第三十八話・不死身の男
ライオットの言葉通り、メルディーヌと言う男は恐ろしい。フォルネウスの先制攻撃はほとんど効いていなかったのだ。
メルディーヌは確かに胸部を貫かれた筈だ、そして大量の血を噴出させた。だが、全く堪えたような様子はない。
通常、それだけの出血があれば時間の経過と共に立っていることさえままならなくなる。しかし、当のメルディーヌは愉快そうに笑い声を上げるばかりで、よろめくと言うことさえない。矢継ぎ早に繰り出されるフォルネウスの攻撃を避けることもせず、己の身から血が噴き出すことを愉しんでいるかのようにも見えた。
「何を嗤っている!」
「クフフフ、これは失敬。ですが楽しいのですから笑ってもよいでしょう? ね? ねえぇ?」
「――くッ!」
流れるようなシルヴァの剣撃を受けても、それは変わらない。流石に不気味に思ったか、はたまた神経を逆撫でされたのかシルヴァが怒声を張り上げると、メルディーヌは片手を口元に添えて笑ってみせながら、次いだ瞬間一気に距離を詰める。口付けでもしそうなほど一瞬で己の懐に飛び込んできたメルディーヌに、シルヴァは咄嗟に双眸を見開いた。
――早い、優れた騎士である彼女でもその動きを肉眼で捉えられなかったのだ。
メルディーヌは双眸を弓形に細めて笑い、低い位置から右手を突き出した。
「クフフフっ! ほらほら、いきますよ! ドルヒボーレン!」
「くぅッ……!」
突き出した右手はまるでドリルのようにシルヴァの右腕を抉った。危険を察知し、避けようとしたことが功を奏し切断されることはなかったが、ほんの僅かにでも彼女の反応が遅れていたらその片腕は肘部分から下を完全に持っていかれただろう。
だが、傷は決して浅くはない。仕返しとばかりに彼女の腕から血が噴き出るのを見て、メルディーヌは片足を軸に身を翻し――勢いを付けて踵でシルヴァの腹部に重い蹴りを叩き込んだ。ボギ、とインパクトの際に聞こえた音は彼女の肋骨が砕ける音。
「シルヴァさん!!」
枯れ木か何かのように吹き飛ばされた彼女にジュードとウィルは咄嗟に声を上げるが、次いだ瞬間――メルディーヌの胸部を再び槍が貫いた。背中側から突き刺されたその槍は、フォルネウスのものだ。一瞬の隙を突いての攻撃ではあったのだが、メルディーヌはその場に佇んだまま肩越しに振り返ると片手の人差し指を立てて「ちっちっ」とおどけるように舌を軽く打ち鳴らす。「甘い」とでも言うように。
続いてジュードが剣を、ウィルが槍をそれぞれメルディーヌの腹部へと突き刺した。だが、確かな手応えは感じるのに、堪えた様子は全く見受けられない。
どれだけ血を流しても愉快そうに笑う姿にいっそ恐ろしさを感じながら、最後にリンファが頭上から襲い掛かる。愛用の短剣を引き抜き、メルディーヌの頭部へと突き立てたのだ。脳は生き物の急所、此処さえ壊してしまえばその多くが生命活動を停止する。
カミラは蹴り飛ばされたシルヴァの元へ駆け寄り、彼女の治療をしながらその光景を固唾を呑んで見守った。脳をやってしまえば、幾ら魔族でも――と、思ったのだ。
「あ、へ……あひゃ、ひゃ……」
両目は白目を剥き、舌を出して笑う様は非常に不気味なものだ。やったのか、とジュードとウィルはゆっくりとメルディーヌの身から武器を抜き、リンファは恐る恐る後退した。感情の起伏が乏しいとは言え、流石の彼女も言い知れぬ恐怖を感じたのだろう。
だが、フォルネウスだけは突き刺した槍を引き抜くことなく「あひゃひゃ」と力なく笑い声を洩らすメルディーヌを睨み付けていた。
「――まだだ」
「え……ッ!?」
「あっははは! ――マハト・ヴェレ!」
次いだ瞬間、白目を剥いていた筈のメルディーヌが眠りから覚めるように双眸を見開くと同時にフォルネウスが短く告げる。しかし、追撃は間に合わなかった。
両手を高々と天に掲げたメルディーヌがそう声を上げると、彼の身を中心に強烈な衝撃波が発生したのだ。マハト・ヴェレ――それは力の波、衝撃破を発生させる無属性魔法の一つだ。
ウィルやリンファ、フォルネウスはまるで巨大な何かに殴り飛ばされるような衝撃を受けて吹き飛ばされた。ジュードは確かに吹き飛ばされはしたのだが、彼の身を襲うのは別のもの。顔面に岩か何かが激突したような痛みを覚えて倒れ込んだ。ちびは慌ててそんな彼の傍らに駆け寄る。
「う、ぐぐ……ッ、な、なんだ……!?」
思い切り強打した顔面を片手で摩りながら目を開けると、そこには巨大な岩の塊。不思議と重さは感じない。何事だと翡翠色の双眸を丸くさせてそれを見つめていると、軈てその岩がボロボロと崩れていく、まるで剥がれ落ちるかのように。
崩れた岩は空気に溶けて消えていき、その先から姿を現したのはノームだった。ジュードの腹の上に四つん這いの形で乗る様は、状況には不似合いながら可愛らしい。
「ノーム、今のはお前が……?」
「ノームは地の精霊ナマァ、マスターさんの身体を魔法から守ることくらいは出来るナマァ!」
「……ありがとう!」
余程の衝撃だったのだろう。辺りを見れば、ウィルもリンファも遥か後方まで吹き飛ばされている。フォルネウスだけは踏ん張りが利いたらしく、ジュードと変わらない距離で止まってはいたが。
ノームが守ってくれていなければ、今の一撃でジュードの身は常の如く魔法への拒絶反応を引き起こしていただろう。遅れて合流したライオットはちびの頭に改めて飛び乗り、しっかりとふわふわの毛に掴まった。
その刹那、後方からはマナとルルーナの援護射撃が飛んできた。
「へらへら笑ってないで燃えちゃいなさいよ! バニッシュボム!」
「やーねぇ、攻撃魔法って得意じゃないんだけど……グレイブフロンド!」
マナの放ったバニッシュボムはノーム戦にも使用された魔法だ、凝縮された魔力を爆弾のように爆発させるもの。敵が単体であればその効果は非常に大きい。メルディーヌの腹部に集束した火の魔力は、次いだ瞬間巨大な爆弾のように盛大に爆ぜた。
続いてルルーナが放った魔法は地属性の中級攻撃魔法の一つ、硬く大きな地の槍を対象の頭上に出現させ、一気に敵を突き刺す魔法だ。メルディーヌの身を目掛けて突き刺さった幾つもの地の槍は、まるで墓標のようにも見える。
これならどうか――マナとルルーナは互いに真剣な面持ちで様子を窺ったのだが、軈てこれまで同様に「うふふ」と不気味な笑い声が聞こえてくるとマナは恐怖に数歩後退し、ルルーナは忌々しそうに舌を打つ。――効いていない、ならばどう倒せと言うのか。そう言いたげに。
ウィルとリンファは再び戦線に復帰するが、満足なダメージにもなっていないと思われる様子に流石に打つ手を無くしていた。
フォルネウスは片膝をついていたそこから槍を支えに立ち上がると、こちらもやはり忌々しそうな表情を以てメルディーヌを睨み付ける。
ジュードもちびの助けを借りて立ち上がるが、そこでライオットがちびの頭を叩きながら声を上げた。
「……はっ! ま、まずいに! みんな離れるに!」
「……え?」
ライオットの声にメルディーヌは「ふひひ」と笑ったかと思えば、片膝をついてその場に屈み右手の平を大地に添えた。フォルネウスは切れ長の双眸を見開き、咄嗟に上空へと飛び上がる。
しかし、ジュードたちの方は間に合わなかった。
フォルネウスが上空に飛んだ一拍後、大地や雪の上に流れたメルディーヌの血が怪しく光ったのだ。
「クフフフ、もう遅いですよ――シュピネンゲヴェーベ! さあさあ、恐怖に染まりなさい!」
メルディーヌがそう声を上げた次の瞬間、流れ出た彼の血の上にいたジュードたちは上から何かに圧し掛かられたかのようにその場に倒れ伏した。立ち上がろうにも、指先一つ動かせないのだ。
フォルネウスは上空で舌を打つと、槍を固く握り締める。メルディーヌはそんな彼を見上げて拍手でもするように手の平を叩き合わせた。
「アナタは流石ですねぇ! いやあ、流石の反射神経です!」
ライオットはちびが倒れ込んだ際に地面に転がり、同様に動きを制限されながら苦しそうな声を洩らす。隣でポロポロと涙を流すノームを見遣り、それでも何とか口を開いた。
「シュ、シュピネンゲヴェーベは蜘蛛の巣って意味だに、メルディーヌの血の上にいると蜘蛛の巣に掴まった獲物みたいに身動きが取れなくなるんだにいいぃ……っ!」
「蜘蛛の巣……あ、あれは……」
その言葉にマナとルルーナは気付いた、メルディーヌの血の広がり方に。
彼は満足な反撃をすることなく先程まで様々に攻撃を受けてはいたが、それらは全て計算だったのだ。現在メルディーヌが立っている場所を中心に、その血痕は確かに蜘蛛の巣のように広がっていた。マナやルルーナ、カミラとシルヴァは後方にいたため捕まらずに済んだが、前線のメンバーは絶望的だ。フォルネウス以外は誰一人として動けずにいる。
カミラは治療の手を止め、慌てたように立ち上がった。このままでは最悪な結末になる、そう思ったのだ。
『……カミラ』
「は、はい!」
そこへ、傍らでずっと黙していたジェントから声が掛かった。弾かれたようにそちらを見遣ると、何処か疲れたような表情を浮かべる彼が片手を差し出している。カミラはその手と彼とを何度か交互に眺めた。
『これを、ジュードに……』
「え、え?」
カミラが恐る恐る両手を出すと、ジェントは握っていた拳を開き彼女の手に何かを落とした。
それは大層美しい輝きを持つ水色の光だった、物体ではない。大きさ的には米粒一つ程度のもの、非常に小さいものである。だが、その光を見下ろしてカミラは思わず身が震えるのを感じた。
「な……なんなんですか、これ……ッ! とても、とても大きい力を感じます……っ! こんなのをジュードに渡して大丈夫なんですか……!?」
『……大丈夫、それは悪いものでも恐ろしいものでもない。……彼なら上手く扱えるさ、俺よりもずっと優秀だから――さあ、早く!』
「は、はひっ!」
見ればメルディーヌは上空に逃れたフォルネウスの方を向いている、今なら投げればジュードの元へ届いてくれるかもしれない。
カミラはその光を大切そうに両手で包み込むと、張り巡らされた血に捕まらぬ限界まで近付こうと駆け出した。




