第四十四話・ほのかな希望
結局あのまま出立と言うことには出来ず、ジュードたちは城の客間で一夜を明かした。
カミラは翌朝、身支度を整えると割り当てられた客間を後にし、廊下の窓から外の景色を眺める。延々降り続けていた雪は既に止み、昨日までは分厚かった雲も今は完全になくなっていた。
だが、城の外には依然として死の雨によって姿を変えられた住民たちがいた。自分の姿を隠すように両手で顔を覆い、蹲っている。その姿は非常に痛ましい。彼らがすすり泣くような声が聞こえてくる気さえした。
「……カミラさん、やっぱりここにいた」
「あ……おはよう、ジュード。……ジュードも?」
「おはよ、……うん、街の人たちどうしてるかなって、ね……」
そこへ、ふとジュードがやってきた。その頭にはノーム、肩にはライオットが乗り、傍らにはいつものようにちびがいた。
この廊下からは城下の様子がよく見える、余計な障害物がないのだ。そのため城に続く大通りや商店街など、都の主要区画を幅広く見渡すことが出来た。――だからこそ見えてくる、現在進行形で住民たちが苦しむ姿が。
ジュードはカミラの隣に並び立つと、口唇を噛み締めて眉を寄せた。
このまま放っておけば、彼らは延々苦しみ続ける。かと言って、殺せば魂は永遠にこの世を彷徨うのだと言う。ならばどうしろと言うのか、彼らを救う手立ては何もないのか。
「……なあ、ライオット、ノーム。昔は……どうしてたんだ? 勇者様がいた頃にもあの雨は降ったんだろ?」
「そ、そうだよ、ジェント……さまは、どうしてたの?」
「……」
ついつい癖で「ジェントさん」と呼びそうになってしまう自分の口に、カミラは慌てて言葉尻に普段とは異なる敬称を付け足した。そうだ、彼なら何か出来たのではないか――ジュードの言葉にそう希望を見出したのだ。
だが、ライオットはジュードの頭に乗るノームを見上げ、ノームはまたライオットを見下ろす。その様子はどうにも暗い、非常に言い難そうだ。そしてややあってからライオットが静かに口を開いた。
「……殺したによ」
その一言だけで、ジュードやカミラが抱いた希望は見事に打ち砕かれた。
あの伝説の勇者でも、トール・レーゲンにより姿を変えられた人間たちをどうすることも出来なかった。そう考えると、目の前が真っ暗になるような錯覚さえ覚える。
「聖剣で斬れば、その魂は死霊使いの呪縛に縛られることなく天に昇ることが出来るんだナマァ……」
「じゃあ、結局殺すしか……方法はない、のか……!?」
「ジェントさんも姫巫女さんも何とか元に戻そうと必死に方法を探したナマァ……でも、駄目だったんだナマァ……」
今にも消え入りそうな声で呟くノームの円らな瞳は、何を思い出したのか潤み始めている。ジュードの頭の上で腹這いになり顔を伏せる様は、何処までも悲しそうだ。
「……ジェントには、育ててくれた優しい夫婦がいたんだに。でも……その夫婦もトール・レーゲンの餌食になったんだによ……」
「え……?」
「魔物化して、でも微かに理性が残ってて、まだ意識がある内にお前の手で殺してくれって……それでジェントは二人をメルディーヌの呪縛から解放するために、聖剣で……」
ライオットが濁した言葉の先は言われずとも分かる。呪縛から解放するために、聖剣でその夫婦を斬ったのだろう。
カミラは今にも泣き出しそうな顔で静かに俯いた、実際にその光景を想像したらどうしようもなく胸が痛んだのだ。
「(……一体ジェントさんはどれほどの痛みを背負ってるんだろう。お母様を殺されてジェントさん自身もお父様に殺されかけて……その上、大切に育ててくれた人たちを自分の手でだなんて……)」
昨日のあの時から、依然としてジェントの姿は見えない。最後が最後であっただけに心配ばかりが募る。次に会ったらどう声を掛けよう――カミラがそんなことを考え始めた時、傍らのジュードが呟いた。
「……でも、諦めたくないよ」
「マスター?」
「昨日フォルネウスさんが言ってたじゃないか、精霊は神さまと共に死ぬんだって。でもライオットたちやフォルネウスさんは普通に生きてる、じゃあ神さまは何処かで生きてるんだ」
「――! そ、そうか、そうだよね。フォルネウスさんが言ってたことが本当なら神さまは何処かで無事に……」
地の国から脱出した後、馬車の中では神さまが行方不明になったという話を聞いた。魔族に殺されたのではないか、と言う可能性も。
だが、昨日のフォルネウスの言葉が事実であるのならライオットたちが生きていると言うことは――竜の神は生きている、この世界の何処かで無事でいるのだ。
「ライオット、精霊の森って場所はこの国にあるのか?」
「うに? そ、そうだに、確かにあるに……でも、それがどうしたに?」
「行ってみたいんだ、神さまが生きてるってことは前に話してくれた聖石は生きてる。その石には神さまの力が宿ってるんだろ? 聖石の力を使ってどうにか出来ないのかな……」
「そうだね、同盟は結べたけど今のままじゃ水の国はボロボロだもの、なんとかしなきゃ……」
ジュードとカミラの言葉にライオットはノームを見上げる。聖石には確かに竜の神の力が宿っている、だが肉体を溶かされた者を元に戻せるか――と言われれば微妙なところだ。
しかし、カミラが言うことも尤もなのだ。このままでは同盟どころの話ではない、水の国の存続危機なのである。ほんの僅かにでも可能性があるのなら縋ってみるべきなのだろう。
「……四千年前、ジェントさんたちの仲間にはマスターさんのような力を持ってる人がいなかったナマァ。もしかしたらすぐにどうにかは出来なくても、良い方法は見つかるかもしれないナマァ」
「……そうだにね、あと精霊族なら色々な知識を持ってるから聞いてみるのも良いかもしれないに」
ライオットとノームの言葉に、ジュードとカミラは表情を明るくさせると互いに顔を見合わせる。何とかなるという確証は何処にもない、だが可能性はゼロではない。そう思うと自然と気持ちも上向いてくる。
「――じゃあ、次の目的地は精霊の森って場所なのかしら?」
「ジュード以外の精霊族がいる場所なんでしょ? どんなところなのかしら、気になるわね」
「……みんないつから聞いてたんだよ」
不意に自分たち以外の聞き慣れた声が聞こえてくると、ジュードは思わず後方を振り返った。すると、そこには既に出立の支度を終えたと思われるマナたちが立っていたのだ。その口振りから察するに、話は筒抜けだったと思われる。
「……ウィル、顔赤いぞ。聞いてたなら分かってると思うけど、探検しに行くんじゃないからな」
オマケにメンバーの纏め役である筈のウィルは、精霊の森に並々ならぬ興味を抱いているようだ。未知のものや秘境などに強い関心を持つ彼の性格を思えば致し方ないのだろうが。
それでも、神が生きている、もしかしたらなんとか出来るかもしれない――その事実は、絶望ばかりだった彼らに確かな希望を与えてくれた。