第十六話・父と子
朝食を終えたジュードは、傷を負ったと言うこともあり宿の一室で身を休めていた。ウィルたちはリンファの気功術やウィル自身の治癒魔法でなんとか治療は出来たが、やはりジュードはそうはいかない。
あの後、ルルーナもようやく目を覚まして現在は部屋で食事をしている筈だ。ジュードも様子を見に行こうとは思ったのだが――マナが付いているから大丈夫だと、半ば無理矢理に部屋に押し込まれてしまったのである。
休んでいろ、と。
柔らかな寝台の上に仰向けに転がり、何とはなしに天井に向けて手を伸ばす。
「(また、途中から記憶がなくなってる)」
記憶が抜け落ち始めたのは、吸血鬼退治の時だ。
あの時も、その後に遭遇したアグレアスとヴィネアの時も、倒したのはジュードなのだと皆そう言っていた。
しかし、ジュード本人には全く覚えがないのだ。非常に不気味なことである。
まるで、自分の知らない自分がいるかのような。
「(アンヘルって言ってたっけ、あいつも何なんだろう……)」
自分の知らない自分――そこで彼の頭に浮かぶのは、精霊の里で邂逅した自分とそっくりな顔を持つ魔族。
他人の空似と言うレベルではない、彼はジュードと全く同じであった。顔や姿形だけではなく、自分ならこうする、と思う動きや細かな動作まで。
唯一違ったのは髪と双眸の色程度のものだ。
彼が扱った魔剣の効果は、程なくしてカミラが合流するのならば問題ないだろう。彼女は魔剣の呪縛からウィルたちを解放するために単身でヴェリアに戻ったのだから。
「(あの娘、えっと……エクレール、さん。不思議な感じがしたなぁ……)」
そして最後に浮かぶのは、つい先程朝食を共にした少女――エクレールのこと。
白い肌に絹糸のようなきめ細かい金髪、ふんわりとしてとても柔らかそうだと思った。
長いまつ毛と、エメラルド色の瞳は思わずその美しさに見惚れてしまうほど。とてつもない美少女だとジュードも思った。
その上で、あの丁寧な物腰。穏やかな口調と優雅な立ち居振る舞い。それこそお姫様のような。
ジュードがそんなことを考えていた時、ふと部屋の扉が何者かによって叩かれた。
誰だろうと来訪者に一言掛けると、ジュードは静かに寝台の上に身を起こす。
「……すまん、寝ていたか?」
「あ、父さん。いや、大丈夫だよ。さっきまでぐっすりだったし」
それは、グラムだった。その顔には隠し切れない心配の色が滲んでいる。
グラムは息子から返る返答にそっと安堵を洩らすと静かに部屋に足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉めた。
「ちびとモチ二人はどうした?」
「ちびはオレの中に入ってる、聖獣って慣れるまでは宿主の中で休まないと疲れちゃうんだってライオットが言ってた」
「ほう」
「ライオット……とノームはウィルたちの買い物に付いて行ったよ」
モチ二人。
一度こそジュードの頭には疑問符が浮かんだが、もう一人の方は恐らくノームのことだろうと考え付く。
ライオットは全体的にもっちりとした身だが、ノームは腹部がぽっちゃりとした可愛らしい洋梨体形。確かにモチと言えなくもないからだ。
モチ二人と言う例え方、と言うよりは纏め方は大雑把なグラムらしい。
「それより、父さんは怪我は大丈夫なの?」
「ふふふ……」
そこでジュードが気になったのは、グラムの状態だ。しっかり確認も出来るまま戦闘に突入し、更には意識を飛ばしてしまった。
ヴィネアに囚われていて酷いことはされなかったか、元々負っていた腕の怪我はどうなっただろうか――ここに来てようやく彼の中に様々な不安が浮かんできたのである。
しかし、グラムはゆっくりとした足取りでジュードの目の前に立つと不敵に笑いながら拳を作り――
「いだああぁッ!?」
その拳を、思い切りジュードの頭頂部に叩き落したのである。
目の前に星が散り、一瞬視界が真っ白に染まる。半ば意識を飛ばし掛けながら、それでもジュードは拳が落ちたそこを片手で押さえて父を見上げた。
「な、なにすん……ッ!」
「このくらいには回復したさ、もう剣を持つのにも支障はない」
「だ、だからって殴ること……いだだ……っ」
「ウィルたちには説教したが、お前にはまだだったからなぁ」
「ひ……」
依然として不敵に笑う父に対し、ジュードは思わず喉と共に表情を引き攣らせると寝台の縁に腰掛けたまま後退る。
だが、グラムはそんな彼の片腕を掴み逃亡を阻むと、己も寝台に腰を落ち着かせてから力任せにその腕を引っ張った。
そして幼い頃からよくしていたように、向かう合う形でジュードを己の膝の上に座らせる。当然――その状況を理解してジュード本人は暴れるのだが。
「ちょッ、オレもうそんな歳じゃないって!」
「はっはっは! 幾つになってもお前はワシの可愛い息子だよ」
逃げ出そうと暴れるジュードの身を、グラムは両腕でがっしりと押さえ、愉快そうに高笑いなぞ上げる始末。ああ、これは下ろしてくれる気なんてないな、とジュードは早々に諦めた。
そんな愛息子を眺めながら、グラムは大きな手でその背中をゆったりと撫で付ける。今度は、これまでの苦労を労わるように。
「……ジュード、よく頑張ったな。色々とつらいこともあっただろう」
「……」
「よく、アメリア様に託された任務を果たしたな。ワシはお前を誇りに思うよ」
グラムのその言葉に、思わずジュードは涙腺が弛むのを感じる。
最後に父と別れてから、本当に色々なことがあった。言葉では言い表せないほど、多くの色々なことが。
自分なんかいない方がと思ったこともあった、自分自身の何もかもが嫌になってしまったこともあった。自分の所為で、と何度も何度も自分を責めていじめてきた。
甘えてばかりではいけないと思うのに、それでもジュードはこみ上げる涙を堪え切れなかった。
* * *
「それで、ジュード。これからどうするつもりだ?」
「ええと、カミラさんが来るのを待って一度フェンベルに戻ろうと思う」
「ふむ」
「エクレールさんの話を聞く限り、ヴェリア大陸はもう魔族のものになっちゃったんだろうし……多分カミラさんは王族と一緒に来るんじゃないかなって」
エクレールは逃げてきたと言っていた。多くの者を犠牲にして、と。
ならば、後から来るカミラは生き残ったヴェリアの王族と共に来る可能性が高い。
ヴェリア大陸が占領されてしまった以上、現段階で戦闘可能な国同士だけで協力し合うことが必要になってくる。
地の国を除く三ヵ国、そしてそこにヴェリア王国の生き残りが加わってくれれば充分に魔族と戦える筈だ。
カミラが来るのを待ち、共に来たヴェリア王家の者たちと共にフェンベルに戻る。
そしてヴィーゼ王子率いる風の騎士団と合流し、火の王都ガルディオンへ向かう。
「そうだな、その方が良いだろう」
「父さんはフェンベルに戻る途中に送って――」
「うん? 何を言っている、ワシも共にガルディオンへ行くぞ」
風の国には狂暴な魔物が出ないとは言え、グラムは怪我人。やはりジュードとしては心配だ。
そのため、道中で送っていくと言いたかったのだが――グラムは至極当然とばかりに、自分も同行すると言い出したのである。
「え……」
「言っただろう、剣を持つのに支障がなくなったと。まだ完治とまではいかんが、魔族が現れてきておるのにのんびりしてはいられんさ」
「だ、だけど危ないよ!」
「その危ない戦いをお前たちはずっとしてきたんだろう、大丈夫だ」
父の言葉にジュードは呆気に取られながら、暫し彼を見つめていた。グラムが共に来てくれるのはもちろん嬉しい、ガルディオンで待つメンフィスやアメリアも喜んでくれるだろう。
けれども、自分の家族を巻き込みたくないと思うのは誰でも同じことなのだ。
改めて口を開きかけたジュードではあったが、ふと――そこで宿の外が何やら騒がしいことに気付いた。
「……? 父さん、外が何か……」
「うむ……普通の騒ぎではないな、行ってみるか」
当然ながらその騒ぎはグラムの耳にも届いていたようだ。ジュードの言葉に神妙な面持ちで頷くと、そこでようやく彼の身を解放して立ち上がる。
彼らの胸中には、ほんのりと嫌な予感が滲んでいた。