第十一話・死の予感
マナとリンファは激痛の走る身を何とか動かして上体を起こす。彼女たちの身にも例外なく大小様々な裂傷が刻まれている――尤も、最前線で戦っていたウィルやグラムに比べれば幾分か軽い方なのだが。
マナは傍らで意識を飛ばしていると思われるルルーナの身を抱き起こしながら、その傷の具合を窺った。
「ルルーナ、ちょっと……しっかりしてよ……!」
「ジュード様、皆様……」
ルルーナは地属性を強く持っているために、風の攻撃には非常に弱いのだ。それは地の精霊であるノームとて同じこと――ライオットはぐったりとしたまま動かなくなったノームのふくよかな身を必死に叩いて覚醒を促している。
ウィルは倒れ込んだまま、傍らのグラムに片手を触れさせて治癒魔法を施していた。グラムは元々怪我人なのだ、あまり無理はさせられない。
そしてジュードは、うつ伏せに倒れた状態で固く拳を握り、顔を伏せていた。泣いているのか、怒りを燃やしているのか――それは定かではないが。
「あ、あの娘は……一体誰なんだ……?」
「お前たちも知らん娘か……」
ウィルはグラムの傷を治療しながら、突然現れた少女に視線を向ける。ジュードのことも気掛かりだが、今はこの状況を打破する方が先だ。
そんな中、不意に現れた少女は敵か味方か――不安に思いはしたが、彼女の言葉からして敵ではないだろう。現にヴィネアも少女を敵と認識している。
「耳障り……? ふうぅん……ヴィネアちゃん、ちょ~っと怒っちゃったなあぁ。ヴィネアちゃんから見ればぁ、アンタが何より目障りなんですけどぉ」
「相容れる可能性が欠片ほどもなくてよいではありませんか、心置きなく――始末させて頂きます」
少女は淡々とした口調で言葉を返すが、その返答はヴィネアの怒りを逆撫でするには充分だったらしい。手にしていた傘をひと回しすると、先端部分を少女へと向けて勢い良く傘を広げた。
次の瞬間、ヴィネアの周囲には無数の細長い針が出現し、依然として無表情のまま自分を見つめる少女へ容赦なく飛ばす。
「その澄ましたツラ、原型も留めないくらいにメチャクチャにしてあげちゃうわねっ! 追尾しなさい、直撃するまで帰ってきちゃダメよぉ!」
その針の数を見て、ウィルとグラムは痛む身にも構わず咄嗟に身を起こして立ち上がった。その数は数千――否、数万とある。あのような華奢な少女が全てを受け切ればどのようなことになるか、そう考えたのだ。
正体や事情こそ定かではないが、あの少女は敵ではないようだ。ならば助けなくては。ウィルはそう思いながら愛用の得物を握り直す。
「……ウィスプ、わたくしの前に立ちはだかる障害を排除してくださいな。あの穢れた醜女を屠るために……」
「醜女ですって……!? このヴィネアちゃんを捕まえて何を――!」
「違いますの? あなたは心から腐敗した醜い女ですわ。その醜悪な心、ウィスプの清浄なる光で浄化して差し上げます!」
少女がそう声を上げて片手を掲げると、彼女の目の前には一つの白い光が現れた。
それは次第に人魂のような形に変化し、飛翔する数万本の針を一気に焼き尽くしたのである。文字通りまるで浄化でもされたかの如く、一本残らず溶けて消えてしまった。
次に少女が剣を揺らすと、ウィスプと呼ばれた光の炎は彼女が持つレイピアの刀身へと纏わりつく。己の攻撃を全くなかったことにされて驚愕に目を見開いているヴィネアのことになど、構う気は一切ないらしい。
少女は依然として無表情を貫きながら流れるような動作で駆け出す。目標は当然、狼狽するヴィネアだ。
「闇の加護を受けているのなら、光で遮断すればよいだけのこと。そうすればあなた方は驚異的な再生能力を失う」
「お前は……一体……!? なぜそんなことを知って――」
「お黙りなさい」
素早くヴィネアの真正面まで跳び込んだ少女は、手にするレイピアを問答無用で彼女の胸へと突き立てた。無駄など一切ない動きで。
「外側はサタンに守られていても、内側まではそうはいかないでしょう?」
「う……ッ、う……がああああぁッ!!」
少女が突き刺したレイピアから、ヴィネアの身に眩い光が広がっていく。彼女の武器に宿った光の力がヴィネアの身を内側から浄化し、溶かしてしまおうと言うのだ。その身に刻まれた傷は、先程までのように瞬く間に癒えていくと言うようなことは、もうない。
ウィルとグラムは思わず顔を見合わせ、マナとルルーナは呆然と少女を見つめる。
「ぐ、ううぅッ! 離せ!!」
「……っ、まだやりますの?」
しかし、そこで終わるヴィネアではない。振り上げた足で少女の腹部を思い切り蹴り、その反動でレイピアを引き抜いてしまうと後方に大きく飛び退ることで距離を取る。片手は地面に添え、逆手で口元を拭いながら、ヴィネアは少女を忌々しそうに睨み据えた。
気持ちでは、当然負けてなどいない。だが、彼女の身に流れる闇の力は今の一撃でその大部分が失われてしまっていた。
逡巡は――ほんの一瞬。
不本意ながらヴィネアは再度の撤退を余儀なくされた。このまま戦い続けても、この少女がいては不利と判断したのだ。
だが、口角を引き上げて薄ら笑いを浮かべると弾かれたようにジュードの方へ向き直り、一息にそちらへ跳び出す。
「今日のところは退いてあげるけどっ、目的だけは達成させてもらうわねっ!」
「ジュード……ッ! あいつ!」
「ヴィネアちゃんの目的は贄を連れ帰ることだもの、こんな奴ら今殺そうがどうしようが別に構いませんわ。サタン様が復活なさった時には人間なんて全員始末しちゃうからねぇ」
突如現れた少女とその力に呆気に取られていたが、今はとにかくジュードを守らなければならないのだ。反応が遅れてしまったことにウィルは舌を打ち、グラムとリンファは出血にも構わず駆け出そうとした。
しかし、距離的に間に合いそうにないことは一目瞭然。それでも焦らなかったのは――恐らく、次いだヴィネアの反応の所為だろう。
ヴィネアはと言えば今まさにジュードを捕まえようと手を伸ばしはしたのだが、その笑みは凍り付いていた。
「……な、なに……なんですの……?」
「……!?」
ジュードは未だうつ伏せに倒れたままだった。
彼の双眸はしっかりとヴィネアを捉えて睨み上げて来る。――尤も、その程度ならばヴィネアが怯えることはない、寧ろ逆に昂揚するだけだ。
だが、そのジュードの双眸は確かに――金色の輝きを放っていたのである。嘗て水の国で驚異的な力を見せた時のように。
そんな様子に、少女も怪訝そうな表情を浮かべて身構える。
ジュードは他の仲間と変わらず怪我人だ、傷は決して軽くはない。幸いにも命の危険はないだろうが、少しでも早く手当てをした方が良い。
そんな怪我人、本来ならば何も怖くはない筈である。
しかし、この時。ヴィネアは確かに何かを感じ取っていた。
――自らを襲う『死の予感』を。