第十九話・雷の大精霊トール
「――そこです!」
「ギイイィッ!?」
ウィルとリンファはグレムリンの群れと交戦しながら、驚きを隠せないでいた。
それもその筈、ジュードにしか使えないと思っていた交信能力をエクレールがいとも簡単に発現してみせたからだ。
一体どういうことなのか、その能力はジュードだけのものではないのか。考えても当然答えなど出てはこなかった。
そんなことを考えている今も、エクレールはレイピアに光属性を付与させて次々にグレムリンを撃退していく。それは、ライオットと交信したジュードのものによく似た光景であった。
「(ウィスプって呼ばれてたっけ、もしかしてアレは精霊なのか? けど、なんで交信出来るんだ……!?)」
恐らくその疑問を抱いているのはリンファも同じだろう、彼女にしては多少なりとも動きがぎこちない。常に冷静沈着なリンファでさえ、確実に動揺していた。
今のエクレールは、ジュードと同じだ。精霊と交信した彼のように、驚くべき戦闘力を発揮している。グレムリンを全く寄せ付けていない。
「ウィル、リンファさん!!」
「……! ジュード様……」
そこへ、当のジュード本人とグラムが駆け付けた。途中で合流を果たしたのだろう、ジュードの肩と頭にはそれぞれライオットとノームが乗っている。どちらも強風に飛ばされないよう、必死に彼の服にしがみついていた。
気になることは多く、そして決して捨て置けないものではあるが――とにかく、今はこの状況を打破するのが先だ。エクレールがいれば、恐らくグレムリンの群れは怖くない。
「ウィル、状況はどうなっている!?」
「そ、それが……あの雲の中からグレムリンが大量に出て来るんです、だからあれを何とかしないと……!」
「あれはヴィネアの怨念が具現化したものだに、ヴィネアがグレムリンを呼び寄せてるんだによ!」
「どうすればいいんだ?」
グラムはウィルの言葉に背中から大剣を引き抜くと、上空で渦を巻く雨雲を見上げる。その中央には先程とは異なり、ヴィネアの顔がくっきりと浮かんでいた。
自分に手出しが出来ないジュードたちを見下ろして、嘲笑っているかのようだ。
しかし、当然ながら雲は上空。地上からでは手出しなど出来ない。
マナに残るように伝えたのは失敗だっただろうかと、ジュードは一度来た道を振り返るが、そうも言っていられない。
敵は目の前だ。こうしている間にも、次々にグレムリンの群れが雲の中から舞い降りてくる。
更に最悪なことに、風は未だその勢いを増していた。
強風に煽られた高波が港に入り込んでくるのも時間の問題だろう、このままでは被害が広がる一方である。
けれども、打つ手がない。どうすればいいか――
「うふふ、簡単よ。これよりも強い風をぶち当てて、あの雲を粉々に飛散させちゃえばいいの。元に戻れなくなるくらいにね」
「そんなことどうやって……って、うわああぁ!? イ、イスキアさん、どっから湧いて出たんですか!」
「ジュードちゃん、会いたかったわああぁ!」
不意に背中に届いた声にジュードは反射的にその方法を問おうとしたのだが、その声がこの場にいる仲間の誰のものでもないことに気付き、振り返りかけた矢先。
それよりも先に強い力で背中から抱き締めてきた女性――否、オネェにジュードは思わず引き攣った声を洩らす。最後の別れが別れであったにも拘わらず、イスキアは全く気にしていないようだ。
グラムは息子を背中側から抱き締める見た目美人な人物の登場に目を丸くさせているが、騙されてはいけない。イスキアは男――オネェなのだ。
「イスキア、どうするに?」
「カンタンよぉ、こんな時のためにアタシたちがいるんだから。……アタシが加護を与えるこの国で好き勝手やってくれちゃって。思い知らせてあげなきゃいけないでしょ?」
「あたし、たち……?」
イスキアは早々にジュードの身を解放すると、最前線でグレムリンと戦うエクレールやリンファを見下ろす。いずれも少女だ、体力面で聊か不安が残る。
彼女たちのためにもこの戦闘を長引かせる訳にはいかないと、口には出さずともイスキアはそう思った。
そして片足を軸にジュードたちを振り返ると、可愛らしく小首を傾かせる。
イスキアのそんな様子を目の当たりにして、身を強張らせたのはライオットとノームだ。
「ま、まさかイスキアさん、本気でやるナマァ……!?」
「マ、マスター、みんなを連れて離れた方がいいに、殺されるに……!」
「失礼ね、そんなことする訳ないでしょ」
精霊二人の尋常ではない怯え方に、ジュードもグラムもやや蒼褪めた。
イスキアの力の片鱗を見たのは、地の国のトレゾール鉱山が最初で最後だ。あの時、イスキアが来てくれなければウィルは殺されていた。
しかし、その力がどれほどのものなのか――ジュードたちは知らない。
「ジュードちゃん、あなたたちはグレムリンを押さえておいてちょうだい。この風も、雲も波もちゃんと何とかするから、ね?」
「は、はい。分かりました。父さん、行こう!」
それでもライオットとノームはその身をガタガタと大きく震わせていたが、ジュードはそれぞれの身体を片手で撫で付けると、グラムと共に駆け出した。
イスキアはそっと双眸を細め、ジュードの背を見つめて微笑む。それは何かとても愛しいものを見るような、そんな優しい雰囲気を纏っていた。
「さぁて、本当に久しぶりになっちゃったわねぇ……派手にやらかしましょうか――いらっしゃい、トール!」
そう声を上げてイスキアが片手を挙げると、周囲には幾つもの稲光が走った。
次いで轟く雷鳴には、その場にいた誰もが手を止める。
空には雨と魔族を生み出す雨雲、そして稲光。状況としては決して愉快ではない。水に濡れたところに雷にでも打たれれば命を落とす。
しかし、精霊二人が恐れているのは――それとは別物であった。
「ト、トトトールさんナマァ、ノーム殺されるナマァ」
「トール……?」
「うにっ、あ、あれだに!」
あれ――ライオットが示す先は、イスキアだ。否、正確にはそのイスキアが挙げた手。
すると次の瞬間、その手に一際大きく太い雷が落ちたのである。大丈夫なのかとジュードは咄嗟に戻ろうとはしたのだが、それは杞憂だった。
「はあぁ~い! お呼びですかぁ?」
そんな、場に不似合いなほどのはしゃいだ声を上げる少女が――その雷が落ちた場所に現れたのだ。つまり、イスキアの手に。
紫紺色の艶やかな長い髪を持つ可愛らしい少女だが、その大きさはライオットのひと回り倍程度のもの。淡い桜色の着物を身に纏う様はとても可愛らしかった。
何がそんなに楽しいのか、表情にはにこにこと眩しいほどの笑みを浮かべている。
「あれは……」
「……精霊?」
ジュードとエクレールは、ほぼ同時に呟いていた。
ライオットの倍ほどの大きさ――つまり生まれたての赤ん坊程度のもの。そんな人間の少女がいる筈がない。人の子はもっと大きいものだ。
だとすれば、考え付くのは精霊しかいなかった。
「そうだに、あれは雷の大精霊トールに……」
「だ、大精霊だって? あの子が? けど雷の精霊ならノームは別に怖くないんじゃ……」
「お、恐ろしいのはこれからナマァ……!」
ノームが震えながらそう呟いた刹那――イスキアとトールを中心に緑色の柔らかな光が溢れ出した。両者の身が一際強い輝きに包まれると、何かしら危険な気配を感じたのかグレムリンの大群はジュードたちやエクレールではなく、イスキアの元へと大慌てで飛んでいく。
それを見てジュードとグラムは武器を片手に叩き落そうとした。グレムリンたちを頼むと言われていたのだ、邪魔をさせる訳にはいかない。
だが、それは既に必要ではなかった。
大慌てで飛翔したグレムリンの群れはイスキアから放たれた突風により真っ二つに斬り裂かれたのである。
「うげげッ! な、なんだ……!?」
「ジュード様、あれは……」
ジュードとグラムをその光景を前に思わず踏み留まり、空から落ちてくるグレムリンの残骸にサッと蒼褪めた。それらはいずれも首を刎ねられ、完全に絶命していたのだ。
そして、眩い閃光の中からは――色素の薄い長い金髪を持つ青年が姿を現した。その身からは柔らかな緑色の光が放たれ、街全体を包み込んでいく。
すると、それまで吹き荒れていた強風は徐々に勢いを失っていき、緩やかなものではあれど波も穏やかになり始めたのである。
「な、なんなんだ……誰なんだ、あれは……?」
「マスターたちは実物を見るのは初めてだったにね……あれは神を支える風の柱――風の神柱シルフィードだに」
「じゃあ、あれが四神柱の内の一人……!?」
ジュードの頭の上ではノームが腹這いになって震えている。地の精霊である身に、風の神柱は何よりも恐ろしい存在なのだろう。先程、ノームは殺されるとまで言っていたのだから。
青年――シルフィードは己を忌々しそうに見下ろしてくるヴィネアを見上げると、そっと笑みを滲ませる。身の丈よりも長い金の髪がふわりと宙を舞う様は、妙に美しい。
「……この姿になった以上、優しくはしてやれんぞ。せめて苦しまぬよう、一瞬で終わらせてやろう」
シルフィードは薄らと笑みを浮かべながら、静かに空へ浮かび上がった。
先程まで吹き付けていた風は、最早全く感じない。まるでそれは、嵐の前の静けさのようであった。