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第十七話・勇者の血を継ぎし者


「港が見えてきました!」


 ボロボロになった鎧や甲冑を着込む兵士たちが、大慌てで右や左へと走り回る。波に揺れる甲板の上では足元などフラフラで、非常に危なっかしい。それだけで、彼らが海にも船にも慣れていないのだと容易に窺える。

 そんな甲板に、一人の大層美しい青年が佇む。腰辺りまで伸びた美しい金の髪は、夕日に照らされて橙色へと染まり、いっそ恐ろしいほどに整った風貌には感情が見受けられない。


 何処までも無表情で、ただただ海を見つめている。

 その傍らには腰の曲がった老人が佇み、そんな青年をちらちらと何度か盗み見ていた。


「ヘルメス様、港は通常と変わらぬ様子ですな。エクレール様に指示を出された筈では?」

「ふん……あの女のことだ、どうせ私の命令は聞けぬと言うのだろう。私が出す命令は何もかもが気に入らぬようだからな」

「あってはならぬことです、ヘルメス様のご命令に背くなど……」


 ヘルメスと呼ばれた青年は表情一つ変えることなく、淡々とした口調で老人へと返答を向ける。

 彼の視界に映るカームの港にはたくさんの漁船が並び、ちょうど港に入港しようとしている船も何隻か窺えた。占拠されていれば、どの船も出てはおらず、決められた場所に置かれる筈。

 しかし、そのようなことは一切ない。これはエクレールがヘルメスの命令に逆らった証拠だ。自分たちが着くまでに港を占拠しろと、そう伝えたのだから。

 ヘルメスは忌々しそうに――だが、口元だけで薄く笑って見せる。


「エクレール様が民を力で押さえつけるなんて、許す訳がありません」

「しかし、カミラ様。ヘルメス様のご命令に背くなどあってはならぬこと――ヘルメス様、後ほどエクレール様をキツく罰しましょう。ここらで罰を与えておかねば、他の者に示しが付きませぬ」

「なんということを……! エクレール様が何を間違ったことをなさったと言うのですか! わたしたちはこれから各国と協力して……!」

「協力などする気はない、奴らには我らの傘下に入ってもらう。私は勇者の血を受け継ぐ身、神の子だ。下々の者と一緒にされては困る」


 彼らのやや後方に控えていたカミラは思わず声を上げたが、彼女の訴えはヘルメスは愚か、傍らの老人――大臣にさえ届かなかった。挙げ句、ヘルメスは各国と協力などする気はないのだと言う。

 ヘルメスはヴェリア王国の第一王子、その名をヘルメス・アル・ヴェリアスと言った。カミラの現在の婚約者だ。

 彼は確かに勇者の血を引いている、だがそれが一体なんだと言うのか。

 カミラは固く拳を握り締めて表情を怒りに染め上げると、大股で彼の目の前へと回り込んだ。


「ヘルメス様! ヴェリアの民にはもう帰る場所がありません、だと言うのにそのような姿勢で……あなたは王の自覚がなさすぎる! 民はどうなってもよいと言うのですか!」


 ヴェリア大陸が魔族に占拠されてしまった今、ヴェリアの民もヘイムダルの民も帰る場所など何処にもない。そのため、自分たちのいられる場所を見つけなければならないのだ。

 魔族との戦いが落ち着くまで、民を何処かの国に保護してもらう必要がある。だと言うのに、ヴェリアの軍勢を率いるヘルメスがこのような態度では、それも困難になってしまう。

 しかし、ヘルメスは形の良い眉を顰めると躊躇いもなく右手を振るった。


「――ッ!」


 乾いた音が、夕焼け空の下に響く。

 それは、ヘルメスが片手の平でカミラの頬を打った音だ。

 辺りにいた兵士たちは作業の手を止め、兜の下で気まずそうに表情を曇らせる。

 カミラは打たれた頬を片手で押さえると、それでも怒りを宿してヘルメスを睨み上げた。


「カミラ、いつも言っている筈だ。私のやることに口を挟めば、幾ら君であろうと許さぬと」


 そんなやり取りを見て、カミラの傍にいるジェントは冷めた双眸を以てヘルメスを見下ろす。

 これが本当に自分の子孫だと言うのか――そう言いたげに。


『(勇者の血……? この血がなんだと言うんだ、女に手を上げるお前は……勇者か? 冗談じゃない、お前はただの愚者だ。このような男が聖剣の所有者になるなど……間違っている……)』


 ヘルメスが言う『勇者』はこの場にいる、カミラのすぐ隣に。尤も、彼女にしか見えないが。

 独裁で魔族と戦い続けられる筈がない、協力してこそ勝機もあると言うもの。

 ジェントはそっとカミラを見遣る、彼女の丸みを帯びた白い頬は叩かれた所為で赤く染まっていた。夕日に照らされて目立ちはしないが、見ていて痛々しい。

 次にヘルメスを見ても、彼はやはり表情一つ変えてはいなかった。愛する者を自分の手で傷付けても何とも思っていないようだ。


『(俺が守りたかったものは、作りたかった世界は……こんなものじゃない……)』


 猛烈なやるせなさを感じてジェントは静かに俯く。

 しかし、そんな時――不意に彼は全身が熱くなるような錯覚を覚えた。


『……!? カミラ、空だ!』

「……え?」


 不意に上がったジェントの声に、カミラは弾かれたように空を見上げる。ヘルメスも傍らの大臣も、そんな彼女を見て怪訝そうな表情を浮かべているが、構ってなどいられなかった。

 空には不自然な雨雲が渦を巻き、橙色の空を覆い始めている。だが、それは単純な雨雲とは異なる。

 まるで意思を持っているかのようにカームの街の上空に集まっているのだ。それと同時に強い風が吹き、カミラたちが乗る船は大きな波に煽られる。


 カミラは近くにあった柱にしがみつくと、渦を巻く雨雲を見上げたまま口唇を噛み締めた。港までは目と鼻の先、船の中には王妃を始め、魔族との戦いで疲弊しきった多くの民がいる。

 カームの街で休ませてやりたいのだ。ここで街を破壊される訳にはいかない。


「急いで、もっと急いで!」

「は、はい!」


 近くにいた兵士にカミラは慌てて声を掛けると、改めてカームの街へと目を向ける。

 港に見える人々は突如として上空に現れた雨雲に、誰も彼もが困惑し、慌てふためいていた。



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