第五十八話・別れの時
アンヘルを退けたその日の夜、ジュードは仲間の様子を見舞った後に里の中でぼんやりと夜空を見上げていた。ウィルは出血量こそ多かったものの、マナたちは特に問題はない。現在はカミラの治癒魔法のお陰で傷の具合や痛みも落ち着き、安らいだ顔で眠っていた。イスラは胸部を貫かれたことで未だ苦しそうな顔をしていたが。
不幸にも里の若者たちは頭や首を貫かれ、命を落としてしまった。それ故に里の中はしんみりとしている。亡くなった者を偲んでいるのだ。
「(今回もやっぱりオレの所為、なのかな……)」
自分と同じ顔をした――アンヘル・カイドと名乗ったあの男は何者だったのか。
そのアンヘルを何とかしろと言った赤毛の青年の存在も気になる。なぜあの時、最深部にあった聖石が反応したのか、も。
「(アルシエル様って言ってたから、アンヘルは魔族って考えられるけど……あの人は誰だったんだろう、気が付いたらいなくなってたけど……)」
彼が「力を渡す」と言っていたのをジュードは記憶している。ならば、あの能力は彼が与えてくれたものなのだろう。となると、やはり気になるのはその正体。
メルディーヌを退けた時の現象に酷似していたと言うことは、あの時も彼が協力してくれたものだと考えられた。
あの赤毛の青年は一体誰なのか――ジュードの中では、その疑問ばかりが膨れ上がっていく。それと共に言いようのない不思議な感覚も感じていた。そっと胸の辺りに片手を添えて、静かに視線を足元に下ろす。
カミラと共にいる時とは異なるものだが、妙な胸の高鳴りを覚えたのだ。
「(確かにビックリするくらい綺麗な人だったけど、いやいやいや……そんなんじゃない)」
上手く言葉に出来ないものの、不可解なほどの安心感を覚えたのが事実。その感覚の正体を確かめたいと純粋に思った。
そこでジュードは座していた大きめの岩から立ち上がると、軽く辺りを見回す。周囲には特に人影は見えない――既に時刻は夜の十時を回っている、里の者はもう眠りに就いたのだろう。
それを良いことに妙に早い心音を意識しながらジュードはそっと口を開いた。里の者の眠りを妨げないよう、声量には配慮して。
「あ……あの、さっき助けてくれた赤い髪の人……聞こえてるかは分からないけど、助けてくれてありがとうございました」
その声は夜の闇に溶けて消えていく。
返事は――思った通り、返らなかった。ほんのりと落ち込む気分を確認しつつ、ジュードは改めて岩に腰を落ち着かせる。また会えれば良い、そう思いながら。
「……あ、あの、ジュード」
「……え? あ、ああ、どうしたの?」
そんな時、ふと彼の鼓膜をすっかり聞き慣れた声が揺らす。慌てたように肩越しに振り返ってみると、そこにはカミラが立っていた。先程まで仲間の看病をしていたためだろう、その顔には隠し切れない疲労が色濃く滲んでいる。
だが、カミラは努めて明るく笑うと両手の指先を己の腹前で絡ませ、やや下を向いた。――気恥ずかしそうに。
「と、隣、いい?」
「あ、うん。どうぞ」
特に断らなければならないような理由もない、ジュードが余計な間も置かずに頷くとカミラは何処か照れたように笑いながら彼の隣まで小走りで駆け寄り、静かに腰を落ち着かせた。
ジュードは空を見上げ、対照的にカミラは足元に視線を落とす。話したいと思って彼を探し回っていたのだが、いざ本人を目の前にすると何から話せば良いのか分からないのだ。だが――彼女にはどうしても、ジュードに話さなければならない事情と要件があった。
「カミラさん、お疲れさま。ウィルたちを助けてくれて……ありがとう」
「えっ……わ、わたしだけの力じゃない、から……」
「でも、カミラさんがいなかったら多分みんな死んでたよ」
「う、うぅ……」
労わってくれているだろうジュードの言葉に、カミラは唸るような声を洩らすと改めて視線を下げて――今度は俯いてしまった。そんな彼女の姿にジュードは不思議そうに小首を捻る。
確かに疲労の色は濃いだろうが、今夜のカミラは聊か様子がおかしい。元気がない、今にも泣き出してしまいそうだ。
「ど、どうかしたの?」
「……ジュード、あの……」
まさか具合でも悪いのだろうか、そう考えるとジュードの表情は心配の色を宿して自然と歪む。カミラは何かと勇ましく芯の強い少女だ、故にこれまであまり気にしたことはなかったが、自分の周囲のあちらこちらから血飛沫が上がれば普通は気分を悪くするだろう。まだ先程の戦闘を引き摺っているのかもしれない、そう思ったのだ。
ジュードは内心で彼女の体調を心配していたのだが、続いてカミラの口から出た言葉には二の句を継げなくなった。
「ジュード、わたし明日――近くの港街まで行って、ヴェリアに帰る」
ヴェリアに帰る。
それはつまり、カミラとの別れを意味していた。
いつか必ずこの日が来る、それはジュードとて理解していた。彼女には彼女にしか出来ないことがあるのだから。
しかし、こんな唐突にその日がやってくるとは思っていなかったのだ。
泣き出してしまいそうな顔で告げるカミラを、ジュードは暫し呆然としたまま見つめていた。