第四十一話・決着
メルディーヌはあらゆる方向から己を狙うジュードたちに忌々しそうに舌を打ち、強く大地を蹴ることで空高くへと逃避する。彼は近接戦闘よりは魔法を使っての戦闘の方が得意なのだ、上空に逃げてしまえばジュードたちにはどうすることも出来ない、そう踏んでの行動である。
「ふ、ふふ……ここまでイライラしたのは久しぶりですよ……いいでしょう、そんなに死にたければお望み通り殺して差し上げます!」
「……!? なんだ、何か来る……!」
メルディーヌが高々とステッキを掲げると、それに呼応するように大気が震え始めた。それは自然の風を起こしていると言うよりは、まるで彼の身を包む魂の怨念が叫んでいるかのような――非常に不気味な音が緩やかな風と共に吹き付けてきたのだ。
ウィルはその声に思わず眉根を寄せながら視線のみを周囲に向けた。晴れたばかりの空には再び暗い色をした雲が掛かり、太陽の光を遮っていく。
だが、メルディーヌが詠唱をしようとしたその時――不意に、彼は後頭部や背中に強い衝撃を受けて大地へと激突した。
「死者の雄叫びで生き物の脳を殺すホロコーストブロウか、昔は苦しめられたが……手の内が分かっていれば対処など幾らでも出来るぞ」
それは、フォルネウスだった。詠唱に入ろうとしたメルディーヌの背後から襲い掛かり、彼の背に蹴りを叩き込むことで地上へと叩き落としたのである。
フォルネウスのその説明にウィルは口唇を噛み締めると、地上に落ちたメルディーヌへ槍の切っ先を向けて身構える。脳を殺す魔法――やはり魔族が扱う魔法は恐ろしいものばかりだと、そう改めて認識したのだ。そのような魔法を喰らえば抵抗など出来よう筈もない。
メルディーヌは激突した際に強打した頭部を摩りながら、己を強襲したフォルネウスを見上げた。顔を上げたその風貌――目は、血のような深紅に染まっている。否、目だけではない。目と共に白目の部分さえも真っ赤だった。込み上げる怒りを押し殺しているような、そんな様子だ。
――先程からジュードは感じていた、今のままでは勝てないと。
武器が変化してから確かにメルディーヌに効果的な打撃を与えられるようにはなった。だが、決め手がないのだ。ダメージ自体は蓄積しているのだろうが、致命傷を与えられる攻撃がない。どれほど力を入れて刃を突き立てても、先にメルディーヌの身に刻まれた傷がゆっくりとでも塞がっていくのだ。このままでは先に此方の体力が尽きてしまいかねない。
「(それにこの交信状態もいつまで続くか……何か、何か重い一撃を叩き込めれば――)」
そこまで考えて、ジュードの頭は一つの突破口に辿り着いた。それは、つい今し方のフォルネウスの言葉。
「(ホロコーストブロウ――脳を殺すってことは内側へ働きかけるってことだよな……そうか!)」
白目さえも深紅に染め上げて不気味に笑うメルディーヌを見て、ジュードは静かに身構える。真っ先に駆け出していくリンファとちびの後にウィルと共に続き「完全な隙」が出来るのを待った。
「くくく……フォルネウスはやはり裏切るのですねぇ……アルシエル様に目を掛けて頂きながら、なんという恩知らず……」
メルディーヌは飛び掛かってくるリンファとちびを見据え、素早い動きで一瞬の内に彼らの真横に回り込んでしまうと手にしたステッキで殴り掛かる。元々俊敏な男ではあったが、怒りからか先程よりも遥かにスピードが増していた。
「くッ! しかし……負けません!」
「ガウッ!」
リンファは咄嗟に短刀を翳してステッキを受け止め、鍔迫り合いの形に持ち込む。彼女とて力が強い訳ではないが、多少の間ならば押し切られることもない。
リンファが足を止めてくれる真横からはちびが喰らい付く、ちびが前足に装着する爪もすっかり通常のものから形状が変わり、鋭利な三本の刃が付いた爪でメルディーヌの利き腕を深く抉った。それは、力で押し込むリンファの助けとなる。痛みから僅かにステッキを握る力が弛んだのを彼女は見逃さない――短刀に逆手も添えて真上に切り上げることで弾いてしまえば、メルディーヌが持つステッキは弧を描き綺麗に宙を舞った。
「ちいぃッ、小賢しい……!」
次いでメルディーヌは逆手をリンファの顔面へ向けて突き出すと、至近距離で手の平を開く。彼女が反応する前に魔法で屠ろうと言うのだ。
だが、それは真横から襲い掛かってきたウィルにより妨害される。ウィルは大きく槍を振り被り、剣のように刃を振り下ろした。ハルバードは槍と斧が一体になったような武器だ、振り下ろせば剣撃よりも遥かに威力が高い。
直撃する寸前で後方に飛び退いたメルディーヌだったが、リンファが素早く真後ろに回り込み、短刀の刃で薙ぐように背中を斬り付け、ウィルは斜め下から上へと勢い良く槍を振り上げることで深い裂傷を負わせた。しかし、聡いウィルのこと――先程ジュードが感じていたことを勘付けていない筈もない。血こそ出るものの、致命的な傷にはなっていないのだ。
メルディーヌは片手をウィルとちびへ、逆手の平を後方のリンファへ向けると触れることなく彼らの身を盛大に吹き飛ばす。それは、先程放った無属性魔法マハト・ヴェレの魔力を片手ずつに凝縮したものだ。
「くッ!」
「うう……ッ、まだ、こんな力が……!」
ウィルやリンファ、ちびは大きく吹き飛ばされ引き離される。早々に前線に戻ろうにも、マハト・ヴェレの衝撃はやはり重い。それでも先のものより威力が幾分か落ちているところを見れば、メルディーヌも多少は弱ってきているのだろう。
彼らを吹き飛ばした両手を突き出したまま上がった息を整えるメルディーヌではあったが、今度はそんな彼に頭上からジュードが飛び掛かる。変化した剣を利き手に持ち、勢いを付けて振り下ろしたのだ。
「次から次へと、群れなければ何も出来ない雑魚がイイ気になってくれるではありませんか!」
ジュードが振り下ろした剣を避けたメルディーヌは、今度はその手を伸ばしてきた。――当然だ、彼の目的は人間の殲滅と、サタンの贄たるジュードの捕獲。他の仲間が近くにいないこの好機を逃そうなどと言う気はないのだ。
ジュードは攻撃を繰り出した勢いそのままに短剣を持つ逆手を大地に添えると、体勢を立て直すこともせずに寝転ぶような形で再度メルディーヌに足払いを放つ。持ち前の身軽さに加え、柔軟なその身はジュードにとっての大きな力だ。身が柔らかい上に絶妙のバランス感覚、それ故にどのような体勢からでも攻撃を繰り出せると言える。――尤も、戦闘に於いては手癖も足癖も悪い彼の悪癖が関係している部分も少なからずあるのだが。
そのまま片手を軸に身を反転させ、転倒まではいかずともバランスを崩しかけたメルディーヌに追撃を加えるべく距離を詰めた。だが、メルディーヌも負けてはいない。魔力を凝縮させて小刀を造り出すと、それを片手に応戦に出る。
小刀は小回りの利く武器だ、ジュードが利き手に持つ剣よりも振りが速い。その上、メルディーヌは決して愚鈍ではないのである。
ジュードは繰り出される攻撃を逆手に持つ短剣で弾いていくが、それは完全な防御にはならなかった。メルディーヌの小刀による攻撃は、依然として左手での戦闘に完全には慣れていないジュードよりも格段に速く、そして正確だ。腕や肩、足に脇腹など、反応が追い付かない分だけ次々に裂傷が増えていく。
「(一回だけ、一瞬で良い、こいつの注意が逸れる瞬間を狙って――)」
だが、ジュードは決して焦らない。彼は攻撃を弾くことを目的としているのではないからだ。
ジュードはメルディーヌの攻撃を受けながら、その神経を己の利き手に集中させていく。そして決定的な隙が出来るのを待った。
その瞬間――
「が、は……ッ!?」
不意にメルディーヌの脇腹に真横から剣が突き刺さったのだ。白銀に輝いていないそれは、ジュードのものではない。
何事だとメルディーヌが反射的にそちらを見遣れば、そこには蹴り飛ばされた衝撃で意識を飛ばしていた筈のシルヴァがいた。依然として折れた骨の影響で立ち上がることは出来ずにいるが、意識を取り戻した以上は何かせずにはいられなかったのだろう。口の端から血を流しながら、それでも不敵に微笑む彼女は非常に美しかった。
脇腹に突き刺さった剣は、彼女が渾身の力を振り絞って投げ付けたものだ。
そしてその瞬間、ジュードが動いた。
身を守ることを放棄し、短剣でメルディーヌの腹部を斬り付ける。剣が突き刺さって明らかに動きが鈍ったメルディーヌは歯噛みをしながら応戦しようとするが、ジュードはそれよりも先に続いて剣を振るった。真一文字に腕を斬り付け、瞬時にその刃を返し斬り払う。だが、メルディーヌを驚かせたのはその攻撃ではない。
「――!? な、なにっ!? 貴様一体……!」
「あの小僧、何を……!?」
ジュードは斬り返した際に、その剣を手放したのだ。美しく白銀に煌く剣は彼の手を離れ、攻撃した際の勢いも加わり離れた場所へと転がる。
戦闘中、その上またとない攻撃の好機になぜ武器を手放すのか――それには上空で見守っていたフォルネウスも思わず瞠目し、声を上げた。
「(呼吸を整えて全神経を利き手の拳に集中、大地に足を張り大きく踏み込んでから躊躇いなく――撃ち込む!!」)」
メルディーヌはよろけた体勢を整えようとするが、それよりもジュードの方が早かった。
固く拳を握り、全神経をその手に集中させる。そして一歩大きく踏み込むと、予め目印として短剣で斬り付けたメルディーヌの腹部へ思い切りその拳を叩き付けた。
それは、シヴァから教わった勇者の技――
「――閃光の衝撃ッ!!」
ジュードが拳を腹部にめり込ませた次の瞬間、両者の間には目も眩むほどの強烈な閃光が走る。爆発にも似たその一瞬の輝きと衝撃はメルディーヌの身体の内側に叩き込まれ、その刹那――彼の肉体の内部で大きく爆ぜた。
閃光の衝撃は攻撃の際に全神経を利き手に込めることで爆発的に一撃の威力を高める技だ。交信状態にある今のジュードであればそこに魔力がプラスされ、従来のものとは少々異なる技にはなるが内側に魔力をぶち込むことで肉体の内部から攻撃しようと――ジュードはそう考えたのである。
そしてそれは、功を奏した。メルディーヌは自らの内部で爆ぜる強力な魔力に白目を剥き、そのまま事切れたように静かに仰向けに倒れ込んだ。