住人、鍛冶屋の男たちを始め――城の警備兵や騎士、メイドなど本当に様々な者が。

 そして謁見の間に通じる大扉の前では、二人の男が表情を輝かせてジュードたちを出迎えてくれた。


「おっ! 本当に戻ってきたな坊主! 待ってたぜ!」

「おお、待ちかねたぞお前たち! なんだなんだ、酒がマズくなりそうな顔も見えるじゃないか。お前も来たのか、グラム」

「クリフさん、メンフィスさんも!」

「ほう、俺が来たら悪いのか? ったく、酒がマズくなるはこっちの台詞だ」


 クリフとメンフィスはジュードたちの姿を確認すると、嬉しそうに表情を綻ばせて駆け寄ってきた。それを見てジュードやカミラはもちろんのこと、その後ろを各々歩いていたウィルやマナ、ルルーナにリンファも同様にその相貌を和らげる。

 彼らの顔を見て、そこでようやく「帰って来た」と実感が湧いた。

 メンフィスは早速と言わんばかりにグラムに軽口を向けるし、グラムはその悪友に対し同様の軽口で返す。

 そんな光景を見つめて、テルメースは静かに目を伏せた。


「(……変わらないのね、ジュード。あなたは昔からそう、周りの人たちにいっぱい愛されて……生きていてくれてありがとう、本当に……)」


 言葉にこそ出せなくとも、そう思った。

 彼女の目に映るジュードは、昔と全く変わってなどいないのだから。


 * * *


 そのまま謁見の間に足を踏み入れると、女王のアメリアが嬉しそうに笑って迎えてくれた。座していた玉座から立ち上がり、待ちきれないとばかりに目の前の数段を降りてくる。ジュードたちの姿を確認して、それまで女王と話していただろう水の王リーブルもまた、その相貌に笑みを滲ませた。

 しかし、やって来た団体の中にテルメースの姿を見つけると思わずその目を見開く。そしてそれは彼女も同じだったか、テルメースの表情は驚愕一色に染まった。


「戻ったのだな、ジュード。長く苦しい道のりだっただろう、よくやってくれた」

「ただいま戻りました、女王様」

「リーブル様から大体の話は窺った、グランヴェルのことは残念だが……致し方あるまい。我々は手を取り合って魔族と戦わねばならぬ、仲間内でどちらが上だの言っていては士気に関わるからな」


 だが、今は状況が状況だ。リーブルもテルメースも言葉を交わすには至らず、その視線は共に女王へと向けた。

 けれども、女王アメリアは彼らの人数が明らかに多すぎることに不思議そうに首を捻る。彼女が使者として出したのはジュードたちのみ、リーブルからヴィーゼ王子率いる騎士団が後から来るとは聞いていたが、それにしては人数が多過ぎたのだ。


「アメリア様、大変ご無沙汰致しております」

「そなた……グラム殿だな! ジュードから怪我をしたと聞いていたが、もう良いのか? そなたまで来てくれるとは思っておらんかったぞ」

「は、まだまだ若い者には負けていられませんからな。……アメリア様、こちらはヴェリア王国の方々です、カームの街で合流致しました」


 グラムは一歩前に足を踏み出すと、片腕を己の腹辺りに添えて軽く頭を下げる。するとアメリアは久方振りに顔を見る嘗ての英雄に殊更嬉しそうな笑みを浮かべて、その再会を純粋に喜んだ。

 だが、続くグラムの言葉にアメリアやメンフィス、クリフは表情を強張らせた。嫌悪ではなく、驚愕と緊張が見て取れる。

 これまでどうしているかも定かではなかった大陸の者たちだ、無理もないだろう。

 カミラは実際に大陸行きの船に乗り、その中であったことを報告しようと口を開きかけたのだが――それよりも先に大臣が言葉を紡いだ。


「あなたがこの国の王ですか、女が王とはまったく……この国は変わり映えしませんな」

「なに? 失礼ながら、我が女王陛下を侮辱するのでしたら許しませぬぞ」


 大臣の言葉にいち早く反応したのは、当然側近のメンフィスだ。隠すでもなく表情に幾許かの嫌悪を乗せ、腰の曲がったその様を睨み据える。

 するとその厳つい風貌と鋭い視線に大臣は一度小さく身を跳ねさせて蒼褪めるが、すぐに咳払いを一つ洩らすと杖で何度か床を小突いた。


「ともかく、我々は長旅で疲れているのです。尊き光の王族様方を立ちっぱなしで世間話など以ての外、我らが休める部屋はあるのでしょうな?」

「女王様の御前で何を言うのです、おやめなさい。……女王様、今後のことをお話させて頂きたく思いますが、この者たちを少し休ませてやりたいのです。私たちが使えるお部屋は御座いますでしょうか?」

「え、ええ、気が回りませんで申し訳ありません。……クリフ、案内を」


 そんな大臣の物言いを制すのも、やはりテルメースであった。大臣の傍らに佇むヘルメスは何処吹く風と言った様子で無礼な言動に咎めを向けることもない。

 テルメースの言葉にアメリアは小さく頭を左右に振ると、メンフィスの傍らに控えるクリフへと指示を向けた。そこはやはり若くとも騎士か、彼の表情には穏やかな笑みが浮かんでいる。――雰囲気は、明らかに険悪なものだが。


 クリフはにっこりと笑うと「は」と了承の返事のみを向け、先に謁見の間を出て行く。

 すると、ヴェリアの民は安堵を表情に乗せるなり、アメリアに各々頭を下げてその彼に続いた。不安そうに成り行きを見守っていたエクレールもまた、彼女に深く頭を下げ――テルメースと共に謁見の間を後にする。大臣やヘルメスだけは、そのままお辞儀もせずに踵を返してしまったが。


「……ヴェリア王国の者たちか、生きていらしたのだな。しかし……」

「ええ、なんとも無礼なことです。私もここまでの道中で少しお話しましたが、驚きました」

「ふふ、よく来てくれたヴィーゼ王子。……仕方ない、彼らも気が昂っているのかもしれん。メンフィス、王子たちの部屋も用意してくれ、明日には今後のことについて色々と話し合わねばならんからな。今日はゆっくりと身を休めて頂かなくては」

「あはは、私たちは大丈夫ですよ。久方振りにアメリア様の美しさを前にして、気分は寧ろ昂揚しているほどです」


 ヴィーゼのその言葉には、アメリアのみならずジュードたちもまた小さく吹き出した。何処までも軽い物言いは、こんな時に特に場を和ませてくれる。

 一頻り笑うと、アメリアはジュードたちに向き直った。


「君たちもご苦労だった。疲れただろう、今後のことは追って報せる。とにかく今は屋敷に戻って身を休めてくれ」

「そうねぇ、ほんと疲れちゃった。でも……なんか、やっと帰ってこれたって感じ」

「そうですね……リーブル様、私たちはメンフィス様の屋敷に戻ります。何かあればお呼びください」


 アメリアの言葉に、マナはそこでようやく安堵を滲ませて何度も頷いた。リンファはそんな彼女にごく僅かに表情を和らげると、リーブルに向き直って一言向ける。どれほど疲れていても彼のことを忘れないのは、流石と言ったところだ。

 するとリーブルはにこやかに頷き、小さく手を振った。

 ともかく、考えることは山のようにあるが――それでも、マナの言うようにやっとガルディオンに帰ってこれたのだ。ともかく今は、何も考えず死んだように眠りたい。その場に居合わせる誰もがそう思った。



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