第十二話・リンカーネイション
「(これ、は……この威圧感、一体何事……!?)」
少女は全身に感じる威圧感に立ち竦んでいた。
まるで頭から強い力で押さえ込まれるような不可解な感覚だ、少しでも動けば何かに命を刈り取られるのではないかと思うほどの。
莫迦げていると思いはするものの、全身が、本能が恐怖していた。
そしてヴィネア本人も。
まるで蛇に睨まれた蛙のような状態で、身動き一つ取れなくなっていたのである。
かち合う視線を外すことも出来ない。今もまだジュードの黄金色の双眸はヴィネアを睨み据えたまま外れていなかった。
大気が震えるのを感じる。
そしてジュードの身を中心に、光が渦を巻くように集束し始めた。ウィルたちもまた、そんな彼の様子に目を見開いている。
グラムや精霊二人を除く面々はジュードのこのような現象は初めてではない、だが分からないことが非常に多いのも事実。
そして次の瞬間――それは起こった。
「――ッ!? な……なに、なんですの……!?」
不意にヴィネアは己の身に何らかの衝撃を受けた。一拍遅れで激痛を覚えることから「攻撃を受けた」とは理解が出来る。問題は、その正体だ。
ジュードとヴィネアの傍には他に誰もいなかった。マナはルルーナと共に遥か後方に飛ばされたし、リンファはその中間ほどにいる。ウィルやグラムはこちらとは真逆の方向に吹き飛ばされて、彼らの中で一番距離があった。
不意に現れた正体不明の少女とて、動いた様子はない。
ならば、一体誰が自分を攻撃したと言うのか。ヴィネアが抱いたその疑問は、彼女が振り返ったことで知れる。
「な……な……ッ!?」
「まさか、でも……なんで……!?」
ヴィネアの右肩には獣が咬み付いていたのである。鋭利な牙を剥き出しに、両目をジュードのように金色に輝かせながら。牙が突き刺さったヴィネアの身からは鮮血が溢れ出し、彼女の足元に血溜まりを作っていく。
その光景を見て息を呑んだのはヴィネアだけではない、ウィルたちも同様であった。
何故なら、今まさにヴィネアに咬み付いているのは――先程確かに事切れた筈の、ちびだったからだ。
「貴様ッ、なぜ!?」
「リ、リンファ、どういうことなの? ちびは助かったの!?」
「い、いえ、そんな筈は……!」
状況に頭が追い付かないと言った様子で、マナは思わずリンファの背中に声を掛けた。
だが、彼女とて分かることではない。ちびは先程、確かにジュードの腕の中で息を引き取った筈だ。それはリンファだけではなく、ルルーナも確認したことである。
しかし、それでも目の前の――ちびがヴィネアに咬み付いていると言う現実は変わらない。
「でも、身体が……」
「うむ……毛の色が少々おかしい。ちびは黒っぽい毛で腹部分が白だった筈だが……」
彼らの目に映るちびの姿は、今や灰色の毛に覆われていた。それが何故ちびだと思ったか――それは、先程まで倒れていたちびの遺体が消えていたからである。
ジュードはそこでようやく地面に片手を付いて立ち上がると、ヴィネアを間に挟んだ形で逆手をちびへと伸べた。すると、ちびは千切れた筈の尻尾を大きく左右に揺らし始める。
――その反応は、やはり間違いない。ちびそのものであった。
「リンカーネイションだに……」
「……なに、それ……?」
「転生、一度死んだものを新しい存在として生まれ変わらせる力のことだに。今のちびはもう魔物じゃなくて、あの姿は……聖獣だに、聖獣フェンリル」
「じゃ、じゃあ、ちびはウルフじゃなくて、その聖獣として生き返ったってこと……?」
ライオットの言葉をそのまま受け取るのなら、そうなる。嬉しそうに尻尾を揺らす姿は、まさにちびとしか思えないのだから。
ジュードがふと笑い掛けると、ちびはその身から白く強い光を放った。
それと共に灰色に染まっていた毛が更に色を失い、輝かしい純白へと変貌していく。
「……ちび、そのまま好きにすると良い」
「ギャオオオォッ!!」
「う、う……うあ……いやあぁッ! アルシエル様ッ、助けてっ、アルシエル様あああぁ!!」
ジュードのその一言に対し、ちびは喰らい付いたままのヴィネアの身を頭を振ることで近くの地面に放り投げる。放られたヴィネアはと言えば、咬み付かれた箇所を逆手の平で押さえながら必死に後退した。腰を抜かしたかのように、ずるずると。
これが本当にあの高慢ちきなヴィネアなのかと――思わず疑えてしまうほど。
純白の毛に覆われたちびは、そんなヴィネアにゆっくりと歩み寄り――こちらもやはり切断された筈の前足で、彼女の身を斬り裂いた。
既に前足にジュードが付けた武器はなくなっているが、あってもなくても変わらない。ちびの前足にはそれよりも遥かに鋭利な爪が生えていたからだ。
「いや……ああああぁッ!!」
ちびの鋭利な爪によって斬り裂かれた箇所から白く眩い光が溢れ出す。
それと共にヴィネアは苦しそうな悲鳴を上げ――軈て全身が閃光に包まれてしまった。そしてヴィネアの姿は影も形もなくなり、完全に消えたのである。
まるで溶けてしまったかのように。
マナやリンファ、ウィルにグラムも――誰もが皆、その光景に唖然としていた。依然として正体の知れない少女も例外ではない。
ジュードは白い光に包まれるちびに歩み寄ると、そっと微笑みながらふわふわの頭をいつものように撫で付ける。だが、その直後――彼の双眸は普段の翡翠色へと戻り、支えを失ったかのようにその場に崩れ落ちてしまった。
「――ジュード!!」
グラムとウィルはその姿を目の当たりにすると、思わず駆け出す。ちびが咄嗟に支えてくれたお陰で頭や身体を強打することはなかったが、やはり既に意識はない。常の如く深い眠りに就いてしまったようだ。
少女は手にしたレイピアを鞘に戻すと、エメラルドの双眸を丸くさせてジュードを見つめる。
「(……あの方は、もしや……? いいえ、まさか……そんな筈がありませんわ……)」
言葉にこそ出さぬものの、少女は暫くその場に佇んだままジュードと――その傍らでお座りをするちびを眺めて呆然としていた。