第三十九話・青き刻印
カミラは自分の手の中にある光をしっかりと握り締める。
この光が何なのか、彼女は知らない。ジェントのこともまだよく分かっていない。だが、彼は悪人ではない――そう思うからこそ彼の言葉に従い、この光をジュードに届けるのだ。
この水色の輝きが、今の絶望的な現状を打破してくれることだけを信じて。
「ジュード!」
メルディーヌの血に捕まらぬ限界ギリギリの場所でカミラは足を止めると、未だ倒れ伏したままの彼へと声を上げる。恐らく反応はしているのだろう、身動き一つ取れないためにカミラの方を向けないだけだ。
しかし、反応は特に必要ではない。意識をこちらに向けてほしいだけなのだから。
「ジュード、お願い! この光を使ってその男を倒して!」
「え、なん……だって……!?」
「わたしにもよく分からないの、でも――届いて!」
辛うじて聞こえた声にカミラは安堵を覚える。幸いにも意識はあるようだ、この光がどのような作用をするかは定かではないがジュードの元に届けばきっとなんとかなる。
カミラは祈るような気持ちで、手にした水色の輝きをジュードへ向けて投げた。
――だが、それはつい今し方までフォルネウスに何事か言葉を投げ掛けていたメルディーヌによって受け止められてしまったのだ。カミラの言葉に反応し興味を抱いたメルディーヌが素早い動きでジュードの近くまで駆け寄り、彼の身に届くよりも先に片手で掴んだのである。
「そ、そんな……!」
「おやおやおや? ざ~んねん、ジュード君に届くよりも先にワタシがキャッチしちゃいましたぁ。いやいや失敬、でもでもでも興味ありますねぇ。一体これは何なんです? コレを使ってワタシを倒すとかふざけた言葉が聞こえた気がしますが」
それは、カミラにとってこの現状を打破する唯一の希望であった。
それが敵の手に渡ってしまった。カミラは見る見る内に蒼褪め、両手で口元を押さえてその場に屈み込む。マナとルルーナはそんな彼女に駆け寄ると、どうしたら良いのかと歯噛みした。魔法で援護しようにも、ジュードたちが動けないのであれば彼らに直撃する可能性が非常に高い。
フォルネウスは上空からメルディーヌやジュードたちを見下ろし、口唇を噛み締めた。
「(奴の血を洗い流せれば……だが、あの小僧は私の魔法を受ければ呪いの影響で動けなくなる……)」
フォルネウスは水の大精霊だ、地上の血を洗い流すなど朝飯前。
しかし、その方法はやはり魔法。ありとあらゆる魔法を一切受け付けないジュードにとってはやはり害になる。ジュードの戦力を削ってでもそうするべきか――フォルネウスは悩んだ。
カミラは今にも泣き出しそうになりながら、ジェントに謝ろうと彼に目を向けた――のだが、当の本人は全く以て焦ってなどいなかった。
『……愚か者め、命を蹂躙する貴様がそれに受け容れられるものか』
「え……?」
ジェントがそう呟いた刹那――メルディーヌが悲鳴を上げた。
何事かと慌てて視線を戻すと、光を掴んだ手の内側から無数の氷柱が飛び出していたのである。考えずとも、それがメルディーヌの手の平を貫通したものだと分かる。
反射的にその手を開いたメルディーヌの手からは水色の輝きが零れ、それはジュードの目の前へと導かれるようにして落ちた。
「なんだ、これ……? ――うわッ!?」
初めて見る大層美しい輝きにジュードは双眸を丸くさせると、瞬きさえ忘れたようにその光に見入った。だが、その光はジュードの眼前で突如として強い輝きを放ったのである。それは都全体を包み込むような非常に強いもの。当然誰もが目など開けていられる筈もない。
他の仲間たち同様に固く目を伏せたジュードではあったが、次に彼は全身が包み込まれるような錯覚を覚える。それと共に内側から込み上げる畏怖に似た感覚も。
その光が止んだ時、誰もがすぐには動けなかった。あのメルディーヌでさえも。
一体何が起こったのか、全く分からなかったからだ。何があったのか、今の光は何だったのか――その場に居合わせる全員が呆然としていたのである。
「……よく分かりませんが、何やら不愉快ですねぇ……気が変わりましたよ、もう少し遊ぼうかと思いましたが――一気に片付けさせてもらいましょう!」
メルディーヌは高らかにそう宣言したが、内心は異なる。
――全身が半鐘を鳴らすように騒いでいたのだ、何か善からぬ気配を感じて。早々に片を付けてこの場を離れた方が良いと。
マナとルルーナは思わず身構えたが、ジュードはこれまで身動き一つ出来なかった上体を起こすと己の傍らにいたメルディーヌへ不意打ちで足払いを叩き込んだ。
「な、なにッ!? 貴様、何故!?」
地面に片手を付き身を起こすと咄嗟に後方に飛び退いて距離を取る、ジュード自身にも何が起きたのか全く理解は出来ないのだがとにかく身体が動くのだ。先程までの圧し掛かられるような感覚は既に何処にもない、寧ろ逆にこれまでよりも身体が軽いほどである。
突然の攻撃にメルディーヌはその場に転倒し、素早く起き上がるが信じられないとばかりに目を見開いていた。
「(なんかよく分かんないけど、ビックリするくらい身体が軽い……でも、動けるようになってもどうしたら……)」
フォルネウスは不思議そうに地上を見下ろしていたが、彼の双眸はジュードの身を包む青白い光を捉えた。そして立ち上がった彼を鼓舞するかの如く、青い光はジュードの胸部に集束し一つの印を薄らと刻んで彼の胸の内へと消えていく。
それを見てフォルネウスは一度カミラに視線を遣り、ふと薄く笑みを浮かばせた。
「(あの刻印は……そうか、ジェントの仕業だな……ならば、私がやることは一つ――!)」
フォルネウスが槍を高く掲げると、その真上には渦を巻く水の球が出現する。次いで命令でもするように槍を振るえば、水球はメルディーヌが先程立っていた場所へと叩き付けられた。
水風船を地面に勢い良く投げ付けたようなものだ、水球は爆ぜるように周囲に飛散しその場に張り巡らされていたメルディーヌの血を清浄な水で洗い流していく。完全な払拭とまではいかなかったが、血の拘束を解くには充分だったらしい、ウィルやリンファ、ちびにライオット、ノームなどの拘束されていた面々は身体の自由を取り戻してその場に立ち上がった。
その水飛沫はジュードにも当然掛かったが――フォルネウスの読み通り、拒絶反応を起こすことはなかった。
メルディーヌはやはり理解出来ないと言うような表情を浮かべながら、反射的に片手で己の顔半分を覆う。そしてそこに刻まれた傷を指先で辿ると、常の余裕を取り戻したように笑った。それは嘗て勇者に付けられた傷――メルディーヌが最も憎悪し、嬲り殺したいと思う存在である。どれほど取り乱しても、その傷に触れさえすれば落ち着きを取り戻すことは容易。憎悪で自分自身を落ち着かせているのだ。
「く、ふふ……おやおやおやぁ? これは一体どういうことです? 何が起きたのか説明してもらいたいですねえぇ……」
「正直あたしも説明がほしいところだわ、ルルーナ……分かる?」
「さ、さあ……とにかく、チャンスってことでしょ! 考えるのは後よ!」
マナは傍らのルルーナに助けを求めるように問いを向けたが、問われたルルーナもやはり分からない。
当然だ、通常頭の回転が速いウィルでさえ全く理解が出来ていなかった。
あの光は何なのか、何故突然ジュードが動けるようになったのか、メルディーヌが疑問を抱くのも無理はない。
「(フォルネウスの今の水球は魔法じゃないのか……? ジュードは……、……!)」
ウィルは槍を支えに心配そうにジュードに視線を向けたのだが、そこで彼は目を見開いた。
何故なら、ジュードのその双眸が水色に染まっていたからだ。それは、彼が精霊と交信した際に起こる現象。
だが、今のジュードはネレイナに掛けられた呪いの影響で交信能力を封じられている筈である。当然その疑問を抱いたのはウィルだけではない。
「マ、マスターどうやったに? なんで交信出来てるに?」
「え? オ、オレ交信なんてした覚えない……」
「……非常に不愉快ですねえぇ……いいでしょう、掛かってきなさい。精霊如きの力でワタシを倒せると思ったら大間違いです!」
メルディーヌは先端に王冠が付いたステッキを取り出すと、それを構える。
どうすれば倒せるのか――ジュードたちにはそれが分からないが、各々改めて武器を持ち身構えた。
『……ジュードの力はまだ目覚めていない訳じゃない、今は呪いによって制限されているだけだ』
「ジェント、さん……?」
『呪いの所為で内に秘められた力が表に出てこれないのなら――外側から抉じ開けてやればいい。大丈夫、すぐに分かるよ』
ジェントは、あの光をジュードに渡してほしいと言っていた。そしてその光はジュードの身に受け容れられた。
ならば、きっと何とかなる筈だ。カミラはそう自分に言い聞かせ、彼らと同じように愛用の得物を引き抜いた。