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蒼竜世界の勇者 -鍛冶屋が勇者になる物語-  作者: mao
第二章〜魔族の鳴動編〜
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第三話・悪夢


「……あれ?」


 ジュードは、森の中にいた。

 辺りを見回してみても他にはなにもない、延々に木々が連なり森が広がっている。ジュードが足繁く通い詰める神護(かご)の森とは雰囲気や空気が異なった。陽光の射し込む暖かな神護の森と違い、鬱蒼とした――どこか重苦しさを感じさせる暗い森である。

 ジュードは自然と脇に下ろした拳を握り締め、辺りを警戒するように見遣りながら静かに一歩を踏み出す。現在地がどこなのか、確かめなければならなかった。


 確か、自分はメンフィスが与えてくれた屋敷にいたのではなかっただろうか。

 ジュードの頭にある最後の記憶はそれだった。


 ゆっくりと地を踏み締めながら先へ先へと進むジュードの耳に、鳥の鳴き声や無用な音は届いてこない。むしろ音が存在しない、無音の世界だ。自分が歩く足音さえ聞こえてこなかった。

 辺りの景色は先に進めど進めど変化はなく、ただ森が続くばかり。ぽっかりと口を開けた闇が、ジュードを喰らおうとするかの如く広がっているだけであった。

 かといって、今更引き返しても出口が見つかるかどうかは定かではない。そんなものが存在するかどうかも怪しい。

 だが、そんな時。不意にジュードの耳に低い音が届いた。

 

「……? 誰かいるのか?」


 それは、音と言うよりは声であった。

 ゆっくりと、静かにジュードの方へと近づいてくる。重い荷を引きずるような、そんな音と共に。


『……贄……贄、贄……』


 なにかを引きずるような物音に続いて聞こえてくる声。それは低く低く、呻き声のようでもある。

 ジュードはそこで足を止め、目の前に広がる木々のアーチと暗闇に警戒するように目を凝らした。

 すると、闇の中に蠢くなにかが見えた。それはゆっくりとジュードに近づいてくる。次第に木は倒れ始め、蠢く影の巨大さを物語っていた。どの部分かさえもわからないが、影に押し折られる形で次々と木が倒れていくのだ。


 そして、目の前の真っ黒な闇の中からなにかが飛び出した。それは地を這うように素早くいくつも伸び、ジュード目がけて飛翔する。それには流石に身のこなしに自信のあるジュードも、咄嗟のことゆえに反応ができなかった。


「――っ!?」


 地を這う黒い影は植物の(つた)に酷似していたが、異なるものでもあった。影そのものが意思を持って動いているような気さえする。

 黒い影はジュードの両足に巻きつき、彼の身をその場へと縫い止めた。振り解こうにも、絡みついて押さえる力が強くビクともしない。

 斬り落とすべく愛用の短剣へ片手を伸ばすが、更に今度は頭上から勢いよく伸びてきた影が、武器を手に取るよりも先にジュードの両手をそれぞれ拘束した。腕から手首辺りまで絡みつき、武器から手を離されていく。

 どれだけ抗おうと、影の力が強すぎて抵抗にさえなっていない。


 更に太い影が伸びてきたかと思うと、それはジュードの胴部分へ巻きついた。骨が軋むほどの力で締め上げられ、苦しげに呻く。このまま絞め殺されてしまいそうだとさえ思った。

 しかし、その間にも影の出処と思われる巨大な生き物らしき存在は、依然なにを引きずるような音を立てながらジュードへと近づいてくる。ゆっくりとだが、確実に。

 やがてその生き物は、辺りの木々全てを薙ぎ倒して姿を現した。

 その姿はやはり巨大であり、辺りにそびえていた木々よりも遥かに大きい。長い年月をかけて育った大木よりも上だろう。


 黒い夜空に浮かぶ月明かりに照らされ、その正体がジュードの眼前へ晒される。それは様々な獣や魔物、それ以外にも数え切れないほどの生き物が融合したような姿であった。

 正体がなにと問われれば恐らくは『正体不明』と称すのが正しいのであろう。ありとあらゆる生命体が混ざり合う姿は、正体を特定できるのかさえ怪しい。まるで合成魔獣(キメラ)のようではあるが、それにしては融合する種類が多すぎる。優に百は越えると思われた。

 正体不明の影が動き、上部からなにかがジュードの目の前へと伸びてくる。一体なんだと凝視するしか、今のジュードにできることはない。四肢を拘束されていては、なにもできないのだ。


「なんなんだ、こいつ……っ! 魔物かなにかなのか……!?」


 今まで、このようなタイプの魔物をジュードは見たことがなかった。どういう系統の存在かもわからない。

 伸ばされたなにかの部分に一筋の光の線が走る。それは瞬く間に左右に割り開かれ、中から真紅の目玉が現れた。間近でその目を直視し、思わずジュードは呼吸も忘れて身を強張らせる。その感覚が恐怖だと知ったのは数拍遅れてからだった。


『……贄……』

「……え?」

『……贄……私のための、贄……』

「なに……言ってるんだ、なんのことだ……?」


 低く低く、幾重にも重なった声――と呼ぶよりは音と表現すべきかもしれない声にジュードは力なく頭を横に振る。理解できないと言うように。

 すると目玉が現れた部分より下部が、大きく下に伸び上がるように開かれた。無数の牙が顔を出し、開いたそこからよだれを垂らす。どうやら口部分らしい。

 正体不明の生き物の、目と口の部分は高く伸び上がりジュードを見下ろし、大きな口を開いて牙を見せつけた。


『――贄! 我が血肉となる、我の贄!』


 そして意味のわからない言葉を叫びながら、勢いよくジュード目がけて飛びかかった。



 * * *



「――ジュード!!」


 ふと、ジュードは身体を揺さぶられる感覚に目を開けた。

 背中が痛い、全身に嫌な汗をかいている。

 目の前には真剣な表情をしたウィルがいた。彼がジュードの身を揺さぶり、夢からの覚醒を促したようだ。ジュードが目を覚ましたことを確認して深い安堵を洩らすと、ウィルは屈んでいた正面から静かに立ち上がる。


「……ウィル」

「大丈夫か? 随分とうなされてたぞ、……汗びっしょりじゃないか」


 ウィルの言う通り、ジュードは全身に嫌な汗をかいていることを理解していた。衣服が肌に貼りつく不快な感覚がある。

 あの影に拘束されて動かなかったはずの四肢は容易に動く。それだけで先ほどまでの光景が夢であることが理解できた。

 今現在の場所を確認すると、メンフィスが用意してくれた屋敷の作業場であった。仕事の休憩中に壁に凭れて座り込み、そのまま居眠りをしてしまったのがよくなかったのかもしれないと、ジュードは思う。不安定な姿勢と火の国の慣れない気候が悪夢を見せたのかもしれない、と。


「ああ……大丈夫。ちょっと夢見が悪かっただけだから……悪い、昼寝する気はなかったんだけど」

「ははっ、昼寝した罰って感じかもな」


 ウィルの言葉に思わずジュードは薄く苦笑いを浮かべて頷く。ウィルも、そんな彼の様子を見て安心したように肩を疎めてみせた。軽口を叩きながらも心配はする、それがウィルという男である。

 だが、その場に佇んだままジュードの様子を窺うと、改めて一息洩らしてから踵を返した。


「ジュード、ひとつお使いを頼まれてくれ」

「え?」

「昼までには戻れって言っといたのに帰ってこないんだよ、カミラ。どっかで迷子になってるかもしれないから探してきてくれ」


 唐突なウィルの言葉に、ジュードは思わず双眸を丸くさせる。

 だが、その意味はすぐに理解できた。もう長い付き合いなのだから。

 大丈夫か、と問われて大丈夫ではないと、ジュードは間違っても言わない。大丈夫でなくとも大丈夫だと変に強がる男だ。現に今だってウィルの目から見れば、決して大丈夫そうには見えない。


 しかし、彼を慰めることのできる存在は既に他にいるのだとウィルは理解している。だからこその『お使い』だ。誰ならばジュードを慰められるのか、それを知っているからこそ。

 当然ジュードとて、ウィルの気遣いに気づけないほど鈍い男ではない。ウィルにとってジュードは弟であり、逆にジュードにとってウィルは兄も同然なのだ。

 兄弟のように共に育ってきたからこそ、余計な言葉がなくとも気持ちは充分に伝わっている。


「ああ、わかった。……ありがとう、ウィル」


 ジュードが短く礼を向けるとウィルは肩越しに振り返り、どこか得意そうに笑って片手を揺らす。そして、それ以上はなにも言わずに作業場を出て行った。

 時刻は既に三時近い。カミラがまだ戻っていないのなら、口実以外にも純粋に心配になる。

 ジュードは静かに立ち上がると、気持ちを落ち着かせるべく何度か深呼吸を繰り返す。どうにも、あの夢が頭から離れてくれなかった。


「(……ただの夢じゃないか、気にする必要はない……)」


 現実に、あのような気味の悪い生き物は見たことがない。夢なのだと、ジュードは何度も自分に言い聞かせて屋敷を後にした。

 しかし、何度気持ちを落ち着かせようとしても心臓は嫌なほどに鼓動を打ち続ける。普段よりも速く、そして強く。振り払おうとすればするほど、あの赤い目玉が脳裏に蘇ってくる有り様。ただの恐怖ではない、妙な感覚があった。まるで知っているような――そんな錯覚さえ感じた。


 ジュードは静かにそっと、左の二の腕を逆手で衣服越しに撫でる。そこには、風の国を発つ前に父グラムに渡された金の腕輪が填められていた。ジュードが彼に拾われた際に持っていた――親や故郷を探す唯一の手がかりと言える。

 誰が持たせてくれたものなのかは今もまったくわからないが、幼い頃から共に在ったこの腕輪に触れていると気持ちが落ち着いていくような、そんな気がしていた。


「……ジュード?」

「えっ、あ……あれ、カミラさん……」


 屋敷を後にしたジュードに、ふと声がかかる。自然と下がっていた視線を上げると、やや離れた場所にカミラが立っていた。紙袋を抱きかかえているところを見ると、買い物の帰りだったのだろう。不思議そうにジュードを見つめて、頻りに首を捻っている。

 探しに行かずとも、どうやら帰ってこれたらしい。


「どうかしたの? 顔色が悪いけど……」


 カミラはジュードの傍らへ歩み寄ると、心配そうに眉尻を下げる。わずかな逡巡を経てから、片手をそっとジュードの額に添えた。熱を計っているらしい。

 それが妙に気恥ずかしさを刺激する。不愉快ではないのだが、ただ恥ずかしい。


「だ、大丈夫だよ。ちょっと夢見が悪かっただけで」

「……そう?」

「うん。それよりウィルが、カミラさんが帰ってこないってボヤいてたけど……」


 カミラは静かに手を下ろすと、抱える荷物を抱き直してからわずかに表情を曇らせた。そうして神殿のある方を見遣り、改めて口を開く。


「……ごめんなさい、今日はケガ人がとても多く運ばれてきたの。それで……」

「……治療してたんだね」


 戦況が思わしくないという情報は、火の国に住むようになって間もないジュードたちの耳にも当然ながら入っている。

 前線基地で手が回らない分は王都ガルディオンまで搬送されることが多いほか、旅人や商人が魔物に襲われて運ばれてくることも多いのだ。その数を合わせると、一体何人になるのか。

 そうなると、ジュードは逆にカミラの方が心配になった。


「カミラさんこそ大丈夫? 疲れたりしてない?」

「ちょっとだけ……でも、大丈夫」


 大丈夫、と。口でこそ言いはするが、疲労の色は強いように見える。多少ではあるがそれがカミラの顔に出ていた。

 ジュードは困ったように眉尻を下げると、彼女が抱える荷に片手を触れさせる。


「無理したらダメだよ」

「ジュードこそ……」


 カミラは無理に我を通すことはしなかった。ジュードの意図に気づいたようにやや申し訳なさそうな表情を浮かべて、荷を彼に渡す。


「……なら、帰って一緒に休もうか。もうおやつの時間だよ」


 その誘いにカミラは一度目を丸くさせてから、幸せそうに表情を笑みに破顔させた。

 そしてジュードは気づく。つい先ほどまであんなに耳についていた心音が、すっかり常と変わらぬものに戻っていることに。


「(……さっきより落ち着いてる。ただ、カミラさんと話しただけなのに)」


 彼女を好きだと自覚はしているが、話すだけでこうも落ち着くものなのかとジュードは内心で少し驚いていた。完全に落ち着いた訳ではなくとも、先のような不快感は既にない。

 カミラと共にいると、問題が全て消えていくような、そんな気さえしていた。

 ジュードは荷を片腕に抱き、踵を返す。カミラはその隣に並んだ。


 彼女は神護の森で苦しい胸の内をさらけ出してからは、どこか吹っ切れたような――すっきりしたような清々しさと無邪気さを持つようになった。

 ウィルやマナはそんな彼女と自然に親しくなりつつあるし、とてもよい友人関係を築けそうである。ルルーナはジュード絡みで、逆に彼女を厄介者扱いはしているが。


 カミラはといえば、ウィルやマナと仲良くできるのが嬉しいようである。二人に声をかけられると大層嬉しそうに笑うし、買い出しを頼まれれば喜んで飛び出していく。それはジュードとしても嬉しいことであった。

 兄妹と言っても過言ではないウィルやマナと親しくしてくれること、大切だと思ったカミラと二人が仲良くできること。そのどちらも。


「カミラさん、ウィルやマナは優しい?」

「うん、ジュードのお友達ってみんな暖かくて優しいんだね。ルルーナさんは……ちょっと怖いけど」


 ルルーナは、未だにマナとの歩み寄りさえ感じられない。無理もないとはジュードも思う。彼女はどうにも他者を見下しがちなのだ。そんな女性が勝気なマナと合うはずがないし、それを怖いとカミラが思うのも当然であった。

 ウィルやマナはジュード同様に普段は鍛冶屋の仕事で忙しく、カミラは神殿に行って怪我人の治療に協力している。だが、ルルーナはといえば特になにもしないのだ。


 本当にただ「ジュードと一緒にいたいからついてきただけ」と言える。

 なんとかしなければとジュードも思うのだが、なんと言えばいいのかもよくわからない。変わらない困った状況に内心で溜息を洩らした。


「ねぇ、ジュード」

「うん?」


 そんな答えの見えない思考回路の迷路に嵌り込む頃、ふと傍を歩くカミラから声がかかった。

 両手の指先を胸の前辺りで遊ばせ、やや気恥ずかしそうに視線を落とす姿にジュードは緩く首を捻る。急かすことなく暫しその様子を見守っていると、やがて彼女が改めて口を開いた。


「ジュードも怖い夢を見たなら……言ってね。聞くくらいしかできないと思うけど、話せば少しは楽になるかもしれないし……」

「……カミラさん」

「わ、わたしだけ、ジュードに甘えるのは嫌だもの」


 徐々に尻すぼみになっていく言葉と、それに比例して赤くなっていくカミラの頬を見てジュードは軽く目を丸くさせた。

 しかし、すぐに表情を笑みに弛めるとしっかりと頷く。


「……ありがとう、カミラさん。もう一度見たら甘えにいくよ」


 ジュードはなにかと面倒な男である。

 男は女を守るもの、と強く認識しているために純粋に甘えるのにも多少なり時間がかかるのだ。情けないところを見せたくない。その気持ちが、彼女の手を取る邪魔をする。

 だが、それでもカミラは安心したように笑ってくれた。


「さ、帰ってお茶にしようか」

「うん!」


 なんにしても、腹が減ってはなんとやらである。

 小休止してから今日の分の仕事を片付けようと、ジュードは思考を切り替えてカミラに一声かけ、彼女と共に屋敷へと戻っていった。



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