第五話・新たな旅立ち
ジュードとウィルがメンフィスの屋敷に行っている間、マナは手早く荷物を纏めて神殿へと向かっていた。水の国に向かうことをカミラに伝えるためである。
普段は教会にさえ足を運んだりしない彼女にとって、神殿は敷居の高い場所。出入り口に佇み、そびえる神殿を見上げてぽかんと口を半開きにする。片手を額にかざし暫しの間そうしていたが、やがて緊張した面持ちで神殿出入り口を見据えると、ゆっくりと階段を上り内部へ足を進めた。
神殿の中は、目には見えないのだがなにか特別なものが存在しているような――そんな雰囲気を感じる。簡単な言葉で表現するのであれば、神聖な空気が漂っている、まさにそれだ。
高い天井と、正面に見えるステンドグラスから射し込む陽光が、内部に漂う神聖な様子に拍車をかけているように思う。
「え、と……カミラさん……どこ、かな……」
マナには、どうにもこの雰囲気や空気が肌に合わない。自然と肩に力が入り、顔の筋肉も無駄に引きつる。笑顔で、清く正しくいなければ神に罰せられてしまうのではと根拠もなにもない不安さえ浮かぶ。そんな畏怖の念さえ感じた。
とにかく、早くカミラに逢って屋敷に帰りたい。マナはそう思って歩き出す。まるで別世界に入り込んでしまったような感覚だった。
右左に続く道を直感で右側を選んで進み、長い通路を歩くと辺りに靴音が響く。それ以外はほぼ無音だ。
だが、程なくして見えてきた最奥の部屋。開かれた扉からは微かに声が聞こえてくる。マナは静かにそちらに歩み寄ると、そっと室内を覗き込んだ。
すると、広い室内にはいくつもの寝台があり、その全てに人が横たわっている光景がマナの視界に映り込んできた。どうやらケガ人を収容する部屋のようだ。そして、部屋にある寝台のひとつ。そこに寄り添い負傷者へ片手をかざすカミラとシスターの姿が見えた。
カミラの手からは白い光が溢れ出し、優しく傷を包み込んでいく。やがて光はゆっくりと止み、ケガ人は笑顔さえ浮かべながらカミラに感謝を述べていた。
マナは様々な属性の攻撃魔法を得意としているが、カミラは逆に多くの治療系の魔法を得意とする。素直に感心するように眺めてから、マナはそっとカミラの背に声をかけた。
「あ、あの~……カミラさん、ちょっと……」
本当に声をかけていいものかどうかもわからない、妙な緊張を感じながらマナはカミラを見つめた。
すると、その声に気づいたカミラはマナを振り返り、彼女の姿を捉えて表情を弛める。座していた椅子から立ち上がり、小走りでマナへ駆け寄ってきた。それを見て、マナはそっと――半ば無意識に肩から力を抜く。知った顔を見つけてやっと安堵した、そんな様子で。
「マナさん、どうしたんですか?」
「あ、うん。あのね、あたしたち……水の国に行くことになったんだけど、カミラさんも一緒に行くでしょ?」
「えっ」
普段よりやや声量を抑えるマナから向けられた言葉に、カミラは思わず目を丸くさせた。各国の神殿を巡る彼女にとって、それは願ってもない誘いである。
残すは水の国と地の国にあるふたつの神殿だからだ。それを理解してカミラは嬉しそうに表情を笑みに破顔させ、何度も頷いた。
「ちょうど治療もひと段落したんです、でも……ご一緒してもいいんですか?」
「もちろん。あたしが言わなくてもジュードならカミラさんも誘うと思うし」
マナの目から見ても、ジュードがカミラに興味を持っているのは明白であった。――否、マナの目から見るからこそよくわかる。
ずっと昔から、マナはジュードを見てきたつもりである。当然のようにマナの初恋相手はジュードであったし、今も変わらずに想いを寄せている。昔から特に気にして見ていた存在だ。
だからこそ、そのジュードの心の動きはウィル同様、マナにはすぐにわかった。
ジュードは不特定多数の女性に優しいが、余程のことがなければ深入りはしない。鍛治仕事で忙しく、色恋沙汰に興味や関心を向けることもなかった男である。
そんなジュードが、カミラに対してはなにやら必死であり、時に嬉しそうに、時に照れたように笑う。頬を赤らめたりすることさえあるくらいだ。惹かれていることは一目瞭然である。
だからといって素直に身を引くと言う選択肢には行き着けないが。
そんなマナの心情も知らず、カミラは嬉しそうに笑って頷いた。
* * *
神殿を後にしたマナとカミラは、まっすぐに屋敷へ戻るべく街中を歩く。そんな中で、ちらりとマナは隣を歩くカミラに目を向けた。
ストレートな自分の髪とは異なる、緩いウェーブのかかった柔らかそうな髪。色も瑠璃色で、マナの太陽色とは対照的で落ち着いたもの。全体的にふわふわとしていて、同性であるマナから見ても可愛らしい印象を受けた。
ルルーナとは異なるタイプなのだ、カミラは。
ルルーナはどこまでもマナを見下し、ジュードを巡る敵として悪意に満ちた言動ばかり。だが、カミラはジュードだけではなく、マナやウィルのことも心配するし、平等に気にもかける。買い出しの頼み事も快く引き受けてくれた。
「(ルルーナみたいに純粋に嫌な女なら、逆に気が楽だったのかしら……)」
普通に優しくされては憎めない。ジュードを狙う恋敵だと認識するのも違う気がする。
友達だと言えば本当に嬉しそうに笑うし、声をかけるだけで喜ぶ。食べ物を与えれば相手がジュードでなくとも、それはそれは幸せそうに表情を破顔させる。可愛らしい顔立ちを裏切り、本当に幸せそうに、時にだらしなく。
そっと小さく吐息を洩らしてマナは思考を止めると、カミラに一声かけた。
「ねぇ、カミラさん。敬語とか使わないで話そうよ、あたしのことも呼び捨てで構わないわ」
「え?」
「だって、あたしたち友達でしょ」
マナがそう言うと、カミラは瑠璃色の双眸を丸くさせて何度か忙しなく瞬き――そうして、やはり嬉しそうに笑った。
それにつられて、マナも自然と表情を和らげる。
ちょうど屋敷が見えてきたのに気づき視線をそちらに移すと、ジュードとウィルがメンフィスと共に彼の屋敷から出てきたところであった。
「あ、ジュード! ウィル!」
マナが声を上げると、当のジュードとウィルが振り返る。しかし、彼らはどうにも見慣れないものを身につけていた。
マナとカミラは不思議そうな表情を浮かべて、そちらに歩み寄る。
ジュードはいつものジャケットの下に着込む黒のインナーの上に、銀色の胸当てを装着していた。左腕には同じ素材と思われる、手首から肘近くまでの手甲を嵌めている。
ウィルは同じように――しかしジュードが身につけるものよりは分厚く、腹部辺りまである胸当てを着用していた。左肩には胸当てに留め具をつけることで固定するタイプの、丸みを帯びた肩当て。両足には鉄製のグリーブを履き込んでいた。
「ど、どうしたの? そのカッコ……」
「ちゃんと防具つけた方がいいって……メンフィスさんが」
苦笑いを浮かべながら答えるジュードの隣では、メンフィスがどこまでも満足そうな笑顔を浮かべて、うんうんと何度も頷いている。
次いで、カミラはジュードの腰に視線を落とす。そこには見慣れない剣が鞘に収まり、鎮座していた。
「その剣は?」
「うん。いつもの短剣さ、石外しちゃったから代わりになる武器……と思って」
「ジュードは、あのナイフの魔法に頼りっぱなしだったからな」
やや照れたように片手で横髪をかくジュードの横からウィルが顔を出すと、揶揄すべく横から一声挟む。うるさいな、とジュードは慌てたようにウィルを横目で見遣り小さく呟いた。
ウィルはそんな彼の様子に対し、愉快そうに声を立てて笑う。
「メンフィスさんが剣を教えてくれるって言うし、覚えてみようかと思って」
「ジュードが剣だなんて、…………いいんじゃないかな、うん」
「そ、そうかな。慣れないけど、まあ頑張るよ」
マナはそんな二人のやり取りをいつものこととして見守りながら、片手を頬に添えて一度視線を宙空へ投げる。実際にその光景を想像したのか、数拍の間を空けてから呟くように続けた。
マナの頭の中では、剣を振るい立派な騎士のように戦う美化されたジュードの姿が再生されている。――もっとも、ジュードはただの鍛冶屋で騎士ではないのだが。そこは乙女の想像だ、深く突っ込んではいけない。
カミラは、マナの言葉に同意するように何度も小さく頷いた。
「うん、ジュードかっこいい」
「え、いや……そ、そう?」
マナに言われてもただ笑うだけであるのに対し、カミラからの言葉には照れたように頬をかいたり、困ったような表情を浮かべて視線を横に逃がしたりする。
ジュードをよく知る者からすれば、なんともわかりやすい反応だ。
カミラには他とは違う反応は伝わっていないように見えるが、マナとウィルはやや生暖かい眼差しを向けてジュードとカミラを見守る。そして、それを見ていたメンフィスは愉快そうに笑い、出発を促した。
「さあさあ、荷物を持ってきなさい。すぐに発つぞ」
今現在の火の国のことを、そして前線基地のことを思えば呑気に遊んでいるような時間もないのである。
ジュードたちはメンフィスの声に頷くと、隣にある屋敷へと駆け出していく。
今また、新しい旅が始まろうとしていた。