第六話・雷の牢獄
アルトゥーム遺跡の内部は、薄暗かった。
もう随分長いこと、人の出入りがないのだろう。あちこち蜘蛛の巣だらけだ。時折ネズミやトカゲが顔を覗かせるが、久方振りの来訪者に驚いたように即座に逃げ出していく。
スライムやウルフなどの魔物も同じだ、遭遇はしても襲ってくることがない。ミストラルの魔物の多くは、今もまだ狂暴化が進んでいないらしい。
人を見るだけで襲ってくるオーガだけは、やはりいつものように襲撃して来るものの、他国の魔物に比べれば可愛いものだ。
「ねぇ、ウィル。この遺跡って何か謂れはあるの?」
「さあ……大昔には何か大層なお宝が祀られてたってのは聞いたことあるけど、それ以外は特に。魔物が狂暴になる前は、野盗とかが隠れ家にでもしてたんじゃないかね」
壁や通路には燭台がある。蝋燭は根元まで溶け切っていて燭台に蝋がこびりついているが。
もう永いこと使われていないだろうとは、容易に想像出来る。
しかし、仄かな明かりがあれば隠れ家や秘密基地にするには持って来いの造りだ。
通路やフロアは比較的広く造られ、床は石畳が煉瓦敷きの形で連なる。壁や天井も同様の形で石積みだ。
何処からか緩やかに風が吹き込み、何とも言えない感覚を与えて来る。幼い子供であれば冒険心を擽られることもあるだろう。
尤も、全体的な広さは然程ではない。幼い子供の足ならばともかく――ジュードたちは、そう時間を掛けることなく最奥へと行き着いてしまった。
「あははっ! いらっしゃぁ~い!」
遺跡の最深部はこれまでのフロアよりも遥かに広かった。軽く見ても二倍はある。
その広い中央部分にヴィネアはいた。表情には嬉しそうな笑みを浮かばせて。
「――父さん!!」
だが、ジュードたちが気になるのはヴィネアではない。彼女に拉致されただろうグラムの安否だ。
そのグラムは、ヴィネアの後方――最深部の本当に一番奥の壁近くに倒れ込んでいた。彼の周囲には雷のような眩い光が展開している。
否、文字通り雷なのだろう。触れれば深い火傷を負う、雷で造られた牢獄だ。
鉄格子の牢では、グラムにとって『牢』にならない。幾ら魔物に襲われ療養中の身であれ、もう具合は随分と良くなっている。
つまり、自ら抉じ開けることさえ可能なのだ。ましてや自分の所為でジュードが危険な目に遭うかもしれないとなれば、余計にそれらの行動に出る可能性は高くなる。
「……!? ジュード……バカな、なぜ……なぜ来たのだ、馬鹿者!」
だが、例え雷の牢獄であろうと鉄格子であろうと、グラムにはあまり関係なかったらしい。その身のあちらこちらは、焼け爛れて既にボロボロだ。
ジュードの声に反応して上げた顔は、見るからに窶れている。一体どれほどの長い時間、この牢獄から出ようと奮闘していたのか。
「大人しくしてって何回も言ったんだけどぉ、全く聞いてくれなくて困っちゃってたのよねぇ」
「お前……ッ!」
「すと~っぷ、それ以上近付いたらダァメ。ジュードくん以外のザコちゃんたちは、一歩でも動いたらジュードくんのパパの腕か足、ちぎっちゃうんだからぁ」
ヴィネアの機嫌は非常に良いようだ、これまでよりも遥かに甘えた声を出して至極嬉しそうにケラケラと笑っている。
――ジュードたちにとっては、腹立たしいだけなのだが。
「ジュードくん、分かってるでしょおぉ? 武器を捨てて投降しなさい、あなたがヴィネアちゃんと一緒に来てくれるならパパは無事に返してあげるわ」
その言葉にジュードは脇に下ろした手を握り締める。
マナたちは後方に退がり、ウィルはちびが飛び出して行かないように制しながら、その場に佇んだままジュードの背中を見つめた。
そう言ってくるのは想定内だ。グラムを盾に取られれば、ジュードは反抗出来ない。そんなことは深く考えずとも分かる。
「……本当に、父さんは無事に返してくれるのか」
「もっちろん、約束するわ。ヴィネアちゃんだって本当は乱暴なことなんかしたくないんだもの」
「ジュード、よせ!!」
グラムは痛む身に鞭打ちながら上体を起こすと、叫ぶように言葉を向ける。自分の所為で可愛い息子が連れて行かれるなど、冗談ではなかった。そんなことになるなら死んだ方がマシだと、そう思えるほど。
ジュードとて、本当ならば今すぐにでもグラムを助け出したい。だが、今はウィルが考えた作戦が上手くいくことを願う以外にない。
――自分の背中に貼り付いたライオットとノームが、上手く攪乱してくれることを。
ジュードは腰から剣と短剣の鞘を外すと、その場に落とす。
そして、己の背中に必死にしがみついている精霊二人がヴィネアの視界に入らないよう努めて慎重に歩きながら、彼女の元へ向かった。
尤も、彼ら二人は小さい。多少のことでは見えないのだが。
「うふふ、イイコねぇ。最初からそのくらい素直だったら、ヴィネアちゃんもあなたのパパに手荒なマネしなくて良かったのにぃ」
「早く父さんを解放してくれ」
「もうっ、せっかちさんなんだからぁ。まずは――はいっ、と!」
ケラケラと、ヴィネアは勝利を確信して嬉しそうに笑う。水の国で遭遇した時のような不可解な力こそ警戒するものではあるのだが、今のジュードは丸腰。更に親を盾に取られている。
何も出来ないことが分かっているためだ。
ヴィネアは上機嫌そのままに、武器である傘をひと回しする。
――その瞬間、ジュードの頭上からは眩い光が降り注ぎ、グラムの周囲に張り巡らされているものと同じ雷の牢獄が出現した。
この牢に閉じ込めてしまえば、ジュードに出来ることはもう何もない。
「ジュード!」
マナとルルーナはほぼ同時に声を上げ、ウィルは地面に転がるジュードの武器を拾い上げる。
早く、早く――グラムが解放されることを今か今かと待ちわびる。気持ちばかりが急き、普段は冷静なウィルとて今すぐに飛び出してしまいそうな想いだった。
「(早く、グラムさんを解放しろ……! まさかとは思うが……)」
ヴィネアは、本当にグラムを解放するのだろうか。
そんな不安がウィルの頭を過ぎる。
相手は魔族だ、本当に約束など守ってくれるのか。最悪の展開を考えて、ウィルは内心で焦る。
嫌な予感ほど、的中するものである。ウィルが抱いたその最悪な考えは間違いではなかった。
ヴィネアはくるりとグラムの方に向き直ると、傘を高々と掲げたのだ。
「あははっ! それじゃあ、出てらっしゃいブロンテ! お前に餌をあげるわぁ!」
「な……ッ!」
ヴィネアがそう声を上げると、彼女の傍らには太く大きな雷が落ちる。それと共に、その場には一匹の魔物が姿を現した。
頭は鳥、身体は獣の形をした――グリフォンと呼ばれる魔物に近い。羽毛は黒く、目は血のような真紅。その身全体が雷を纏っている。
ジュードはそれを見ると思わず声を上げた。
「おい! 父さんを離せって言ってるだろ!」
「ジュードくんって本当におバカさんなのねぇ。約束っていうのは破るためにあるのよぉ? なのに信じちゃうなんて本当にお・バ・カさん、きゃはははっ!」
ウィルは忌々しそうに舌を打ち、ちびとリンファは真っ先に駆け出す。マナとルルーナは即座に詠唱を始めた。
やはり、ヴィネアにグラムを解放する気はない。このまま殺すつもりだ――ジュードの目の前で。
その可能性を考えなかった訳ではない。だが、こうまで距離があるとこの場で出来ることなどほとんどないのが現実だった。
「父さんッ!!」
ジュードの吼える声を聞きながらリンファとちびは魔物へと駆ける。
だが、ブロンテと呼ばれた魔物は両者に見向きもせず、牢獄に閉じ込められたままのグラムへと向き直った。
グラムを捕らえる大好物の雷を前に、ブロンテは興奮しているようだ。高く鳴き声を上げ、雷と共にその身を喰らおうと勢い良く飛び掛かる。
ちびとリンファは全速力で駆け抜けるが――その援護は、間に合いそうになかった。