第四十六話・アンヘル・カイド
王都シトゥルスを出発したジュードたち一行はライオットやノームの案内の下、広大な雪原の中を黙々と歩いていた。既に都を発ってから丸二日、そろそろ見えてきても良い頃だ。精霊の森はこの国の西にあり、その近くには高く険しい氷山が聳え立つ。
その氷山はカミラがフォルネウスに拉致された際に訪れた山だ。今頃はオリヴィアの捜索に出たエイルたちが到着し、王女を探している筈である。上手くいけば彼らとの合流も可能だろう。
「(精霊の森か……もしかしたらオレの故郷って可能性もあるのかな……)」
未だに信じられない部分は多いが、ジュードは頭の片隅でそんなことを考えていた。
精霊を使役する能力を持つ以上、どれだけ否定したところで彼が精霊族の血を引いていることは揺るぎない事実。博識なウィルでさえも知らなかった精霊族という存在は、恐らくはその森で身を隠しながら生きてきたのだろう。
なぜ精霊族の自分が風の国ミストラルに捨てられていたのか、親はどうしたのか、考えれば考えるだけ疑問は増えていく一方だ。
これから行く精霊の森にジュードの親がいる可能性、両親の痕跡がある可能性は否定出来ない。それを考えただけでジュードは複雑な感情に苛まれた。知りたいという気持ちと、知るのが怖いという両極端なものである。期待と恐怖、どちらが強いかと言われればやはり前者なのだが。
どのような事情があれ、親に会いたがらない子供などいない。そしてジュードとて例外ではないのだ。
「(オレは父さんの息子……だけど、本当の親がどうしてるのか知りたい気はする……)」
ジュードにとって父親と言えば、やはりグラム・アルフィアただ一人だ。記憶も何も持っていなかったジュードを面倒臭がらず何処までも大切に育ててくれた、何よりも愛する父親。彼への後ろめたさはあるが、それでも——知りたいと思う気持ちは払拭しきれない。
あそこだに! と聞こえてきたライオットの声に意識を引き戻すと、視線の先には確かに森が見える。
懐かしさの類は——特に感じなかった。
* * *
「——そうか、分かった。ではメルディーヌは休んでいるのだな」
「は、はい。ですがアルシエル様、本当にあのような男を今後も使うおつもりなんですの? 戻ってからと言うものジェントジェントと訳の分からないことばかり譫言のように呟いておりますわ」
「フ……お前には奴の気持ちは分かるまい、ヴィネア。メルディーヌはあれでよい、その方がより成長出来よう……憎しみを糧にしてな」
ヴェリア大陸の旧ヴェリア王国跡地に築かれた闇の居城——謁見の間では、ヴィネアがアルシエルに謁見していた。不服そうな彼女の報告にアルシエルは口元に笑みを滲ませながら、ゆったりと頬杖をつき片足を組む。その表情は何処か愉快そうだ。
「それにフォルネウスの奴が……」
「奴が裏切ることなど想定の範囲内だ。嘗ての勇者を憎むメルディーヌと、それとは真逆に勇者を敬愛するフォルネウス——合う筈があるまい。シヴァは片付けたのだ、どれだけ足掻こうがフォルネウスは己の真の力を取り戻すことは出来ん。全て己の裏切りが齎した結果だと精々苦しむがよいわ」
そう言われてしまえば、ヴィネアにそれ以上のことは言えない。アルシエルは全く焦ることなく、何処までも余裕を感じさせる。
だが、ヴィネアの機嫌は一向に良くならない。依然として不服そうな、不満そうな面持ちのまま次に視線は彼の傍らへと向けられた。
すると、そこには見覚えのない姿が一つ。
「……アルシエル様、その男は一体どなたなんですの?」
「うん? ああ、可愛いだろう。メルディーヌが私にくれたのだよ」
ヴィネアのその言葉にアルシエルは血のように赤い切れ長の双眸を丸くさせると、己の傍らに立つ一人の少年へと視線を投げ掛けた。可愛いだろう——そう言われても、謁見の間の暗さに阻害されて肝心の顔はよく見えない。見えるものと言えば夜の闇を思わせる柴紺色の長い髪と、魔族とは異なる人間らしい色をした肌だけだ。
「(わたくしたちエレメンツがいると言うのに、アルシエル様はどうして……これもイヴリースとアグレアスが不甲斐ない所為ですわ、だからアルシエル様がわたくしたち以外の者をお傍に……!)」
そんなヴィネアの心情を知ってか知らずか、アルシエルは上機嫌そうに笑うと一つ指を鳴らす。すると、アルシエルの目の前の空間がぽっかりと口を開けるかのように裂けた。そして開かれた闇の中に片手を突っ込むと、程なくして中から鞘に収まった一本の剣を取り出す。漆黒の鞘に血染めの包帯が幾重にも巻かれた禍々しい気を放つ剣だ。
「——アンヘル・カイド、最初の仕事だ。この剣でお前の好きなように暴れ回って来い、贄以外であれば誰を何人殺しても構わぬ。但し、必ず私の所に戻れ——いいな?」
「アンヘル、カイド……という名前ですの?」
「ああ、本来の名で呼ぶと嫌がられてしまってな。仕方なく私が名付けた」
アンヘル・カイド——そう呼ばれた少年は無言のままに剣を受け取ると、一歩後退してから静かに頭を下げる。そして結局一言も発さぬまま、アルシエルから下された命令を遂行すべく闇の中へその姿を消した。
謁見の間に残されたアルシエルは何処までも愉快そうな笑みを滲ませ、ヴィネアはアンヘルが消えた場所を忌々しそうにいつまでも睨み付けていた。