第八話・風と雷
「あははは! ほらほら、避けないとあちこち斬れちゃいますわよぉ!」
ヴィネアを中心に巻き起こる風の渦は、フロア全体を包み込んでいた。
彼女が指先一つ動かすだけで、その風はジュードたちに牙を剥く。まるで鋭利な刃物のように彼らの身を斬り刻もうとするのだ。
最前線ではウィルとリンファが雷獣ブロンテを押さえようとするが、その都度ヴィネアのその攻撃が邪魔をする。
状況としては決して不利なものではない、完全に挟み撃ちの形だ。
グラムの元に向かったジュード、リンファ、ちびが後方から。その場に留まったウィル、マナ、ルルーナが前方から。
その間にヴィネアとブロンテがいる形となっている。
本来ならば有利に戦える筈なのだ。それが、彼女が発生させた風の渦が原因で全く手出しが出来ずにいる。
リンファは辛うじて下方から巻き起こった風の刃を避けるが、これでは突破口が見い出せない。
「厄介な女だ、この場に誘い出したのはこれのためだろう」
「……父さん?」
「外ならばこうはいかん、狭い建物の中だからこそ活きる戦い方だ」
グラムはヴィネアを見遣りながら呟くと、ジュードの肩に乗るノームを見遣る。このふくよかな生き物が助けてくれたのだと何となく理解しているのだろう、大きな手でノームの頭をがっしりと撫でてから静かに立ち上がった。
前方ではウィルやルルーナが雷獣を相手に戸惑っている、このまま大人しくしているなど冗談ではないのだ。
「父さん、その身体じゃ……!」
「はっはっは、まだまだお前たちには負けていられんわ。ジュード、剣を貸りるぞ」
「え……」
借りるぞ、と言いながらジュードの返事さえ待たずグラムは彼の腰から剣を鞘ごと引っ手繰ると、手に馴染む感覚に薄らと笑う。
負傷の所為で長らく戦いと言うものから離れてはいたが、彼はメンフィスと互角に渡り合える腕の持ち主だ。
「ジュード、ちび、お嬢さん。風が止んだら攻撃を叩き込め」
「え……でも」
「大丈夫だ、ワシが止めてやる。だから今は、あの女を倒すことだけを考えろ」
ジュードとリンファはそれでも心配そうにしていたが、軈てしっかりと頷き返す。グラムの肩に乗るライオットは大丈夫なのかと、彼とジュードとを何度も交互に見つめていた。
「ウィル、どうするの!?」
「どうするもこうするも……攻撃しようにも、これじゃ近付けない。オマケにあいつ――いだだッ!」
ルルーナは自分とマナを守るようにやや前に立つウィルの背中を見つめながら、どう切り抜けるのかとその背中に声を掛ける。
このフロアに広がるのは明らかに風の力。地の力を強く持つルルーナにとっては何よりも忌々しい空間だ。
ウィルはルルーナの声に視線をヴィネアとブロンテに向けたまま、小さく舌を打つ。後方と前方、どちらにも放たれる風の刃を防ぐだけで精いっぱいと言う状況だ。
下から突き上げて来る風の力にウィルは咄嗟に槍の柄で自らの身を守るが、武器を伝って全身に響く鈍痛に苦痛を洩らす。
「(この風じゃ、マナの魔法も駄目だ。風に流されて全体に被害が出る……オマケにあの獣の雷が風に乗ってきてキツい……!)」
ヴィネアが起こす風はもちろんなのだが、問題は彼女の傍らにいる雷獣ブロンテだ。ヴィネアの風に乗って、ブロンテの雷が伝わってくるからこそ、武器で風の刃を防いでも完全な守りにならない。
刃だけでなく、雷までもが襲ってくるのだ。
これだけの突風であればマナの火魔法では、仲間にも被害が出る。まさに、八方塞がりとしか言いようのない状態であった。
しかし、そんな時。思わずマナが声を上げる。
「ちょ、あ、あれ! おじさま!」
マナが示した先には、グラムがいる。
だが、ジュードが愛用するアクアブランドを手に持ち――あろうことかヴィネア目掛けて駆け出したのだ。
それに気付いたヴィネアは小馬鹿にするように鼻で笑うと、身体ごとグラムへ向き直る。
「あら、折角助かったのにそんなに死にたいのぉ? なら、お前から先に片付けてあげる!」
「はッ、やれるモンならやってみな!」
作戦がダメになってしまった以上、ヴィネアにとってグラムはもう餌でも何でもない。殺しても構わない存在だ。
それ故に彼女は口角を引き上げて笑うと、それまで周囲に好き勝手飛翔させていた風の刃をグラム一人に絞り込んだのである。
「――甘いッ!!」
依然として止むことのない風の渦――だが、その中に閃く刃をグラムは見逃さない。双眸を鋭く細めると両手で握り込む剣を、駆けながら流れるような動作で振るった。
「な……なにっ!?」
グラムが振るう剣は、彼の身を斬り刻もうと飛翔した風の刃を悉く弾いていく。だが、駆ける足は決して止めない。
見る見る内にヴィネアとの距離を詰め、真正面まで行き着くと――上体をやや低くしながら逆袈裟斬りの形で叩き上げた。それと同時に鞘が剣から強制的に離れ、宙を舞う。
「ケエエエェッ!」
「遅い!!」
ヴィネアの隣にいたブロンテは怒り狂いながら高く鳴き、勢い良く嘴を突き出してきたが、真横に身を滑らせることで回避する。
そして鞘が外れた刃で思い切りヴィネアの身を叩き斬った。
「キャアアアァッ!!」
「ジュード!!」
グラムが声を上げるのと同時、それまでフロア全体に吹き荒れていた風がピタリと止まった。ヴィネアに攻撃を当てたことで、彼女の集中が途切れたのだ。
やや呆然としたまま見守っていたジュードだったが、父のその声で意識を引き戻すとちびやリンファと共に駆け出す。ブロンテはそうはさせまいとばかりに彼らに向き直ろうとはしたが、それは背中に感じた激痛により阻まれた。
「アンタの相手はこっちよ。その雷、地属性の私にはあまり効かないみたいなの。たっぷり調教してあげるから、いらっしゃい!」
「ほ……ほどほどにしなさいよ」
ルルーナだ、その手に持つ鞭でブロンテの背中を思い切り叩いたのである。それを見てマナは思わず表情を引き攣らせた。
ウィルは風が止んだのを確認するなり、ジュードたちとほぼ同時に駆け出していた。
真っ先に行き着いたちびは怯んだヴィネアの身に大口を開けて咬み付く。そして前足に装着された爪でその身を引き裂いた。
続いてウィルはルルーナを後目に見遣り心配しつつも、愛用の槍の切っ先をヴィネアの肩へと突き刺す。すると高い悲鳴が洩れ――ヴィネアは咄嗟に反撃に移った。
「ぐ、ううぅッ! 調子に乗るんじゃ――!」
「それは……こちらの台詞です!」
無事な片手の爪を伸ばし、その身でウィルを斬り裂こうとしたのだ。
だが、それは頭上から襲い掛かったリンファによって妨害される。
リンファは彼女の左腕に短刀を投げ付けて攻撃を阻むと、続いてその後頭部に飛び膝蹴りを叩き込んだ。そして思わず前のめりになったヴィネアの首に両足を絡め、ひと回転。
回転の勢いを付けて、その身を固い床へと思い切り叩き付けた。
「……!」
だが、リンファはそこで気付く。
グラムの一撃やちびの咬み付き、ウィルの攻撃でヴィネアの身からは確かに血飛沫が上がった筈だ。だが、その傷はもうほとんど見受けられない。
――与えたばかりの傷が癒えているのだ。それも、驚異的な速度で。
それを見てリンファは咄嗟にジュードに声を掛けた。完全に癒えてしまう前に仕留めた方が良い、そう判断して。
「ジュード様、トドメを!」
ジュードは利き手で固く拳を握り締めると、床に仰向けで倒れ込んだヴィネアに飛び掛かる。そして、落下の勢いを加えて彼女の腹部に思い切り一撃を叩き込んだ。
それと共に衝突した箇所が強い光を放つ。
シヴァから伝授された勇者の技――閃光の衝撃だ。
「――がはッ!」
強烈な一撃を生き物の弱点と言える腹に受け、ヴィネアは双眸を見開くと盛大に吐血した。そのまま白目を向いて意識を飛ばしたと思われる様子を確認すると、ジュードは静かに彼女の上から降りる。
ここで安心は出来ない、まだ雷獣が残っているのだから。
ブロンテは高い泣き声を上げて、両翼を羽ばたかせながらルルーナとマナ相手に雷の魔法を放っている。
次はあいつ――ジュードたちはそれぞれ武器を構え直すと、雷獣ブロンテを退治すべく今度はそちらに駆け出した。