第五十九話・二つの道
翌日、ジュードは早朝から聖殿へと足を運んでいた。
一晩で仲間の容態が快復する筈もなく、お供は彼の肩に乗るライオットのみ。ノームは未だ寝台で眠っている仲間たちの様子を見守っている。ジュードはライオットと共に、里にやってきた本来の目的のために行動しているのだ。
けれども、彼の肩に乗るライオットはと言えば寂しそうだ。常の明るさはなく、仲間のことを心配しているようにも解釈は出来るのだが、理由はそれだけではない。
「うにー……マスター、本当にカミラのお見送り行かなくても良かったんだに……?」
「……」
――これだ。
カミラは今朝ジュードが起きるよりも先に、この精霊の里を後にしていた。
もちろん、昨夜言っていたようにヴェリア大陸に帰るために。
ジュードは昨晩のことを思い返すと、暫しの沈黙の末に小さく頷いた。
「……良かったんだよ」
「でも、でも……」
「カミラさんには、カミラさんにしか出来ないことがある。……オレを信じて任せてくれたんだ。ならワガママ言わないで、それに応えないと」
ジュードからの返答にもライオットは不服そうに小さく唸ってはいたが、それ以上余計な口を挟むことはしなかった。
本音を言うなら、ジュードとて見送りには行きたい。共に行くことは出来なくとも、せめて彼女が乗った船が見えなくなるまでは見送りたいとずっと思ってきた。
だが、彼女は見切りを付けて「帰る」と言ったのではない、逃げ帰ったという訳でもないのだ。
――全ては、大切な仲間のため。
* * *
「ヴェリアに、帰る……!?」
「うん、今は傷が塞がってるけど……完全に魔剣の効果が消えた訳じゃないらしいの。また時間が経つと勝手に傷口が開くって……」
「じゃ、じゃあ……!」
それは昨夜のことだ。
カミラがヴェリアに帰ると言った際のもの。
ウィルたちの身に刻まれた傷は確かに塞がったが、それは完全な治癒にはなっていないらしいとジュードはカミラの口から聞かされた。今は一時的に魔剣の効果を抑え込んだに過ぎず、時間の経過と共にダーインスレイヴの効果は目を覚まし、再び自ら傷を広げようとするのだと。
そうなれば、またウィルたちは死の淵に立たされてしまう。ジュードは視界が回転するような眩暈を感じた。
「でも、わたしの故郷の……ヘイムダルに安置されてる錫杖を使えば魔剣の呪縛から解放してあげられるそうなの」
「錫杖?」
「うん、大昔に姫巫女さまが使ったものらしくて……わたし、一度ヴェリアに帰ってその錫杖を持ってくる!」
ヘイムダルに安置されている錫杖を使えば、ウィルたちに刻まれた魔剣の効果を完全に消すことが出来る――と言うことだ。そのために、大切な仲間を助けるためにヴェリアに帰るのだと。
「で、でも、船は何処から……」
「近くの港街まで行こうと思うの。わたしは一人で大丈夫だから、ジュードは王都の人たちのことを助けてあげて」
カミラの言っていることが事実であれば、再び魔剣により刻まれた傷が牙を剥く前に何とかしなければならない。それ故に彼女が単身でヴェリアに戻ると言うのは間違っていない、治癒魔法の効果がいつ切れるか分からない以上、早く手を打たなくてはならないからだ。
しかし、もしも彼女が戻る前に魔剣の効果が再び現れたら――彼女ほどの治癒魔法の使い手がいない以上、それは確実に死を意味する。
だが、王都シトゥルスの者たちやリーブルのことも決して放ってはおけず、また後回しにも出来ない。少しでも早く彼らを救う手立てを探さなければならないのだ。
「……本当は離れるのはすごく寂しいの、でも……今のままじゃみんなが危険だから……わたし、必ず戻って来る。みんなをちゃんと治すために戻って来るから、だから――」
涙が流れるのを必死で堪えるように、努めて明るく言葉を紡ぐ彼女の姿を――その顔を、ジュードは忘れない。どれだけ掛かってもきっと忘れないだろうと、そう思った。
* * *
「カミラさんは、必ず帰ってくる。だからオレは今の自分に出来る精一杯のことをするだけだ」
「マスター……」
「寂しいってウダウダ言っててやることやらないでいたら、カミラさんだってガッカリしちゃうだろ?」
昨夜のカミラとのやり取りを思い返しながら、ジュードは己の肩に乗るライオットを横目に見遣る。その口調はやや強がりこそ含まれているものの、完全な嘘ではない。告げられる言葉も――間違いではなかった。
ジュードたちがこの精霊の里に来た目的は『肉体を変えられた者を元に戻す方法』を探すためだ。本来やるべきことを疎かにする訳にはいかない。
ライオットはそれでも心配そうに彼を見つめていたものの、そう言われてしまえばとやかく文句を連ねることも出来なかった。
「……分かったに、じゃあライオットも頑張って探すに!」
「ああ! 取り敢えず聖石を調べるぞ!」
「うに!」
最深部手前――昨日アンヘルと戦闘を繰り広げた空間のことだが、大扉は開かれたままであった。再び閉ざされることはなく、訪れる者を聖石の間へと誘うかの如く大口を開けている。
ジュードは固唾を呑むと、妙な緊張を感じながら最深部へと足を踏み出した。ライオットはそんな彼の肩に乗ったまま、何事か考え込むように短い手を己の口元に添える。
「(……けど、カミラは一体誰に魔剣のことを聞いたんだに? 確かに当時の姫巫女の錫杖を使えば何とか出来るとは思うけど……ノームが話したのかに……?)」
ジュードも、その情報の出所が誰であるのかは口にしなかった。
血の魔剣ダーインスレイヴの脅威をこの中で知っているのはライオットとノームのみ――無論ライオットはカミラに話した覚えなどない。ならば、必然的にノームが話したと言うことになる。
しかし、ライオットは釈然としないものを感じながら頻りに首を――否、身を捻っていた。