第十八話・もう一人の精霊使い
「ジュード! おじさま!」
「マナ、どうしたんだ、これ!?」
「わ、分からないの! 突然街の上にあんな雲が……きゃあぁッ!」
宿を後にしたジュードとグラムは、見るからにおかしい街の様子に表情を強張らせた。
街中には、まるで叩き付けるかのような強風が吹き、木箱や樽が宙を舞う。人々は悲鳴を上げてその場に蹲っていた。
逃げ出そうにも、あまりの風の強さに動くこともままならないのだ。気を抜けば人とて飛ばされてしまいかねない。
ふわりと浮かび上がりそうになったマナの身は、グラムが支えてくれた。
「ジュード、あれは……」
グラムはマナが示した上空の雲を見遣り、怪訝そうな面持ちで双眸を細める。視界に映る雲――それは確かに雨雲のようなのだが、渦を巻いた雲には『顔』のようなものが存在していたのだ。
ジュードはグラムに遅れて空を見上げて、思わず表情を歪める。その顔には――確かな覚えがあった。それも、未だ真新しい。
「しぶとい女だ、死してもなお怨念となり我らを狙うか」
「あ、あれってヴィネア……!?」
「ああ、そうだと思う。マナ、ウィルたちは?」
「ウィルもリンファも街の人たちの避難を手伝ってるわ、あたしはジュードやおじさまに報せようと思って……」
ウィルとリンファ、あの二人であれば冷静に街の住人を避難させられるだろう。
そこで心配になるのはルルーナだ、彼女は未だ本調子とはいかない。この騒ぎを聞きつけて宿を出てきてしまう可能性がある。
ジュードはマナに向き直ると、彼女に任せる方が良いと判断したか一言だけを向けた。
「マナ、ルルーナに付いててくれ。相手がヴィネアなら、ルルーナに無理させる訳にはいかない」
「え、ええ、それはいいけど……ジュードはどうするの?」
「あいつを止める。もうすぐカミラさんたちが来るんだ、このままじゃ下手したら船が……」
「うむ、急いだ方が良い。既に波が高くなっている」
港の方に目を向けてみれば、グラムの言葉通り既に波は随分と高くなっている。風は今もまだその勢いを増しており、このままでは更に波が高くなってしまう。
そうなれば、カミラたちが乗る船は最悪の場合――転覆する恐れがあった。
ジュードとグラムは互いに顔を見合わせて真剣な面持ちで頷くと、一目散に港の方へと駆け出す。雲は――港の上空に渦を巻いていた。
* * *
「民の避難を急がせなさい! この者たちの相手はわたくしがやります!」
「し、しかし、エクレール様!」
「早くッ!!」
一方で、港には魔族が現れていた。
上空に渦を巻く雨雲の中から突如として飛来してきたのだ。
港で作業をしていた船乗りたちが既に何人も被害を受け、辺りには潮と血が混ざった匂いが漂っている。
船の到着を待っていたエクレールは腰からレイピアを引き抜き、襲い来るグレムリンを次々に斬り落としていく。彼女の身を守ろうと周囲に展開していた兵士や騎士は慌てて頷くと、怪我人を最優先に避難させ始めた。
「不浄なるものよ、滅せよ! ウィスプ!」
エクレールは逆手を己の胸の辺りに添えると、上空からこちらを見下ろすグレムリンたちに身を焦がすほどの強い光を浴びせる。それは、彼女の胸の辺りからスゥ、と出てきた真っ白な炎の仕業だ。
ウィスプと呼ばれた白い炎は、次々に降り注いでくるグレムリンの大群を見据えると、己の身を纏う炎の勢いを強めていく。
だが、あまりにも敵の数が多い。このまま無尽蔵に湧いてくるのでは、いずれエクレールの精神力が尽きてしまう。
それが分かっているからこそ、エクレール自身も忌々しそうに奥歯を噛み締めてグレムリンの大群を見上げた。ケケケ、と嘲笑う様をこれほどまでに忌々しいと感じたこともない。
「――吹き飛べええぇ!!」
その刹那――不意に彼女の後方から真一文字の風の刃が飛び交い、上空にいるグレムリンを大量に叩き落したのである。
何事かと慌ててエクレールが振り返ると、街と港を繋ぐ石造りの階段で武器を構えるウィルとリンファがいた。今の攻撃はウィルが放ったものだろう。
まさか彼らも戦うつもりなのかと、エクレールは咄嗟に声を掛けた。
「ウィルさん、リンファさん! まさか、戦うおつもりで……!」
「はい、私たちも加勢致します」
「これでも今まで魔族とあれこれやってきたから、大丈夫さ。一人で戦うより多少はマシだろ?」
「……!」
リンファとウィルの言葉に、エクレールは状況も一瞬忘れてエメラルドの双眸を丸くさせた。カミラから彼らの話は多少なりとも聞いていたものの、こうまで魔族を恐れないものなのかと彼女には意外だったのだ。
魔族と聞いて恐れ戦く者は多いだろう。だが、彼らは怯まないどころか自ら戦いに赴いてくる。
「(外の世界にこのような方々がいらっしゃるなんて……神よ……)」
彼らの存在と勇気に、エクレールは純粋な感謝の念を抱いた。
そして言葉もなくしっかりと頷き、逆手を掲げる。すると、光の炎を纏うウィスプはエクレールが掲げたその手の平へと乗った。
「ウィルさん、リンファさん、感謝致します。あとでお礼をさせてくださいませね」
「い、いや、街壊されたら俺たちも困るし……」
「ふふ……でも、助かります。これならわたくしも力をセーブすることなく、本気で行けそうですから」
「……え?」
街が破壊されれば、この場に住まう多くの者が困る。地の国グランヴェルと異なり、ミストラルでは王族が保護してくれるだろうが、それでも住む場所を奪われて困らない筈がないのだ。
だが、続くエクレールの言葉にリンファは思わず瞬きを打つ。彼女はヴィネアと交戦した時もかなりの強さを誇ったが、まだ本気ではなかったのか――純粋な疑問を抱いたのだ。
するとエクレールの手に乗ったウィスプは空気に溶けるように消え、次の瞬間――彼女が声を上げた。
「行きますよ、ウィスプ――――交信!!」
「な……ッ!?」
同時に、彼女の身を中心に辺りは眩い輝きに包まれた。
ウィルとリンファは思わず両腕を顔の前に翳して、己の目を庇う。そうでもしなければ目を焼きそうだ。
エクレールは確かに交信――アクセスと言った。だが、それはジュードの能力ではないのか。
グレムリンが上げる悲鳴を聞きながら、ウィルは奥歯を噛み締めた。