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第二十話・風の神柱シルフィード


「ヘルメス様、ご無事ですか!?」

「……ッ、問題はない……状況はどうなっている、カミラと母上は……」

「カミラ様も王妃様もご無事で御座います、あれほどまでに荒れていた波がゆっくりとではありますが落ち着き始めて……」


 大臣は揺れる船の上で帆柱にしっかりと掴まりながらヘルメスに目を向けた。

 高波に煽られつつも辛うじて転覆には至らず堪えることに成功した船の甲板では、各々兵士や騎士たちが安堵を洩らしている。

 カミラは傍で転倒した兵士の身を支えながら、思わず空を見上げた。


「波が落ち着いていく……でも、どうして……」


 先程まで荒れ狂うほどの様子だったと言うのに、今ではすっかり強風は止み、風に煽られた波は落ち着きを取り戻し始めていた。

 風を呼んでいたと思われる雨雲こそ未だ上空に存在してはいるが、これならば転覆の心配はないだろう。カミラは視線を街の方へと向けた。すると、港街が柔らかな緑色の光に包まれていることが分かる。


『シルフィードか……イスキアだな、来てくれたのか……』

「シルフィード?」

『風の神柱(しんちゅう)のことだ。シルフィードは風の大精霊イスキアと、雷の大精霊トールが一体化することで誕生する』


 ジェントは街全体を覆う柔らかな光にそっと安堵を洩らすと、幾分か表情を和らげて呟いた。状況としては未だ油断は出来ぬものの、転覆の恐れがなくなっただけでも有り難いことである。


「じゃ、じゃあ、イスキアさんは風の神柱の片割れってこと……ですか?」

『ああ、そうなる。ちなみに氷の大精霊シヴァと水の大精霊フォルネウスの二人で水の神柱オンディーヌになる』

「(そうか、だからあの時ライオットがおかしいって……)」


 水の王都でメルディーヌと戦った時、ジュードに水の神柱オンディーヌが加勢をした。

 だが、あの時――既に氷の大精霊であるシヴァは消えてしまっていたのだ。彼を失ってしまった以上、オンディーヌは誕生しない。それ故に、加勢など出来る筈がなかったのである。

 ならばオンディーヌはどうやってジュードに力を貸してくれたのか――ライオットはそれを気にしていた。

 尤も、その力を託した犯人はこの――カミラの隣にいる亡霊なのだが。


『イスキアが来ているのなら、ジュードたちもあの街にいる可能性が高い。急ごう』

「は、はい!!」


 その言葉にカミラは花が咲いたように表情を綻ばせると、視線を改めて港街へと向けた。


 * * *


 ヴィネアは雲の中から幾つもの風の刃を出現させると、それを矢継ぎ早にシルフィード目掛けて放つ。休む暇など与えぬとばかりに。

 だが、その刃は彼の身に掠りもしない。その身に触れるよりも先に緩やかな風と化して消えてしまうのだ。


「愚か者め、風の化身である私にそのようなものが効くと思うのか――攻撃とはこうやるのだ」


 シルフィードは流れるような動作で片手を挙げると、己の周囲に緑色の光に包まれた無数の矢を出現させた。だが、それは人が造り出す矢とは形状が少々異なる。羽は付いておらず、()部分がそのまま矢尻も兼任しているようなものだ。

 風の攻撃魔法に風の矢を飛ばす魔法は存在するが、現在ジュードたちの前に出現した矢の数はその比ではない。軽く見ても百は超える。

 ヴィネアはその数に狼狽した様子を見せると、対抗すべく彼女もまた――雨雲の中から無数の風の刃を出現させた。


「私とやり合う気か、その勇気だけは認めてやろう。尤も――」


 シルフィードが口角を引き上げると、彼の周囲に展開する矢の数々は一斉に雨雲目掛けて飛翔する。それを見てヴィネアは叩き落とそうと言うのか、風の刃を放った。

 ライオットはジュードの肩の上で身を震わせながら、しっかりと彼の衣服を握り締める。ノームなど彼の頭の上で大粒の涙を溢れさせて怯えていた。


「――それは勇気と言わず、ただの無謀な行為だがな」


 シルフィードの撃った矢、ヴィネアが放った刃――その風の魔力は、拮抗さえすることはなかった。

 無数の風の矢が刃を貫通し、雨雲を次々に貫いたのだ。

 ヴィネアは言葉にならぬ苦悶を洩らし、怒りの感情のまま反撃に移ろうとはしたのだが――


「おやすみ」


 ヴィネアが反撃しようと改めてシルフィードに目を向けた時。

 彼は既に、ヴィネアの目の前――至近距離にいたのである。それだけでなく、雨雲にくっきりと浮かんだヴィネアの顔面前に片手を掲げて。

 次の瞬間、雨雲は勢い良く吹き飛ばされた。


 シルフィードの手からは膨大な風の魔力がレーザーの如く放出され、ヴィネアの顔が浮かんだ雲を貫いたのだ。その光は、ヴィネアが宿った雨雲が完全に消滅してしまうまで止まることはなかった。


「ジュ、ジュード……俺ちょっと、ライオットとノームの気持ち分かった気がする……」

「オ、オレも……」


 ヴィネアが消滅すると、上空を覆っていた雨雲は中央から波紋の如く飛散し――港街に夕陽を齎した。ジュードとウィルは隣に並び、ぽかんと口を開けたまま上空のシルフィードを見上げる。

 ――あまりにも強い、圧倒的なレベルだ。

 橙色の夕陽を受けて宙に浮かぶその姿は、身体全体が淡い輝きに包まれていることもあって非常に神々しい。畏怖の念さえ覚えるほどに。


「ギイイィッ!!」

「――! こいつら、まだ……!」


 しかし、ヴィネアをやられたことで残っていたグレムリンたちは自棄になったように一カ所に集まり始めた。彼らには情けなく撤退する、などと言う考えはないのだろう。

 エクレールは再び剣を構えるが、その顔には疲労の色が濃く滲んでいる。もうあまり長い時間、交信(アクセス)状態を保っていられないのは一目瞭然だ。

 一カ所に集まったグレムリンたちは黒く禍々しい光を放つと、残った個体全てを一つに合わせ――融合した。残ったグレムリンが合体したのだ、イスキアとトールに対抗するかのように。


「デ、デカい……!」


 その大きさは四メートルほどはある、ジュードは幾分表情を引き攣らせると忌々しそうに舌を打った。

 融合したグレムリンの肩越し――海には、既に何隻もの船影が見える。ヴェリアからの来訪者だ、その中にはカミラもいることだろう。

 あの船が着くまでに、このグレムリンを何とかしなくてはならない。シルフィードが加勢してくれるのであれば問題はないだろうが、なぜか彼はそれ以上動こうとはせず、薄らと微笑んだままグレムリンを見つめていた。

 自分が出るまでもない、と言うのだろうか。


「――ウィル」

「へ?」


 ジュードがそんなことを考えていた矢先、当のシルフィードが不意に口を開いた。

 突然呼ばれたウィル本人は驚いたように双眸を丸くさせながら、そんな彼を見上げる。とにかく今はグレムリンを何とかしなければならない、だと言うのになんだと言うのかと。

 エクレールを筆頭にグラムとリンファは既に駆け出し、街への侵攻を食い止めようと既にグレムリンと交戦していると言うのに。


「受け取るがよい」

「え……何を……」


 にこにこと、穏やかに笑うシルフィードが片手を翳すと、ウィルの頭上から緑の光に包まれる何かがゆっくりと落ちてくる。

 思わず片手を差し出すと、それは指輪だった。白銀と思われる台座に、透き通った美しい翡翠が埋め込まれている。淡い輝きを纏う様は息を呑むほどに美しかった。

 細工物が好きなジュードの関心も強く惹いたのか、指輪の石と同じ色をした彼の双眸は好奇心に満ち溢れて輝き、ウィルの手にあるそれを凝視している。

 この指輪をどうしろと言うのか――ウィルは思わずシルフィードに問おうとしたのだが、それは必要なかった。


「うわわッ!?」


 それよりも先に指輪が強い輝きを放ち、その形状を変化させたからだ。

 手の平に充分収まるほどの大きさであった指輪は瞬く間に大きさを増し、光を纏って長く伸びる。

 前線で戦っていたリンファたちや、グレムリンまでもが何事だと一旦動きを止めてその光景を見守った。


「こ、これは……あの時の……!」

「メルディーヌと戦った時の、か……!?」


 軈て光が止むと、そこには指輪の姿はなく――代わりに、一本の槍が存在していた。

 その槍の姿こそ、水の都でオンディーヌの力を借り受けて形状を変えた槍そのものであったのだ。槍と一口に言うよりは槍斧と言った方が相応しいだろう。武器のタイプは単純な槍ではなく、ハルバードだ。

 重量はない。見た目の重厚さとは裏腹に驚くほどに軽く、その槍斧はウィルの手によく馴染んだ。


「それは神が生み出した神器の一つ、神槍ゲイボルグ。あの程度の敵ならば恐れることはない、思う存分にその力を見せてやるとよい」

「神槍ゲイボルグ……」


 上空から降るシルフィードの言葉に、ウィルは己の手にある神々しく光る槍を改めて見つめる。

 続いてポンと、傍らのジュードに軽く肩を叩かれるとしっかりと頷き――彼と共に駆け出した。今はひとまずグレムリンを退治するために。



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