第五十七話・母なる地の恩寵
ジェントは己の胸に片手を添えると静かに目を伏せた。魔法の詠唱でもするように口唇から祝詞を紡いでいく。すると彼の手の平からは、力強く輝く黄色の光が溢れ出した。
警戒するようにアンヘルを見ていたジュードは横目にその輝きを確認すると、不思議そうに双眸を瞬かせる。ジェントはそんな彼の真後ろに移動し、彼の頭上からそっと光を落とした。
『余計なことは考えず、君は奴を何とかしてくれ。……大丈夫、きっと間に合う』
「は、はい!」
『……本来なら俺がやらなければならなかったことを、押し付けてしまってすまない……』
「……え?」
ジェントのその呟きにジュードは思わず背中の彼を振り返るが、どういう意味かと疑問を口にするよりも先に――身体に異変を感じた。
「――う、わッ!?」
先日のメルディーヌ戦の時のように眩い光に包まれたかと思いきや――両手に持つ剣と短剣がその形状を変化させたのだ。そして彼の双眸は常の翡翠色から黄色へと変色する。
今回は刃全体が太い両刃の剣へと変貌し、柄を握り込む手と腕を、まるで侵食するかのように肘手前までが固い岩に覆われてしまった。だが、それは当然ながら侵食されたのではない。敵の攻撃から手を守るために包まれたのである。
そして後方からはライオットとノームの悲鳴が聞こえてきた。依然として最深部から噴出する光の影響でそちらは窺えないが、恐らくはジュードが交信したことで彼の能力により後方の仲間たちの武器も再び変化を遂げたのだろう。驚愕故の悲鳴だ。
ジェントは一度そちらを見遣ったが、やはり光に阻害されて視認は出来ない。
ジュード自身もその声は気になったものの、ジェントの言葉通り――今はアンヘルをどうにかするのが先。奥歯を噛み締めると、腕で目元を擦るアンヘルに向けて飛び掛かった。
「いっくぞおおぉ!!」
「は……ッ、調子に乗りやがって……!」
ジェントはそんなジュードを確認すると休む間もなく今度は後方のカミラの元へと飛ぶ。時間はないのだ、急がなくては仲間が助からない。
溢れ出していた光が徐々に勢いを失い、軈て消えていくのを横目で見遣りながらカミラの傍らに戻るとジェントは改めて彼女に声を掛けた。幸いにも今回は彼女が持つ剣もジュードの能力――共鳴の恩恵を受けたようだ、未だ鞘に収められたままではあるものの、淡い黄色の光がその周辺を舞うように浮遊している。
『カミラ、大丈夫か』
「ジェ、ントさ……」
『今すぐに治癒魔法を使うんだ、今の君なら魔剣の傷も塞げる』
「え……でも……」
カミラは依然としてショックから抜け出せていないようだが、己の腰にある武器の変化には気付いているのだろう。目の前で倒れる仲間の武器がそれぞれ変化している影響もあるのだろうが。
ライオットとノームは頻りに辺りを見回し、そしてジュードの元へと駆けていく。光が止んだことで、ようやく彼の身に起きた現象を理解したのだ。
「あ、あれは……! こ、今度は地の神柱に!?」
「ど、どうなってるナマァ……!?」
「地の、神柱……?」
ライオットやノームの困惑したような声を聞きながら、カミラは依然として蒼褪めたまま首を捻る。するとジェントは小さく頷きを添えた。
『ジュードに与えたのは地の神柱ガイアスの力だ、共鳴の能力で君の力も増している。神柱の恩恵を受けた今なら、一時的にだが魔剣の効果を抑え込める筈だ』
「……! わ、分かりました!」
ジェントのその言葉にカミラは慌てて立ち上がると、腰から剣を引き抜く。鞘から抜かれた剣は美しい黄色の光を纏いながらカミラの全身を包み込んだ。ラギオはその神々しい光景に双眸を見開いたまま「おおぉ……」と感嘆の声を洩らす。
両手で剣の柄を握り、カミラは祈るように静かに目を伏せた。するとレイピア型に形状を変化させた刀身からは更に強い光が溢れ出し、周囲に倒れる者たちの身を優しく覆っていく。
「(お願い、お願い……! みんなを助けて……!)」
その様子に気付いたのか、ライオットはカミラの方を振り返る。何が起こったのか既に精霊の身でも理解が追い付いていなかった。
そして、カミラの剣から溢れ出した光が静かに消えた時――それまで自然と広がっていく傷に呻いていた仲間たちの声が落ち着いていたのだ。あらゆる箇所に刻まれた傷も塞がっている。ウィルは真っ先に傷を負ったことで人一倍出血が多かったため、顔色も悪いが。
ノームはふわふわと飛んでいく光を追い掛けてちびの傍らへと駆け寄る。柔らかな黄の光は前線で倒れたちびの身も優しく包み、その傷さえも癒してしまった。
「な、治ったナマァ! すごいナマァ!」
激痛と絶望に耐えていたためか、その誰もが痛みから解放されると共に吸い込まれるかのように意識を手放してしまったが、その身に刻まれた傷は確かに塞がっていた。ノームは円らな瞳を涙に潤ませながら歓喜に飛び跳ねている。
カミラは剣を下ろしてその様子を確認すると、マナやルルーナ、リンファにウィルの容態を窺った。流石に即死に至った者ばかりはどうにもならなかったが、胸を貫通したイスラの傷も塞がっている。手放しに喜べはしなくとも、仲間は皆いずれも無事だ。
涙腺が弛み視界が涙で滲んでいくのを感じながら、カミラは声を上げた。
「……っ、ジュード! みんなは大丈夫だよ! だから安心してそいつをやっつけて!!」
「カミラさん……!」
鼓膜を揺らすカミラの言葉にジュードは一度そちらを見遣る。その中途には、ちびの傷が塞がったことを飛び跳ねて喜ぶノームの姿も見えた。彼女の言葉とノームの様子にジュードは安堵に表情を綻ばせると――気合を入れ直してアンヘルに向き直る。
だが、視線を戻した先のアンヘルはと言えば、紅の双眸を丸くさせてカミラたちの方をぼんやりと見つめていた。これまでの敵対心剥き出しの様子とは異なり、何処となく幼さを残した風貌で。
そんな様子に怪訝そうな表情を浮かべると、ジュードは警戒こそ解かぬものの緩く首を捻った。一体どうしたのか、そう言いたげに。
「う……ッ!?」
「……?」
次いだ瞬間――不意にアンヘルがその表情を苦痛に歪め、片手で頭を押さえて蹲る。非常に苦しそうだ。
今が絶好の好機かとジュードも思うのだが、追撃を加えるのは聊か躊躇われる。だが、里の者の数人は助からなかった。許す訳にはいかない。
ジュードは奥歯を噛み締めると地面を強く蹴って飛び掛かる、するとアンヘルはジュードが振り被った剣を魔剣の刃で――泣き出しそうな顔をしながら受け止めた。
「――ッ、なんでそんな顔するんだよ! 泣きたいのはこっちだ!」
ほんのりと感じる罪悪感に無理矢理に蓋をして、ジュードは逆手に持つ短剣を薙ぐ。理由こそ定かではないが、明らかに先程までと様子の異なるアンヘルは――それを防ぐことも避けることも叶わなかった。
短剣はアンヘルの右肩を抉り、深くまで突き刺さる。地の神柱の加護を受けたその刃は、闇に属する彼の身を容赦なく斬り裂いた。
「う、あああぁッ!!」
アンヘルは身を仰け反らせて天を仰ぐと高く啼いた。それがたった今刻まれた傷によるものか、はたまた先から感じていると思われる不調によるものかは定かではないが。今のアンヘルは、こちらの出方も何も読めていない。
血が噴き出す肩の所為か右腕をだらりと垂らし、逆手で頭を押さえるとそのまま覚束ない足取りで後退していく。ジュードはそんな姿を警戒しながら見守った。
「あ、ああ……ッ、あ、たまが……割れ……っ!」
途切れ途切れに紡がれる呟きにジュードは瞠目しながら、恐る恐ると言った様子で近付く。彼の身に何が起こったのかは全く分からないが、尋常ではない苦しみ方だ。ライオットやノームもアンヘルの様子を不思議そうに見守る。
だが、ジュードが彼の傍らに歩み寄るよりも先に、アンヘルの足元には黒い魔法陣が出現した。罠かと一つ舌を打つとジュードは後方に跳び退り、再び武器を構える。
にも拘わらず、やはりアンヘルは身構えない。依然として苦悶を洩らしているだけだ。その身は恐怖か激痛か判断は付かぬものの小刻みに震えていた。
黒い魔法陣に包まれたアンヘルは何処か安堵したような表情を滲ませた後、剣を構えるジュードを見遣る。頭痛は未だ取れないのか、片手で頭を押さえたまま。
「……え?」
何かを呟くようにその口唇が動くのを見たが、何を言ったかまでは聞き取れない。
次の瞬間、アンヘルは黒い魔法陣と共にその場所から姿を消してしまったのである。まるで最初から何もいなかったかのように。
残されたジュードは、彼がいた場所を暫し無言のまま見つめていた。