第四十九話・ラギオとイスラ
「……そうか、それで君たちがこの里に来たのだな」
あの後、青年が戻って来るのにそう時間は掛からなかった。
里の出入り口で起きた騒動に気付いた長が様子を見に行こうとしていたからである。青年は途中で長と遭遇し、そのまま事情を話してくれたお陰でウィルたちが考えていたよりもずっと早く長と話をすることが出来た。
現在はイスラの勧めで彼女と長の家に厄介になっている状態だ。里の者を招くことも多いらしいこの家は応接室が恐ろしいほどに広く、ジュードたち全員が入室しても充分過ぎる広さがある。イスラが用意してくれた茶菓子を戴きながら彼らは長の話に耳を傾けていた。
「事情は分かった、だが今日はもう遅い。日が暮れてからの聖石の間への立ち入りは許可されておらぬのだ……今日はここに泊まりなさい、明日の朝に案内しよう」
「でも、宜しいんですか? こんなに大勢で、迷惑になるんじゃ……」
「あらあら、構いませんよ。いつもこの人と二人だけですもの、みなさんが泊まってくれたら賑やかで嬉しいわ」
族長――ラギオの言葉にウィルは慌てて仲間たちを見遣った末に、改めて彼に視線を戻す。突然やってきた挙げ句、そのまま泊めてもらうということに抵抗があったのだ。純粋に迷惑になるのではないかと。
だがウィルのその反応にイスラは片手を己の頬に添えると穏やかに、しかし嬉しそうに笑いながら頭を左右に揺らしてみせる。イスラやラギオから見てジュードは可愛い孫だ、寧ろ泊まってくれる方が嬉しいのだろう。
「じゃ、じゃあ……折角だし、お邪魔しよっか」
「……そう、だな」
マナは暫し場の雰囲気や状況を窺ってはいたものの、ちらりと仲間たちへ一瞥を向けてから呟いた。ウィルやリンファは一度心配そうにジュードに視線を向けた後に、彼女に同意するように頷く。――ジュードは戸惑っている部分も強いだろう、それを心配してのことだ。
自分が精霊族だと未だ完全に理解し受け入れきれていない上に、突然祖父母と思われる二人に遭遇したのだ。混乱しない方がおかしい。
当のジュード本人は何処か心此処に在らずといった様子で、イスラとラギオを眺めていた。
* * *
夕食と湯浴みを終えた頃には、時刻は既に二十二時を回ろうとしていた。
精霊の里に着いた時、既に陽は暮れていたし、ラギオと話をした時間も決して短くはない。突然の訪問になってしまったためにイスラも全員分の食事を用意するのに手間が掛かっただろう。運ばれてくるまでに結構な時間が掛かった。
申し訳なさを覚えながら、ジュードは里の中でぼんやりと夜空を見上げる。割り当てられた部屋では仲間たちが各々自由な時間を過ごしているだろう、旅の疲れで既に眠っている者もいるかもしれない。だが、ジュードはどうしてもまだ眠る気にはなれなかった。
森の外は大雪に見舞われているというのに、やはり精霊の森やこの里にはそれらが一切見受けられない。暑くもなく寒くもない、ちょうどよい気候が常に保たれている。
食事の際も、イスラは何処までも嬉しそうな視線をジュードに向けてきていた。ラギオの方はそうでもないが、彼女はジュードに会えたことが本当に嬉しいのだろう。
「(じいちゃんにばあちゃん、か……考えたこともなかったな……)」
ラギオとイスラの二人が本当に祖父母なのかどうかは分からない、考えても実感など湧かなかった。
夜空に向けていた視線を下ろすと口からは小さく溜息が洩れる。本日何度目のものになるかは、既に考え切れなかった。
「……ジュード君、ちょっといいかな?」
「え、あ……は、はい」
そこへ、ふと背中に声が掛かる。慌てて振り返ってみれば、そこには今まさに考えていたラギオとイスラの二人が立っていた。
ジュードは座していた大きめの岩から腰を上げると、身体ごと二人へ向き直り頭を下げる。
「あ、あの、夕飯ありがとうございました。おいしかったです」
「そ、そんな、いいのよ。気に入ってもらえて嬉しいわ」
両者は、未だぎこちない。イスラには嬉々が滲み出ているのだが、突然現れた孫とどのように接すれば良いのか距離感がよく分かっていないのだろう。
ラギオは一度家屋の方を眺めた後にジュードの傍らに歩み寄ると、彼の頭から足元までを視線で辿った。
「……先程、君が魔物と精霊を連れているところを見て驚いた。やはり血なのだな」
「そうですねぇ、あの子も……動物や魔物とよくお話していたものだわ。懐かしいですねぇ……」
「え、ええと……あの子っていうのは……メディウムさん、ですか?」
ラギオもイスラも、ジュードを通して愛娘を見ているのだろう。里の者たちにも言われたことだが、ジュードは彼らの娘によく似ているらしい、実の親から見れば孫に娘の面影を見るなど容易な筈だ。
ジュードは里の中で得た幾つかの情報を頭に思い返すと、純粋な疑問を向ける。すると、ラギオもイスラも目をまん丸くさせて静かに笑った。
「メディウムというのは我々の言葉で巫女を意味するものだよ、精霊の主のことだ。女性であればメディウムと呼ばれ、男性であれば君のようにマスターと呼ばれる」
「え、じゃあ……」
メディウム――それは、人名ではなかったらしい。
ラギオの言葉にジュードは翡翠色の双眸を丸くさせると、数度瞬きを打つ。では、二人の娘とは。
ジュードが抱いたその疑問に答えてくれたのはイスラだった。
「――私たちの娘はね、テルメースというの。あなたと同じ目をした、とても綺麗な子だったわ」
「……娘は、君の母は死んだのか?」
イスラのその言葉にジュードは双眸を見開くと、瞬きも忘れたように暫し彼女を呆然と見つめていた。続くラギオの疑問に答えなければとは思うのだが、思考が追い付いてきてくれない。
テルメース、それは水の国の王リーブルも口にしていた名前だ。君は彼女によく似ている、と。
リーブルは、テルメースは旅の男について水の国を出て行ったと言っていた。もし彼女がジュードの母であるのなら、この里にはいない。そして、その旅の男がジュードの父親である可能性が高いだろう。
対して、ジュードが祖父母の存在を知らなかった、つまり母から聞かされていなかった――ラギオはそこまで考えて、テルメースは既に亡くなったものという考えに行き着いたのだと思われる。
だが、それには聊か語弊がある。母が何処でどうしているのか、生きているのか死んでいるのか――ジュードにだってそれが分からないのだから。
「それが……分からないんです。オレは七歳か八歳くらいの頃に隣国の、ミストラルの山奥に捨てられてて。それまで何処でどうしていたのか……全然覚えてないんです」
「なんと……! では、自分が腹を痛めて産んだ子を捨てたと言うのか、あいつめ!」
「そ、そんな、あの子はそんな子じゃありませんよ。きっと何か事情があって……」
「ふんっ! 何もかも捨てて逃げ出した奴だぞ、その気になれば自分の子供だって捨てられるんだろうよ!」
ラギオはジュードの言葉を聞くなり、信じられないと言わんばかりの表情で声を上げた。その相貌は怒りに満ち溢れている。ジュードは思わず肩を跳ねさせ、数歩後退した。それほどの迫力があったのだ。
イスラはそんなラギオを宥めようとはするのだが、その擁護は彼の怒りの炎に油を注ぐだけでしかなかったらしい。ふん、と大きく鼻を鳴らしてラギオは踵を返すとそのまま家屋の中へと消えて行ってしまった。
それを見てジュードは視線を下げ、申し訳なさそうに片手で己の後頭部を掻き乱す。
「……すみません、余計なこと言っちゃったみたいで……」
「そんなことないわ、訊いたのはあの人だもの。あなたも大変な想いをしたのね、ジュードちゃん……」
「い、いや、オレは……拾って育ててくれた人がとても優しい人だったから……それにちびとか、ウィルやマナともそのお陰で知り合えたんです」
「まあ……そうだったの、あなたを育ててくれた人にも是非会ってみたいわねぇ」
ジュードの返答にイスラは幾分安堵したような表情を浮かべながら、そっと小さく吐息を洩らす。可愛い孫が辛いだけの人生を歩んできた訳ではないと知って安心したのだろう。
「さあさあ、ジュードちゃん。明日は朝が早いだろうから、もう休んだ方がいいわ。また明日お話しましょう」
「あ、はい。……突然お邪魔して、すみません。おやすみなさい」
「いいえ、いいのよ。また明日ね」
依然として、彼女が祖母なのだと言われてもジュードは確実にそうだと信じることは出来ずにいる。
だが、イスラが向けてくれる優しさは決して嘘偽りなどでない。ジュードはその優しさに妙な擽ったさを覚えながら彼女の言葉に素直に従った。




