第二十一話・神槍ゲイボルグ
「な、なにあれ……!?」
「あっちはガルディオンで見たグレムリンに似てるけど……あの金髪のは……」
マナとルルーナは、先程まで吹き荒れていた風が途端に止んだことに気付き宿を後にしていた。マナがルルーナの身を支えている形だ。
彼女たちの視界には、宙に浮かぶ見慣れぬ青年と巨大化したグレムリンが映っている。青年はともかくあんなに巨大なグレムリンが街に侵入したら大惨事だ、ジュードたちは何をしているのだろうかとマナは思わず辺りを見回した。
ルルーナは宙に浮かんだまま特に加勢もしない青年を見つめて、怪訝そうな面持ちで呟く。
グレムリンはともかく、あの青年には全く見覚えがない。肌の色は魔族と異なるが、味方なのか敵なのか全く分からなかった。
「ど、どうしよ……」
「とにかく港に行ってみましょ、あのグレムリンを放っておけないわ」
マナの声にルルーナは視線を青年に向けたまま告げた。
マナはこういう事態になると軽いパニックを起こしがちだが、ルルーナは逆に冷静だ。彼女の声に慌てて頷くと、マナはルルーナの身を支えたまま足先を港の方へと向けていく。
彼女たちが先程までいた宿は、今や避難してきた住人たちで溢れ返っていた。もしもグレムリンが街まで侵攻し、宿を襲撃したらひとたまりもない。
何としてでも食い止めなければならなかった。
しかし、その刹那――
「きゃあぁッ!?」
「な……なに……ッ!?」
今まさに向かおうとしていた港から、目も開けていられないほどの強烈な光が放たれたのである。それと共に、鼓膜には苦しそうに呻く声が届く。地を這うようなそれは、恐らくあの巨大なグレムリンが洩らしたものだ。
軈て光が止むと、マナとルルーナは思わず伏せた顔を上げて静かに双眸を開いた。
だが、先程まで確かに存在していたグレムリンの姿は影も形も見えない。彼女たちの視界に映るのは夕陽に染まる穏やかな海と、こちらに向かって来る何隻もの船だけであった。
「な、なにがあったの……?」
「し……知らないわよ、ジュードじゃないの?」
一体何が起こったのか、彼女たちには全く分からなかった。
分かるのは、脅威が去ったと言うことだけである。
* * *
一方で、港にいたジュードたちも何が起きたのか――全く分からないと言った表情で固まっていた。
つい今し方まで目の前にいた筈のグレムリンは、今や跡形もなく消し飛んでしまっている。まるで、最初からそこには何もいなかったかのように。
それはシルフィードを除く全員が同じだった。誰もが皆、驚愕と言うよりは唖然として佇んでいる。
「……ウィ、ウィル……何、したんだ?」
「さ、さあ……俺にも何がなんだか……」
ジュードは確かにウィルと共に駆け出した筈だ、先んじて交戦するグラムたちに続くために。
幸いにも、グレムリンはその身の大きさ故に多少なりとも動きは愚鈍だった。そのため、ジュードとリンファで攪乱し、残った面子で叩く予定だったのだが。
ウィルがグレムリンの横腹を狙い、手にした神槍を振るった刹那――あの眩い光だ。
間近で戦闘に参加していたジュードたちにも、その瞬間に何が起こったのかは分かっていなかった。――否、その神槍を振るった張本人であるウィルも理解などしていない。
「うふふ……それが神槍ゲイボルグの威力よ」
「あ……イスキアさん」
「神が造り出した神器ですからねぇ、並の魔族じゃポカーンって叩かれたらそれだけで消滅しちゃうんですよぅ」
唖然としたまま軽く困惑するジュードたちに声を掛けたのは、イスキアとトールだ。二人が分離したことでシルフィードはその姿を消していた。
イスキアは地面に座り込み、トールはそんな彼女――否、彼の頭の上に乗って相変わらず楽しそうににこにこと笑っている。イスキアの顔には疲労の色が窺えた、心なしかやや顔色が悪い。
ジュードは武器を収めてそちらに駆け寄ると、心配そうにその傍らに屈んだ。グラムやリンファ、ウィルも一拍遅れてその後に続く。
「イスキアさん、顔色悪いけど大丈夫なの?」
「大丈夫よ、本当に久し振りだったからちょっと疲れただけ。ねぇ、トール?」
「はいですぅ、トールちゃんも疲れちゃいましたぁ。でも、ゲイボルグの後継者が見つかってよかったですねぇ。あっ、マスターさんはじめましてぇ、わたちトールって言いま――」
「あとでいっぱい喋らせてあげるから、ちょっと黙っててねトール」
トールと呼ばれた小さな少女はイスキアの言葉に何度も頷いた末に、矢継ぎ早に言葉を紡ぎ始める。途中で口を挟むこともままならぬほどの畳み掛け具合だ。
気になることを言っているのだが、これでは聞くことも出来ない。そんなジュードたちの心情を理解してくれたのか、年頃の少女顔負けの勢いで喋るトールをイスキアが黙らせてくれた。
ジュードとウィルは互いに顔を見合わせると、何度か瞬きを打つ。恐らく気になっているのはどちらも同じことだ。
「……ゲイボルグの後継者? ウィルが……ですか?」
「そうよ、これから魔族との戦いはもっと大変なものになるでしょうからね」
「でも、どうして俺に?」
「理由は幾つかあるけど……纏めると、あなたが適していると思ったからよ。ゲイボルグは風属性、ウィルちゃんならきっと使える、ってね」
その幾つかある細かな理由を知りたかったのだが、イスキアにはそれ以上話す気はないらしい。頭に乗るトールと同じように、にこにこと笑ったままジュードたちを見つめてくるばかりだ。
ウィルは困惑気味にイスキアと神槍を交互に見遣るが、その直後。不意にゲイボルグが淡い光に包まれたかと思いきや、そのまま縮んでいき――最終的には指輪の形に戻り、ウィルの左手中指に居座った。
「指輪に戻っちまった……」
「他にも神器はあるんだけど、それは他の神柱が持ってるわ。アタシからはウィルちゃんに指輪をプレゼントよ、うふふふ」
「んま~! イスキアだけじゃないですよぅ、トールちゃんだってシルフィードなんですぅ!」
イスキアは怪しく微笑むと、座り込んでいた身をやや起こして目の前のウィルに飛び付いた。頭に乗っていたトールは彼の言葉に怒ったように、その緑色の髪を引っ張り始める。
しかし、当のイスキア本人は何処吹く風と言った様子でウィルの首に片腕を絡め、指輪が填まった彼の手を逆手で撫でた。
「んふふ、指輪って人間的には結婚を意味するものなんでしょ? ど~お、ウィルちゃん。アタシが手取り足取り色々教えてあげましょうか、イロイロね」
「結構です!!」
一口に指輪と言っても、別にそれら全てが色恋だとか結婚を意味するものではないのだが、そこはやはり精霊。どうやら知識が偏っているようだ。
そんな様子を見てグラムは愉快そうに声を立てて笑い、リンファは幾分かその表情に笑みを滲ませた。ライオットとノームもすっかり落ち着いた様子で笑う始末。
だが、その一方でジュードは慌て始める。なぜって、それは当然――
「……なに、してんの?」
「――! マ、マナッ……!」
そうだ、ちょうどマナとルルーナが合流してくるのが見えたからだ。
彼女たちはいずれも心配そうな表情を浮かべていたが、近付くにつれて現在の状況がハッキリと見えてくれば――ルルーナは呆れ果てたように双眸を半眼に細め、マナは嫉妬モード全開でその顔を鬼の形相へと変貌させた。先程までの不安そうな様子は、今や欠片も見受けられない。
ジュードは「あちゃ」と片手で己の顔面を覆い、グラムは笑いを止めて気まずそうに咳払いを一つ。リンファは常の無表情に戻り、静かに目を伏せてしまった。
「あら、マナちゃんにルルーナちゃん、やっほ~」
「ち、違うんだって! これは……!」
「こ・れ・は、なによ!」
ウィルの気持ちはマナに知れているが、二人は別に付き合っている訳ではない。
だが、これではマナの方も「好きです」と言っているようなものだ。尤も、今のウィルにそれを気にするだけの余裕はないのだが。
「……」
カームの街を、鮮やかな橙色の光が染めていく。
エクレールは交信状態を解くと、疲れを滲ませる複雑な面持ちでジュードを見つめていた。
「(雷の大精霊トール……ジュードさんのことをマスターと呼んだ……では、あの方はやっぱり……)」
彼女の双眸からは、意識するよりも先に涙が零れた。
先程までエクレールと交信していたウィスプは、そんな彼女を心配するようにオロオロとその周囲を飛び回る。
港に、大きな影が掛かる。振り返ると、そこには船がもう間近にまで迫っていた。