第四話・港街カームでの一夜
麓の村に戻りジス神父に詳しい話をした後、ジュードたちはアルタートゥム遺跡近郊の街へ向かっていた。
遺跡は随分昔に探索され尽した古いものだ。めぼしい宝もなく、盗掘者も訪れないほどの寂びれた場所である。
魔物が狂暴になる前は近くの港街に住む子供の遊び場となっていたようだが、街や村の外が危険になってからはほとんど誰も足を運ばなくなっていた。
「(これは間違いなく罠……だけど、父さん……)」
ジュードは基本的に単細胞だが、この状態やヴィネアの言葉の意味が分からないほどではない。これは『罠』なのだ、ジュードを捕まえるためにヴィネアが張ったもの。
しかし、悔しいながら彼女が言ったように、ジュードがグラムを見捨てられる筈がないのだ。彼はジュードにとって大切な父なのだから。
しかし、王都フェンベルを発ってそれなりに時間が経っている。目的の港街に着く頃には、既に辺りは真っ暗であった。
本当ならすぐにでも乗り込みたいところだが、それはウィルによって制された。
「いいかジュード、ヴィネアにとってグラムさんはお前を誘き寄せるための貴重な餌だ。……そのグラムさんを簡単に殺したり出来ないさ、万全の状態で挑んでやろうぜ」
「そうね、念のため警戒は怠れないし、一応作戦なんかも立てた方が良いんでしょうけど」
ウィルの言葉に続いたのはルルーナだ。
普段ウィルの陰に隠れがちだが、彼女もどちらかと言えば冷静な部類に入る。フェンベルでもジュードとウィルのやり取りを止め、代わりにリーブルに話をしてくれるなど、機転も利く方と言える。
ジュードとマナは、そんな二人に制されながら小さく頷いた。
* * *
今日は遺跡近くにある港街カームに一泊することとなった。
精霊の里で休んだとは言え、森を出てからのことを思えば久方振りの休息のような気さえする。
折角糸口を見つけた訳だが、水の都にいた生き残りは全てゾンビに喰われてしまったと言う。やるせなさばかりがジュードの胸中に残った。
そんな彼の傍らでは、やはりちびが心配そうにか細い声を洩らす。
「よお、まだ起きてたのか?」
「あ、ああ、ちょっと眠れなくて」
そこへ、湯浴みを終えたウィルが戻って来た。
時刻は既に二十三時を過ぎている、女性陣は既に眠っていることだろう。ちらりと寝台を見れば、ライオットとノームも仲良く身を寄せ合って、小さな寝息を立てていた。
ジュードは窓を開けると、緩やかに吹き込んでくる夜風で頭を冷やすように一度静かに目を伏せる。
自然と湧いてくる不安、怒り、焦りなどの様々な感情を持て余しているのだ。
だが、こればかりは考えても仕方のないこと。出来ることと言えば作戦を練ることだけ。
「……ウィル、本当に大丈夫なのか?」
「平気だって」
そのため、今夜は少しでもウィルの話を聞こうと意識と思考を切り替えようとした。
師匠であるシルヴァを亡くしたばかりの彼の心は、未だ本調子とは言えない筈である。それを心配しているのだ。言葉にこそ出さないが、恐らくマナとてそうだろう。
ウィルがシルヴァに、幼い頃に亡くした『母』を重ねていたと言うこともジュードは知っている。
彼にとって『家族』やそれに近い感情は極めて特別なものだ。幼少の頃に突然奪われてしまったからこそ、何より掛け替えのないものと認識している。
だからこそ、大丈夫なのかと心配になった。
「……そりゃ、何ともないとは言わないけどさ。ウジウジしてたらシルヴァさんに怒られちまうだろ、しっかりしなさい、ってな」
「ああ……スパルタなんだっけ」
「そうそう、綺麗な顔して怖いんだ」
ウィルのその言葉には聞き覚えがある。
精霊の森へと出発する前――最後にシルヴァと言葉を交わした際のものだ。
当時は愉快そうに笑っていたが、今の彼の表情には自嘲が滲んでいる。言葉こそ同様のものではあるが、その心の中ではあらゆる感情が複雑に絡み合っていた。
そして、その瞬間をジュードは見逃さない。――ウィルの双眸から、ぼろりと大粒の涙が零れ落ちたのを。
流した本人も当然ながら気付いたらしい、寝台に腰掛けながら片手で己の目元を覆う。
幾ら冷静で大人びていようと、ウィルもまだ大人ではないのだ。頭で必死に割り切ろうとしても、上手くいかない。
ジュードはその隣に腰を落ち着かせると僅かな躊躇の末に、俯くその頭をややぎこちなく撫で付けた。
「(オレ、いっつもウィルに寄り掛かってばかりいたんだなぁ……)」
何かあった時、いつもカミラかウィルが傍にいてくれた。
特にウィルには撫でられることは多くとも、自分がこうして彼を撫でたことはほとんどない。
自分自身の甘さが嫌になった。どれだけ仲間に甘えてきたんだろう、そう考えると自己嫌悪に陥る。
『――君は一人で色々なものを背負い込みすぎる。君はそれで良いかもしれないが、周りはそうでもないのだ。……もっと皆を信頼し、頼りなさい、いいね?』
シルヴァから掛けられた言葉が、ジュードの脳裏に浮かんだ。
彼女が言いたかったことが、こういった面に対してなのかどうか、今となっては確認のしようもないが――改めてその言葉を噛み締める。
思えば、自分の所為で、自分の所為でとそればかり考えていた気がする。地の国グランヴェルでウィルが瀕死の重傷を負ってからは、特に。
仲間はそれを見て、どう思っただろうか。ジュードはぼんやりと考える。
カミラは言っていた、ジュードがいたから苦しいことも乗り越えられたのだと。
けれども、ジュードは彼女が向けてくれた純粋な感謝と励ましに背中を向けていた。ウィルが怪我をしたのは自分の所為だ、だから放っておいてくれと言わんばかりに。
「(シルヴァさんが頼りないって思うのも当たり前だよな……オレ、信頼するってこと分かったつもりで全く分かってなかったかも……)」
ジュード自身は、仲間を信頼しているつもりではいたのだ。だが、それは正しい形ではなかったのかもしれない。それを教えてくれたのは、シルヴァだ。
失ってから気付くのでは、遅すぎるのに。
ジュードは逆手を固く握り締めながら、ウィルが落ち着くまで彼の頭をゆったりと撫で付けていた。
少しでもその悲しみが癒えてくれるよう、願いを込めて。