第二十六話・黄金の流星
「……?」
カミラは頬にあたる固い感触に目を覚ました。
首裏と背中が猛烈に痛い、どうやら昨晩あのまま部屋に戻らずに食堂のテーブルに突っ伏す形で眠ってしまったらしい。凝り固まった身をほぐすようにゆっくり肩や首を動かしながら身を起こした彼女の視界には、ふと――ジュードが映り込んだ。
彼女と向かい合う位置に座り、彼もまたその場で突っ伏して眠っていたのである。カミラは思わず瞬きも忘れて双眸をまん丸くさせた。
『あの後、少ししてから戻ったんだ。父に随分と説得されていたが、君が起きるのを待つと言ってそのまま……』
「……」
傍らから聞こえてきたジェントの言葉に、カミラは暫しジュードを見つめたままぼんやりとしていた。そこで、ふと自分の身に毛布が掛けられていることに気付く。
恐らくジュードかグラムだろう。港街の朝は冷える。
カミラは毛布を片手で押さえながら静かに椅子から立ち上がると、テーブルを回り込んでジュードの傍らからそっと様子を窺った。
ジュードの目元は赤く、やや腫れぼったい。
別行動していたのはごく僅かな期間だと言うのに、その間にも色々あったと聞いた。カミラの目に映るジュードは、ひどく疲れているように見える。
だと言うのに、昨日のあの騒ぎに加えてエクレールの言葉。頭の中がメチャクチャにならない方がおかしいのだ。
「(ジュード、お疲れさま。今、ジュードの心配事を一つなくすからね)」
起こしてしまわないように彼の頭をそっと撫で付けると、カミラは毛布を畳んでテーブルの上へと置いた。そして踵を返すと、宿を出て行く。
外では海鳥が悠々と青空を飛び交い、港からはゆったりとした波の音が聞こえてくる。昨日の今日と言うこともあり、今朝は漁船などは出ていないようだ。
そこへ、二階の部屋の窓からライオットが飛び出てきた。カミラの姿を見つけて飛び降りてきたのだろう。
「カミラ、おはように!」
「おはよう、ライオット」
「うに、早速やるに?」
「うん、協力してね」
カミラの言葉にライオットは短い手を挙げて「任せるに!」と自信満々に言い放ち、彼女の頭の上に飛び乗った。カミラの頭には今もまだ、あの金のカチューシャが輝いている。彼女にとっての宝物だ。
カミラが己の左腕に鎮座する金の腕輪に逆手を翳すと、それは強い輝きを放ち形状を変化させる。腕輪は彼女の腕から外れ、軈てその身を一つの錫杖へと変えた。黄金の輝きを纏うそれは、非常に神々しい。
錫杖を天に掲げ、カミラは静かに目を伏せる。するとライオットの光の魔力を借り受けて、次の瞬間――眩い黄金の光が上空へと勢い良く噴出した。
天高い位置で光は様々な方向へと飛翔し、まるで世界全体を包み込むように飛んでいく。まるで無数の流星のように。
「……これで、大丈夫なんだよね? イスラさんにも届いてくれたかな……」
「うに、大丈夫だによ。これで魔剣の効果はなくなった筈だに」
その錫杖は嘗て姫巫女が扱っていたものだ、元々カミラはこれを取りにヴェリア大陸に戻っていたのである。
ジェントは空を流れる黄金色の光を複雑な面持ちで見つめていた。
「おお~、綺麗だね。朝に流れる星かな?」
「……!?」
そこへ、ふと聞き慣れない声がカミラの鼓膜を揺らした。
一体誰か――慌てて振り返った彼女の視界には、薄緑の髪をした二十歳ほどの青年がいた。その後ろには騎士と思われる者が大勢控えている。
カミラがやや警戒しながら彼らを見つめていると、彼女の頭の上に乗るライオットが気さくに話しかけ始めた。
「あ、王子さまだに。ヴィーゼ王子さま、おはようにー」
「やあモチ男くん、おはよう」
「ライオットだに!!」
「あはは、ごめんごめん。マナが君のことをモチ男って呼んでたからつい」
ヴィーゼ王子と呼ばれた青年は愉快そうに、しかし嫌味なく笑うと片手で己の後頭部を掻く。そんな彼を見て後方に控えていた騎士たちも声を立てて笑った。ヴィーゼは部下のそのような様子に腹を立てることもない、寧ろ何処か嬉しそうだ。
同じ王子だと言うのに、ヘルメスとは全く異なる反応である。カミラはそっと安堵を洩らして肩から力を抜いた。
「カミラ、この人は風の国のヴィーゼ王子だによ。王子さま、こっちはカミラ。ヴェリアからやって来た姫巫女さまだに」
「えっ、姫巫女様!? こ、これは失礼しました。私はミストラルの王子、ヴィーゼと申します」
「こ、こちらこそ、紹介が遅れて申し訳ありません。カミラと申します、よろしくお願いします」
ヴィーゼもカミラも、ライオットの紹介に大慌てで頭を下げた。相手が姫巫女だと知り、それまで笑っていた騎士たちも同様に。
カミラが慌てて頭を下げたためにライオットは彼女の頭から転げ落ち、もっちりとした身を地面に打ち付ける。だが、常の如くそれはダメージになどならず、軽く何度かバウンドして落ち着いた。
「ところで王子さまたちは朝からどうしたに?」
「ああ、ジス神父から報告を受けて来たんだ。ジュードたちがグラムを助けに魔族と戦いに行ったって……だけど、もう片付いたみたいだね」
ヴィーゼの言葉にライオットは何度も頷くと、再びカミラの足に飛び付いてよじよじと登り始める。
そこへ、何処までも眠たげな顔をしたジュードが目元を擦りながら宿から出てきた。
「……あれ、王子。こんなところまで何を……?」
「やあジュード、まだ眠そうだね」
現在の時刻は朝の八時前後だ。普段ならば既に起きてあれこれやっていることも多いが、昨日一日で色々なことがあったため、まだ眠り足りないのだろう。
そろそろウィルたちも起きてくる頃だと思うが、まだその気配はない。
「ジュード、父上からの指示だ。君たちはこのまま、僕たちと共に火の王都ガルディオンまで行ってくれ」
「……え?」
「僕は父上の代わりとしてガルディオンに派遣されることになった、父上は水の国からやって来るかもしれない敵に備えてこの国を守らなきゃいけないから……」
ジュードとカミラは一度視線のみを互いに向けるが、言葉を交わすには至らない。なぜって、目の前に風の王子がいるからだ。そして王子のその話は、決して世間話のレベルではない。
そこでようやく頭が覚醒し始めたジュードは、情報を整理し始める。
水の国は今や、ゾンビたちアンデットの巣窟だ。確かにいつ北の関所が破られるかは分からない。そのため、国王がこの国を離れることは出来ないのだろう。
つまり、このヴィーゼ王子が暫くは王の代わりだ。恐らくは彼がこのまま魔族との戦いにも参戦することになるのだろう。尤も、水の国のゾンビ集団が落ち着けば国王も参戦出来るのだろうが。
それまではヴィーゼが王の代理、彼の言葉は国王の言葉や意思そのものだ。
「でも、あの、リーブル様は……」
「大丈夫だよ、リーブル様は既に他の騎士たちと一緒にガルディオンへ向かわれた。オリヴィア王女はまだ本調子じゃないからフェンベルで療養中だけど……状況が状況だから、少しでも早く女王様と対策を話し合った方が良いって言うのが父上のお考えだ」
ヴィーゼの言葉にジュードとカミラは静かに頷いた。彼の言うことは尤もだ、こうしている今も魔族が何処かで行動を起こしていることだろう。それほどまでに、既に魔族はじわじわと活動範囲を広げてきている。
実際にヴェリア大陸も占領されてしまったことを考えれば、ゆっくりしているだけの余裕はないと言えるだろう。
「わ、わたし、ウィルたちを起こしてきます」
カミラはそう告げて深く頭を下げると、慌てて宿の中に駆け込んで行った。ジュードはそんな彼女を見送ると、宿の中で休んでいるだろうヴェリアの王族を思い返して一度複雑そうに眉を寄せる。
「……ヴィーゼ王子、実は昨日ヴェリア王家の人たちがこの港に……」
「……そうか、状況は思っていたよりも複雑そうだね。でもまぁ、あれこれ考えて暗くなってても仕方ないさ。ともかくヴェリア王家の人たちが無事だったならそれで良い、難しいことはガルディオンに着いてから考えようじゃないか」
ずっと連絡の取れなかったヴェリア王国の者がやってきた――にも拘わらず、ヴィーゼは動揺さえあまり見せない。安堵はしたようだが、取り乱すようなことは全くなかった。
否、恐らく驚いてはいるのだろうが、彼の言葉通り今はガルディオンに向かうのが先なのだろう。確かに考えるのはガルディオンに着いてからでも出来る、深く思い悩んでもどうにもならないことを、悩み続けるのは得策ではない。
しかし、彼を見ていると昨日の自分が本当にちっぽけに感じられて、ジュードは思わず苦笑いを浮かべた。