第四十三話・ジェント
国王リーブルへ状況の報告をすると、寛大な王も流石に心を折られたようだ。城下には今もまだ、死の雨で身を溶かされた者たちが苦しみ喘いでいる。城の中に避難するように勧めたが、そのいずれも自らの姿に絶望し、決して受け入れようとはしなかった。
魔物化してしまうよりは良いと言えるが、それでも理性があるからこそ誰もが皆苦しんでいる。いっそ完全に魔物になっていれば、変わり果てた自らの姿に絶望することもなかったのかもしれない。最早、何が正しくて何が間違いなのかジュードたちにも分からなくなっていた。
割り当てらてた客間でシルヴァの治療を終えたカミラは、再び吸い込まれるように意識を手放した彼女を寝台に寝かせて小さく安堵を洩らす。折れた骨と刻まれた傷は治癒魔法で完全に治療出来た、これなら彼女は心配要らないだろう。
「……わわっ」
そんな時、不意にジュードが短く声を上げる。
何事かと見てみれば、彼らの手にあった武器が淡く光り輝いていたのだ。それと同時に、水色に染まっていたジュードの双眸も常の翡翠色へと戻っていく。そして光が止んだ瞬間、ジュードたちの武器は元の――ごく普通の形に戻っていた。
だが、カミラは不意に傍らから聞こえてきた小さな苦悶に慌ててそちらを見遣る、するとジェントが胸の辺りを押さえて目を伏せているではないか。確か彼は自分のことを亡霊と言っていた、その彼が痛みを感じているのだろうかと心配になったのだ。
「あ、あの……大丈夫ですか……?」
『……ああ。だが……少し、休ませてもらうよ。……よく、やったな……ジュードを褒めてやると、いい……』
途切れ途切れにそれだけを言い残すと、ジェントは薄く笑ってその姿を消した。まるで、最初からそこには誰もいなかったかのように。
大丈夫だろうか、胸を押さえていたが苦しくはないのだろうか、カミラの頭には次々と心配ばかりが浮かんでは消えていく。彼の正体は不明だが、メルディーヌを追い払うために力を貸してくれたのは事実なのだから。
「あら? ねえ、ジュード……あなた怪我は?」
「あれ?」
「それに、今回は元気だよな。いつも交信が切れたら精神力を使い果たして寝ちまうのに……」
ルルーナやウィルの言葉に、ジュードは目を丸くさせて己の身体を見下ろす。ルルーナの言うように、確かに先程まで彼の身には幾つもの裂傷が刻まれていた筈だ。メルディーヌの隙を窺っていた際に出来たものである。だが、彼女が言うように今は傷一つない、痛みさえ残っていなかった。
それに、ウィルが言うことも尤もである。普段は交信を終えると精神力を使い過ぎて即座に眠りに就いてしまうことが多い。しかし、精神的な疲労さえ今のジュードは感じていなかったのだ。
ジュードは疑問符を浮かべながら頻りに自分の身を確認していた。
「(まさか……ジュードの怪我をジェントさんが肩代わりした、の……!?)」
休ませてもらうと言った彼は苦しそうだった、まるで何処か痛むかのような。肩代わりなど、どうやればそんなことが出来るのかは分からない、ジェントがジュードに与えた力の正体も分からない。だが、考えられることと言えば、そのくらいしかなかった。
カミラは思考を切り替えるように小さく頭を左右に振ると、シルヴァが眠る寝台を離れて仲間の元へと足を向ける。ジュードはそんな彼女に気付くと心配そうに声を掛けた。
「カミラさん、バタバタしてちゃんと確認出来なかったけど……大丈夫? 怪我とか……」
「う、うん、わたしは大丈夫、フォルネウスさんは優しかったよ」
「カミラがフォルネウスを説得してくれたに? あの頑固者を説得出来るなんてすごいに……」
「頑固者じゃないナマァ、フォルネウスさんはシヴァさんと一緒で優しい精霊さんナマァ」
実際にフォルネウスを説得したのはカミラではない、彼がカミラを拉致した目的も彼女ではなく――彼女から感じた別の気配の正体を確かめるためだ。
カミラはジュードの隣に腰を下ろすと、改めて彼の身体に視線を向ける。やはり、その身には傷一つ刻まれてはいない。またリンファの治療を受けて、治るまでの間が大変だろうと思っていたのだが、それは杞憂に終わった。
「そういえば、ねえモチ男」
「ライオットだに! ついにマナにまで呼ばれるようになったに……」
「あのメル……なんとかって奴が言ってたでしょ、ジュードの力……オンディーヌ? のものだって……オンディーヌって?」
「はっ! そ、そうだに! マスター、どうしてオンディーヌと交信出来たに?」
「オ、オレに聞くなよ、知らないよ。なんか綺麗な光が目の前に落ちてきたと思ったらああなっただけで……」
死と隣り合わせの戦いから解放されて、ジュードたちもある程度は気が弛んだのだろう。マナの言葉を筆頭に、各々表情に薄くだが笑みを浮かべた。この国の民のことを思えば楽観は出来ないが、仲間の無事を確かめる意味でも、このような時間は必要だ。
だが、どうしてと言われてもジュードは困る。彼は別に何かと交信しようとしてした訳ではないのだから。
「あの光は……カミラさん?」
「わ、わたしもよく分からないの、でも、あの……えっと……」
そこでカミラは悩んだ。
あの光がなんだったのか、カミラにも分からないのだ。唯一知るだろう張本人は休むと言って消えてしまったし、あの正体不明の亡霊のことをジュードたちに話しても良いものか否か。
「(ジェントさん、フォルネウスさんとあまりお話したくなさそうだったし……)」
彼は自分のことをあまり知られたくないのではないか、そう思ったのだ。
カミラはジュードたちのことを信頼している、故に話すことに抵抗はない。だが、ジェントはどうか――そこまで考えてカミラはしょんぼりと俯いた。
ライオットとノームはそんなカミラに不思議そうに身体を捻ると、一先ずはマナが洩らした疑問に返答すべくその場に座り直す。
「オンディーヌは神を支える水の柱……水の神柱のことだに」
「ってことは、まさかさっきまでのあの力は四神柱の内の一つ……!?」
「そうナマァ、でもシヴァさんがいないのにオンディーヌさんが出てくるのはおかしいナマァ」
「そうだに、オンディーヌは水と氷の大精霊二人の力の均衡が保たれてる時じゃないと目覚めないんだに。でもあの時シヴァはもう……だからおかしいんだに、あれがオンディーヌの力だったなら出所が不明なんだによ」
カミラは知っている、その出所を。
――ジェントだ、彼がジュードに託したのだ。
カミラはスカートをぎゅ、と握り締めると緩く口唇を噛み締める。暫し何事か思案するように黙していたが、軈て意を決したようにライオットに疑問をぶつけた。
「……ねえ、ライオット。ジェント……って人は誰なの? メルディーヌが叫んでたと思うの……」
「うん、叫んでたね。……物凄い怒りっていうか……憎しみを感じた」
「そうですね、噴き出したあの黒い霧も……とても嫌な感じがしました」
ジュードは己の膝の上に顎を乗せるちびの頭をゆったりと撫でながら、先の様子を思い返す。メルディーヌが叫んだ直後に噴き出したあの黒い霧は、恐らく彼に巣食う負の感情の塊だ。リンファの言葉通り形容し難い嫌な感覚を覚えた。
何を思うのか、ライオットはしょんぼりと視線を下げると数拍の沈黙の後にそっと口を開く。そして次いだ言葉に、カミラは瞬きも忘れて双眸を見開いた。
「ジェント、ジェント・ハーネンベルグ――マスターたちには伝説の勇者って言う方が分かり易いにね」
「メルディーヌは勇者さんを何より憎んでたナマァ。たぶん……マスターさんの閃光の衝撃で勇者さんへの憎しみを思い出したんだナマァ」
「う……オレ、余計なことしたかな……でもあそこまで憎むんだからやっぱり強かったんだろうなぁ、勇者様」
「ジェントは四神柱を従えて魔族と戦ったんだに、四神柱はジェントの魂に自分たちの刻印を刻んで力を託したんだによ」
勇者を語る仲間たちの言葉にカミラは改めて俯く。
彼女の中にあった謎は、全て解けた。
ジェント――彼は自分たちが憧れる伝説の勇者本人だ、そして今でもその魂に刻まれた四神柱の刻印は生きているのだろう。それ故にオンディーヌの力をジュードに託すことが出来たのである。
「(でも……それならどうして、フォルネウスさんとお話したくなかったの? ライオットたちだって、ジェントさんがここにいるって知ったら大喜びする筈なのに……どうしてジェントさんは昔の仲間に背中を向けるんだろう……)」
カミラは傍らをちらりと見遣るが、やはりそこにジェントの姿はなかった。