第十五話・ジュードとエクレール
「え、ええと、じゃあちびはちびだけどちびじゃなくて」
「落ち着け、いつもより頭悪く見えるぞ」
ジュードが目を覚ましたのは、翌日の朝だった。
ウィルたちは食堂で朝食を摂っていたのだが、その最中に部屋から彼の声が聞こえてきたために大慌てで向かったのだ。
その先で、ジュードは涙と鼻血を流しながらちびを抱き締めていた訳だが。
死んだように眠る彼の枕元で休んでいたライオットも、その騒動で叩き起こされ――現在は食堂のテーブルの上に乗り、ハムエッグを頬張っている。
ウィルは、やはりよく理解していないと思われるジュードの頭を軽く叩きながら、そっと小さく溜息を洩らした。
尤も、彼らとて正確には理解出来ていない。それを残念な頭の持ち主であるジュードに「理解しろ」と言うのが間違いなのかもしれないが。
「ちびはちびだによ、転生して魔物から聖獣に変わったってだけだに」
「聖獣フェンリルって……言ってたわよね、確か」
「聖獣は光の力を持ってるナマァ、だからヴィネアに特に有効だったんだナマァ」
ルルーナは依然として部屋で休んでいるが、ノームはすっかり元気を取り戻していた。流石は上級精霊と言ったところだろう。
そんなノームの傍には、あの時に助けてくれた少女――エクレールもいる。彼女は先程から頬をほんのりと赤らめてジュードをジッと見つめているが、目が合えば慌てて逸らしてしまう。
けれども、ジュードの視線と意識が外れるとまた赤くなりながら彼を見つめるのだ。そんな様子に、マナは朱色の双眸を細める。
「(……ほんと、ジュードってなんでこんなにモテるのかしら。赤くなるってことはそういう感情を持ってるってこと、よねぇ……)」
ウィルも思うことはマナと同じか、言葉には出さぬものの薄く苦笑いを浮かべながら緩やかに肩を竦めた。
「とにかく、魔物から聖獣になったって認識で良いだろうさ。ちびが無事だったんだからもっと喜べよ」
「あ、ああ、それはもちろん。でも、どうして……」
「マスターに説明するには三日くらいかかりそうだに」
「お前、何気に自分のマスター貶すよな」
正確に理解出来ているか、ウィルやリンファでさえ分からない。だと言うのにジュードの頭で理解させるなど至難の業。
決して的外れではないライオットの言葉にジュードは思わず「む」と不服そうな声を洩らしたが、グラムやウィルは声を立てて笑った。
そんな様子を見れば、昨日の戦闘など嘘のように思える。そんなことを考えながら、リンファはやや控えめに口を開いた。彼は先程まで眠っていたため、エクレールのことを知らない。彼女を紹介しようと言うのだ。
「ジュード様、こちらはエクレール様と仰るそうです。ヴェリア大陸からいらした方で、カミラ様のお知り合いだとか」
「え、カミラさんの知り合い!?」
「あ……はい……ジュード、さんが……カミラ様を保護してくださったのだとか……心からお礼申し上げます」
「い、いや、そんな……」
先程まで何か期待でもするように赤くなりながらジュードを見つめていたと言うのに、当の彼本人から声が掛かればエクレールは表情を曇らせてそっとお辞儀をする。まるで落胆したかのような様子で。
それには流石のマナも不思議そうに小首を捻った。惚れた男に声を掛けられて、なぜそんな顔をするのかと。
「カミラちゃん、今日の夕方頃にはこの街の港に来るそうだぞ」
「ほ、ほんと!?」
「ま……カミラに会えるのは嬉しいけど、めでたい話じゃない。カミラの説得のお陰で協力しに来てくれるとかじゃないみたいだし……」
ウィルが言い難そうに呟くと、ジュードは嫌な予感を覚える。
これまで音沙汰なかったヴェリア大陸だ、そんな彼らがカミラの説得のお陰で来る訳ではないのなら――考えられることはあまり多くない。
「……ヴェリア大陸にある聖地ヘイムダルが、魔族の手に落ちたそうだ」
「……そう、か……」
「ヘイムダルとその民は、王都が陥落してからずっとわたくしたちを匿ってくれていたのです。しかし、先代の姫巫女さまが聖地に張り巡らせた結界が破られ、ついに魔族に見つかってしまって……」
ヴェリア大陸には、街や村がある訳ではない。
あの大陸は非常に小さいもので、その小さな大陸中央部に聖王都が築かれたのだが――その都は十年前に既に滅んでいる。
聖王都近郊の深い森の中に聖地ヘイムダルがあり、森を抜けた先には竜の神が住まうと言われている神の山があるのみ。
ヘイムダルまでもが落ちたのなら、あの大陸は今や魔族の巣窟と言ったところだ。例え神が無事であっても、状況は厳しいと言わざるを得ない。
「……わたくしたちは、逃げてきたのです。他にどうすることも出来なくて、多くの者を犠牲にして逃げてきたのです……」
震える声でそう告げながらエクレールは両手で己の口元を覆うと、静かに顔を伏せる。彼女の華奢は肩は小さく震えていた。
エクレールはジュードよりも年下に見える、恐らくリンファと同い年くらいだろう。リンファもそうなのだが、そんな年若い身でありながら声を殺して泣くことを知っている。
ジュードは暫し複雑な面持ちでエクレールを見つめていたが、軈て何かに惹かれるようにそっと片手を彼女の頭に触れさせた。
「……!?」
すると、エクレールは細い肩をビクリと跳ねさせて恐る恐ると言った様子で顔を上げる。その眸には幾つもの感情が見て取れた。
疑問、期待、不安、悲しみ――本当に様々なものが。
そしてジュード自身も、奇妙な感覚を覚えていた。
「(……? なんだろう、なんで……)」
ジュードは女の涙に弱い、故に傍から見てその行動は別におかしいものではない。慰めようとしたのだろうと――実際にウィルやグラムはそう思った。
だが、当のジュード本人は別に意識した訳ではないのだ。エクレールを泣き止ませようと意識して撫でた訳ではなく――気が付けば、自然な動作でそうしていた。
まるで、そうすることが当たり前のように。
ジュードもエクレールも、目を丸くさせて暫しの間――互いを見つめたまま固まっていた。




