第三話・黒い珠のいざない
「神父さま、ジス神父さま!」
風の都フェンベルで馬を借り、ジュードたち一行は大慌てで麓の村までやって来た。日頃足繁く通っていた懐かしい村の雰囲気や空気を懐かしむ間もなく、ジュードは真っ先に教会へと飛び込む。
すると、教会内ではジス神父がいつものように勉強を教えていたらしく、その場に居合わせた神父と子供たちの視線が一斉にジュードに集まった。
ジス神父は慌てて本を閉じてから、彼の傍らへと駆け寄る。
「ジュード、やっと戻って来たか!」
「う、うん、ヴィーゼ王子に話を聞いて……それで、父さんがいないって!?」
「そうなのだ、いつからなのかは分からんのだが……とにかく一度行ってみると良い」
どうやらめぼしい情報は得られないようだ。確かに神父の言うように実際に行って、自分の目で確かめた方が良い。
ジュードは静かに頷くと、ウィルやマナを振り返る。すると、両者とも特別言葉もなく頷き返してくれた。長い付き合いだ、言いたいことは伝わる。
「気を付けてな」
「うん、確認したらまた来るよ」
ジス神父の見送りの言葉にジュードは返答を向けた後、先んじて駆け出していく仲間の後に続く。少し前は足繁く通った道なのだが、もう随分長いこと離れていたような気さえする。
嫌な予感を感じながら、ジュードはウィルたちと共に本来の自分たちの自宅へと駆けて行った。
* * *
だが、行き着いた自宅――否『自宅があった場所』は彼らの不安や焦燥を嘲笑うかのような現実を突き付けてきた。
グラムが建てた木造二階建ての広い家は、内側から何かに破壊されたかの如くメチャクチャになっていたのである。
まるで内側から強制的に抉じ開けられた箱のようだ。壁は四方に倒れ、中の家具などあらゆる形に拉げている。
「そんな……あたしたちの家が……」
「グラムさん……グラムさんは!?」
「父さん!!」
家が見るも無残な状態に破壊されてしまったのは確かにショックだが、今は何を置いてもグラムの安否確認が先だ。
家の残骸へと駆けていくジュードの後には「ガウッ!」と一つ吼えてからちびが続く。ちびは犬科だ、鼻が利く。グラムが何処かにいるのなら即座に反応が出来るだろう。
「手分けしておじさまを探しましょ。ウィルとマナはそっち、私とリンファは向こうを見て来るわ」
「あ……ああ、頼む。ルルーナ、リンファ」
「はい、お任せください!」
ウィルとマナは自宅の右側、ルルーナとリンファは反対の左側へと駆け出していく。家財道具が散乱し、一番捜索が困難と思われる中央部は鼻の利くちびを連れたジュードに任せることにした。
ライオットとノームも頻りに匂いを辿るちびの頭に乗ったまま、あちらこちらに視線を向けている。非常に真剣な様子で。
「わうっ! わうっ!」
「……? これは……」
軈てちびが改めて吼え始めると、ジュードは慌ててその傍らに駆け寄る。すると、ちびは床に散らばった幾つもの紙やノートの中から、一枚の紙を鼻先で示した。
その紙を拾い上げたジュードの双眸は、思わず丸くなる。そこには決して上手とは言えない、ヘタクソな花の絵が描かれていたのだ。彼はその絵に、確かに覚えがあった。
「これ、オレが小さい頃に父さんにあげた絵……この辺りに匂いがあるのか?」
「わうぅ、きゅうぅん……」
花の絵を手に持ちジュードは屈んだその場から立ち上がると、改めて周囲を見回す。吼えたちびの言葉は、グラムの匂いは残ってるけど、ここにはいない――と言うものだった。
ならば、父は一体どこへ行ってしまったのか。そう思ったのだ。
自宅がこのようなことになり、家主が行方不明。シルヴァを亡くしたばかり故に、余計に不安ばかりが募っていく。
「マスターさん、あれは誰のものナマァ?」
「え?」
どうしよう――そんな気持ちが募っていく中、ちびの頭に乗っていたノームが本棚の傍を指し示した。何だろうと見てみると、そこには見慣れない黒い珠が落ちている。
少なくともジュードのものではない、ならば他の家族の誰かの所持品だろうかと、そう思いながら拾い上げたのだが――どうやら違ったらしい。
ジュードがそれを拾い上げた時、その黒い珠が不気味に光り輝いたのだ。
「うわッ!?」
「うにーっ!?」
その声は周りで捜索していたウィルたちの耳にも届いていたらしい。何があったのかと、各々慌てたように駆け寄って来た。どうやら彼らの方にもグラムに繋がる手掛かりはなかったようだ。
残る可能性と言えば、この怪しい光を放つ黒い珠だけ。
「ジュード、どうしたの!?」
真っ先に戻って来たのはマナだ、その表情は多少なりとも泣きそうに歪んでいる。これまでいつも自分たちを見守ってくれた、父のような存在がいなくなってしまったことに不安を感じているのだろう。
ウィルはそんな彼女を横から支えながら、ジュードの手にある黒い珠を見下ろした。
すると、不気味な光は徐々に珠の中央部へと集束し、一人の少女の姿を映し出す。
『……あら? ようやく見つけてくれたんですの? もう、遅いですわねぇ』
「こ、こいつは――!」
『はあぁ~い、ジュードくぅん。お久しぶりぃ~元気してたぁ?』
黒い珠が映し出した姿――それはヴィネアだった。風の力を持つ魔族の少女だ。尤も、それは外見だけであって実年齢は不明だが。
恐らく、この球には魔術が掛けられているのだろう。離れた相手と連絡を取れる、非常に便利な魔術が。
その映像の中でヴィネアは可愛らしく片手を揺らしてみせると、上機嫌な様子で言葉を続けた。
『うふふ、そんなに怖い顔しないでよぉ。久し振りなのにつれなぁい』
「お前か、父さんを連れて行ったのは……!」
『ピンポンピンポ~ン! 大正解っ!』
「ふざけるんじゃないわよ! おじさまを何処に連れて行ったの!?」
おどける、と言うよりは明らかにバカにしたようなヴィネアの反応に声を上げたのはマナだ。当然ながら彼女だけでなく、その場に居合わせる面々が珠越しのヴィネアに敵意を抱いている。
ちびに至っては牙を剥き出しにして唸っているほどだ。
しかし、そんな彼らの反応がヴィネアの気分を更に昂揚させていくのである。
『うふふっ、そうねぇ……この国の南東に港街があるでしょぉ? その近くにぃ、遺跡があるの分かるかしらぁ?』
「……ウィル、遺跡ってあそこか?」
「ああ、アルタートゥム遺跡……あの辺にはそれしか遺跡はない筈だ。けど……」
『そうよぉ、お察しの通りこれはワナ。でもでもぉ、だ~い好きなパパを助けに来ない訳ないわよねぇ? ヴィネアちゃん、と~っても待たされちゃったからぁ……早く来ないとパパの首落としちゃうかもよぉ?』
キャハハハ、と如何にも楽し気な声がジュードの神経を逆撫でしていく。これはヴィネアの挑発だ、頭では分かっているものの、感情の昂ぶりをどうにも抑え切れない。
ジュードは黒い珠を固く握り締めると、次いだ瞬間宙に放る。
――ひらりと一閃。
素早く腰裏から引き抜いた短刀の刃は、見事に珠の表面を打った。
それと共に黒い珠は宙で砕け散り、破片は緩い風に流されてやや離れた場所へと舞うように落ちる。
「……ジュード」
短剣を握り締める手は震えていた。
それは恐怖でも悲しみでもない、ジュードは余程のことがない限り恐怖などしない男だ。
故に、この震えは堪えようのない怒りからだとウィルやマナは即座に理解出来る。
込み上げる激情を俯くことでやり過ごすジュードを、ちびは心配そうに鳴きながら見つめていた。