第五十六話・ジュードとジェント
目の前に広がる光景にジュードは言葉を失った。
アンヘルが掲げた魔剣から放たれた黒い蔦のようなものは後方の仲間へと飛び、彼の言葉通りに血の華を咲かせた。
黒い蔦の先端部分は鋭利な槍のような形状と化し、その場に居合わせた者たちの身を容赦なく貫いたのだ。運が良い者は胸部や頭部への直撃こそ免れたものの、腕や肩、足に脇腹などを深く抉られた。
ウィルを運ぼうとしていた若者たちはいずれも頭部や首、胸など致命的となる部位に直撃を受けて力なく倒れ伏す。
――そしてその被害を受けたのは、何も里の者だけではなかった。
「み……みんな……」
マナやルルーナ、リンファなど仲間も黒い槍の餌食となっていたのだ。
マナは咄嗟にウィルを庇おうとしたのか、倒れたままの彼に覆い被さる形で肩や足を抉られ、ルルーナは脇腹と太腿――リンファは両足に加え、右肩を貫かれた。
カミラは突然のことに反応出来ず思わず両手で己の顔を覆っていたのだが――
「あ、あ……」
恐る恐る手を下ろして伏せた顔を上げると、彼女の瑠璃色の双眸は絶望の色を宿して見開かれた。
なぜなら、彼女の目の前にはカミラを庇い、盾になってくれたと思われるイスラがいたからだ。イスラは他の者たちと同じように腕や肩など様々な箇所を負傷し、胸部に突き刺さった一本の黒い槍が致命傷となっていた。その槍は彼女の身を貫通しているのだ。
次の瞬間、彼女の周囲にいた者たちからは見るのも恐ろしくなるほどの血飛沫が上がった。
心配して付いてきてくれた里の若い衆、自分たちを暖かく迎え入れてくれたイスラ、そして大切な仲間たち――その誰もが至るところから大量の血を噴出させながら、悲鳴を上げて倒れ込んだのである。
「うあああぁッ!!」
「ぐ、ううぅ……っ!!」
普段は滅多に苦痛の声を洩らすことをしないリンファも、今回ばかりは別だったようだ。その表情を苦悶に染めてその場に崩れ落ちた。周囲は瞬く間に鮮血に染まり、あちらこちらに血の池が出来上がっていく。
カミラはその身を恐怖に震わせ、怯えたように浅く短い呼吸を繰り返す。歯の根が合わずガチガチ、と小さくとも上下の歯が擦れ合う音が零れた。
治療しなければ――そうは思うのに、身体が全く言うことを利いてくれない。
「いやああああぁッ!!」
彼女の脳裏には幼い頃に目撃した、壊滅したヴェリア王国跡地の光景が蘇っていた。
辺りに転がる屍、夥しいまでの血の海、視界を埋め尽くすほどの赤――カミラが大好きだった美しい聖王都が滅亡した、あの光景が。
最後尾で竦み上がっていたラギオは難を逃れることは出来たものの、倒れたまま動かないイスラの姿を瞬きも忘れたように見据え、彼もまた動けずにいた。
ライオットとノームは一瞬の出来事を前に、その小さな身を絶望に震わせている。治癒魔法が効かない以上、今の彼らに出来ることは何もないのだ。
「ははっ、あはははは! 綺麗綺麗、アルシエル様にお見せ出来ないのが残念なくらいだ!」
アンヘルはその光景を目の当たりにして、酷くご満悦だ。魔剣を下ろすことで飛翔した無数の槍を消し去ると逆手を腹に添えて高笑いを上げる。
ジュードはちびを抱き締めたまま、仲間たちから目を離せずにいた。
先の攻撃もやはり魔剣によるものだ、一撃でも受ければ――その傷は時間の経過と共に、自ら広がり対象を死に至らしめる。
ならば彼が今抱いているちび、里の者やイスラ、そしてマナたちは――
「嘘だろ……ッ! そんな……!」
みんな、死んでしまう。そう考えるとジュードは目の前が真っ暗になるような錯覚を覚えた。
『――カミラ、落ち着け! カミラ! ……くそッ!』
顔面蒼白になりながら震えるカミラにジェントは必死の想いで声を掛けるが、聞こえているのかいないのか――恐らくは後者なのだろう、彼女は全く反応を返してこない。肉体を持たぬと言うことがどれほど口惜しく歯痒いのか、痛感した。
ジュードの方を見れば、すっかり戦意を喪失した彼の元に静かにアンヘルが歩み寄っている。動ける者は――誰もいない。アンヘルの存在も気にはなるのだが、今はそのようなことに意識を割いている暇はなかった。
カミラとジュードとを何度も交互に見遣った後、ジェントは拳を握り締める。そして無駄だとは知りながらもジュードの元へと飛んだ。
『ジュード、ジュード! しっかりしろ!』
「……」
『方法ならある、だから諦めるな!』
どれだけジェントが呼び掛けようと、ジュードからの反応は一切返らない。――当然だ、彼の姿はカミラにしか見えないのだから。それ故に声も聞こえないのである。
だが、傍らまでやってきたアンヘルがジュードの肩を掴んだ時だった。
『――!?』
「な……ッ!?」
それまで固く閉ざされていた最深部へ通じる大扉が、勢い良く内側から開かれたのだ。まるで蹴破られたかの如く。それと共に白く眩い光が大砲のように噴き出してきた。
その奥では、台座に設置された蒼く透き通る石が力強い輝きを放っている。――竜の神の力を宿す聖石だ。
アンヘルは眼を焼くような強い光に苦悶を洩らし、片腕で己の目元を覆う。ジェントも一度は目を守ろうとはしたのだが――彼は特に異変や苦痛の類は感じなかった。これは以前カミラが使った光の魔法『アンビバレンス』と同じようなものなのだろう、闇に属する者には苦痛を与えるのだ。
『……?』
「……」
今の内にカミラを正気に戻さないと――そう思ったジェントは後方に目を向けようとしたところで、ふと違和感を覚えた。
傍らでちびを抱き締めたまま座り込んでいるジュードの視線が、彼の方を向いていたのだ。最初こそ偶然かと思ったのだが、どうやらそうではなかったらしい。ジュードの翡翠色の双眸は穴が空くほどジェントを見つめて離れない。その表情は何処までも、不思議なものを見る目であった。
慌てて辺りを見回してみても他に姿はない、明らかにジェントそのものを凝視している。
『み、見えてる……のか……?』
「だ、だだだ誰……!?」
『(聖石の力か、ヴァリトラ……)』
ジェントはちらと最奥の部屋に一瞥を向けるが、すぐにその視線と意識はジュードへと戻す。見れば彼の腕に抱かれたちびは既にぐったりとしている、もう時間はない。ジュードの真正面に移動すると、ジェントはしっかりとした口調で言葉を向けた。
『ジュード、仲間を助けたいだろう。方法ならある、だから最後まで諦めるな』
「えっ……!? ほ、本当、に?」
『本当だ、君はその男を何とかすることだけを考えろ。そのための力は――今渡す』
その男――詳しく言われずとも、それがアンヘルのことであるとは即座に理解出来る。ジュードは静かに頷くと両手で抱き締めたままだったちびの身をそっと床に横たえ、その頭をひと撫でしてから立ち上がった。
「(……誰なんだろう、この人。オレの名前知ってたけど……それに力を渡すって……?)」
当然、その疑問が浮かばない筈はない。だが、今は彼の言葉を信じるしかないのだ。
ジュードは一度後方の仲間たちを見遣った後にアンヘルに向き直ると、依然として目を押さえて苦悶の声を洩らす様子を確認して剣を構えた。