第二十二話・ヴェリア王家
「あ……」
「い、いよいよって感じね……おじさまは知ってるの? ヴェリア王国の人たちのこと……」
「いや、若い頃に行ったきりだからなぁ。現在の王族の方々とは面識がない。ジュリアス陛下はご立派な方だと聞いていたから、暇を見て一度でも渡りたいとは思ってたんだがな……」
ジュリアスとは、ヴェリアの国王だ。
だが、カミラや魔族の話から察するに彼は十年前の襲撃の際に命を落としている。一体どれほどの王だったのか、今はもう想像することしか出来ない。
入港した幾つもの船からは、次々に騎士や兵士が降りてくる。
そこでジュードの頭には、カミラと出逢ったばかりの頃に聞いた話が過ぎった。
ヴェリアの第一王子であるヘルメスは、聖剣を使って外の世界の人たちに復讐するつもりだと言っていた筈だ。
カミラがヴェリアの民を説得してくれたとは思う、だがその考えは果たして変わってくれたのか否か。
一際大きな船からは、色素の薄い金髪を持つ青年と、その彼に付き従う腰の曲がった老人が降りてくるところであった。エクレールが歩み寄っていくところを見ると、恐らくは彼がヘルメス王子だ。
その後ろから見慣れた瑠璃色の髪が覗くと、ジュードはもちろんのこと、ウィルたちの顔にも自然と笑みが浮かんだ。
カミラだ、離れているのはそんなに長い時間ではなかったものの――やはり再会は嬉しい。
「カミラちゃん……」
「元気そうだなぁ、良かったなジュード」
「な……なんだよ、父さん……」
ルルーナはそっと安堵したように眦を和らげ、グラムは傍らに立つ息子の頭を大きな手で撫で回した。そんな父にジュードは幾分は不貞腐れた面持ちで呟くが、その頬がほんのりと赤いところを見ればただの照れ隠しだ。
ウィルやマナ、リンファはジュードを何処か微笑ましく見守っていたが、イスキアを始めとした精霊たちは特に口を挟むことなく――複雑な面持ちでヘルメスを見つめている。
カミラと話をしに行きたい、ジュードたちはそう思いはしたが、相手は勇者の子孫――そして王族。自分たちが行くのは場違いな気がして、それは出来なかった。今はひとまずエクレールに任せようと。
だが、その考えも次の瞬間には百八十度変わることになった。
「――!」
港には、乾いた音が響いた。
それと同時に様子を見に来ていた街人たちがざわつき始める。
なぜなら、何かしら言葉を交わしていたと思われるエクレールの頬を、ヘルメスが思い切り打ったからだ。それだけではない、ヘルメスは腰から剣を引き抜くと、そのまま彼女の身に振り下ろそうとした。
「な……ッ!?」
「あいつ、何を――!」
その切っ先が触れる前にカミラがヘルメスの腕を掴み、なんとか直撃は免れたが――今度は、止めに入ったカミラに向き直り、何かしら文句を連ねているように見える。
そんな光景を見て、ジュードが黙っていられる筈もなかった。エクレールに手を上げただけでも腹立たしいと言うのに、このままではカミラにも被害が出る。
――相手がヴェリアの王子だから、なんだと言うのか。決して見過ごすことなど出来なかった。
引き留めようとする仲間の声が背中に届くが、案の定ジュードは止まらない。駆け出した拍子に、ライオットやノームが転げ落ちたことにも気付いていないだろう。
「同じことを何度も言わせるな、カミラ! 私の邪魔をするなと――!」
「エクレール様は何も間違ったことはなさっていません! 処罰なんてわたしが許しません!」
「退け! この私の命令に刃向かったのだ、思い知らせてやる!」
カミラは倒れ込んだエクレールの頭を己の胸に抱き込み、彼女を守ろうと必死に声を上げた。だが、その行動はヘルメスの怒りを刺激する要因にしかならなかったようだ。
周りの兵士や騎士たちは誰もが表情を曇らせ、見ていられないとばかりに視線を下げたり、顔を背けている者ばかり。止めに入る者は誰もいない。
しかし、カミラを殴ろうと振るったヘルメスの腕は彼女に届くよりも先に止められた。彼の横から伸びてきた、一つの手によって。
「やめろよ、女の子に手を上げるな!」
「貴様……」
それは当然、ジュードだった。
威圧しようと言うのか、ヘルメスは横目にそんな彼を睨み据え――その刹那、切れ長の双眸を見開く。
ヘルメスの傍に付き従う大臣は突然割り込んできたジュードに対し、顔を怒りで真っ赤に染め上げながら声を張り上げた。
「貴様ッ! 無礼であろう、このお方をどなたと思っておる!? 不敬罪で罰せられたいかッ!」
「ヴェリアの王子様だろ、知ってるよ。勇者様の子孫ならどんな横暴も許されるのかよ! エクレールさんはこの街を守ろうと必死になって戦ってくれたんだ、そんな人を……!」
ジュードは決して間違っていない、間違ってはいないのだが。
相手は勇者の子孫、ヴェリア王家の人間だ。流石にその言葉遣いはマズい――ウィルたちは顔面蒼白になりながら、慌てて駆け出した。ジュードを止めないと、そんな一心で。
エクレールはジュードの声にハッと息を呑んで顔を上げ、カミラはすっかり耳慣れた声が鼓膜を打つと反射的にそちらに目を向けた。
すると、カミラの表情には輝くような笑みが浮かんだ。それはそれは嬉しそうな笑みが。
「――ジュード!!」
けれども、彼女のその一声はヘルメスを刺激するには充分過ぎた。
カミラの声が耳に届くとヘルメスの端正な顔は憎悪と憤怒に染まり、自由な逆手でジュードの胸倉を掴み上げたのである。
「……ジュード、だと……?」
ジュードは一度こそ苦しそうに表情を歪めたが、勇気と無謀が長年同居をしている彼がその程度で臆する筈もない。寧ろ野生の獣のような双眸を以てヘルメスを睨み返す。
途端、己の胸の中で何かが蠢く感覚を覚えた。ちびだ、ちびが表に出たがっている。自分の相棒に何をするのだと言わんばかりに。この場で出してしまえば、容赦なくヘルメスに咬み付くだろう。
ジュードとてそこまで愚かではない、幾ら頭に血が上っていてもそれだけは駄目だと言うことは理解している。
「ジュードだって……?」
「まさか……」
そんな中、周囲にいた兵士や騎士たちからはどよめきが起こっていた。その声色は、いずれも困惑したものばかり。その中の幾つかには、淡い期待も感じられた。
ジュードにも、ウィルたちにも分からなかった。彼らが信じられないとばかりにざわつく理由も、ヘルメスが不意に憎悪を丸出しにした原因も。
だが、それまで貝のように口を閉ざしていたエクレールが静かに告げた。
「ヘルメス様、おやめくださいませ。その方はわたくしたちの血縁――わたくしのお兄様であり、ヘルメス様の弟君にございます」
カミラはその言葉に思わず目を見開き、ウィルたちもまた同様の反応を見せる。
当のジュードは――何を言われたのか理解が出来なかった。
ヘルメスはエクレールを睨み下ろし、ジュードの胸倉を掴む手に力を込める。このままくびり殺してやろうかと言わんばかりに。
エクレールの兄で、ヘルメスの弟――ジュードが。
「なに、言ってるんだ……?」
「そうだ、何を言っている、エクレール。あいつは死んだ、生きている筈がない」
「いいえ、間違いありません。この方はわたくしと同じ……精霊と心を通わす力をお持ちです。それはお母様の血が流れている動かぬ証拠、十年前に亡くなられた筈のジュードお兄様に他なりません」
ハッキリと言い放ったエクレールの言葉は、ジュードやウィルたちに混乱を与えるには充分だった。グラムやウィルでさえ、彼女の言葉を理解するのにかなりの時間を要したほどだ。
ジュードが、あのジュードが――ヴェリア王家の人間。勇者の子孫であり、ヴェリアの第二王子。
ウィルとリンファは先程目撃したのだ。エクレールが、ジュードと同じ交信能力を発揮したところを。
ジュードにしか使えない筈の能力をなぜ彼女が使えるのか、その疑問を覚えたのは未だ記憶に新しい。
「(兄妹だから、同じ血をお持ちだから……エクレール様もジュード様と同じ交信能力を……)」
カミラはエクレールから身を離すと、ゆっくりと立ち上がる彼女を不安そうに見守る。だが、立ち入ってはいけない気がして、数歩静かに後退した。
ウィルやグラムは呆然と彼らを見守りつつ、マナは思わず小さく呟く。
「ジュードがお兄様って……じゃあ、エクレールさんは……」
「……エクレール・ウル・ヴェリアス様、ヴェリア王国の第一王女だよ」
「おっ、王女様あぁ!?」
カミラから返る言葉にマナはギョッと目を見開くと、一度ルルーナと顔を見合わせてから改めてエクレールを見つめる。自分よりも幼く見える少女、だと言うのになんとしっかりしたことか。
ヘルメスはそれでも、有り得ないと言うようにジュードの胸倉を掴んだまま、言葉もなく彼を睨み付ける。自分と同じ翡翠色の美しい双眸が、確かな憎悪を宿して射抜いてくる様にジュードは表情を歪ませた。
「……ヘルメス、その手を離しなさい」
その時、ヘルメスや大臣の後方にある大きな船から凛とした声が聞こえてきた。
反射的にそちらに視線を投じる面々は、船から降りてくる一人の女性の姿を捉える。赤茶色の長い――とても長い髪を持つ、大層美しい女性であった。
その姿を視認するなり、ヘルメスは最後に忌々しそうにジュードを睨んだ後に大人しく彼の胸倉から手を離す。そして彼女に向き直るなり、そっと頭を下げた。
大臣はヘルメスに続き、エクレールやカミラと共に慌てて――こちらは深々と頭を下ろす。
「母上……」
「こ、これはテルメース様、すぐに最上級のお部屋を用意させます。今暫くのご辛抱を……」
大臣の言葉に、ジュードは呼吸や瞬きも忘れて呆然とした。
彼の脳裏に浮かんだのは、精霊の里で逢った――イスラの言葉だ。
『――私たちの娘はね、テルメースというの。あなたと同じ目をした、とても綺麗な子だったわ』
そのテルメースが今、ジュードの目の前にいるのだ。
ヘルメスと大臣の脇をすり抜けて、彼女はジュードの正面に立つと――美しいその風貌を泣き笑いに変えて静かに口を開いた。
「ジュード、私の……こんなに大きく、立派になって……」
彼女のその言葉を聞くなり、ジュードは小さく身を震わせ――そして逃げるように駆け出した。
否、逃げたのだ。単純に。
仲間から、父から、カミラから――あらゆる現実から。
今は何も考えたくなかった。何も考えず、ただ一人になりたかった。