第三十五話・死霊使いメルディーヌ襲来!
旅支度を終えたジュードは、仲間が部屋から出てくるのを廊下で待っていた。
相変わらず彼の気分は晴れない、変なことを考えるなとウィルには言われたが、やはり想い人が魔族に連れ去られた事実は彼の心に深い影を落としている。ちびはそんな彼の傍らに座り込んだまま、頭に乗ったライオットやノームと共に心配そうに見つめていた。
「マスター、元気出すに……」
「あ、ああ、ごめん。……相変わらず、雪凄いな」
「にー……あとはシヴァがどこまで持ち堪えられるかだに、なんとかしたいけど……でも大精霊でどうにも出来ないものをライオットやノームがどうにかするのは無理だに……」
ジュードは窓から外の景色を眺め、今も延々と降り続ける雪を見つめていた。
シヴァは苦しくても、いつも自分達を助けに来てくれていたのだ。彼らの本当の目的がどのようなものであるのか、それは分からないままだが――それでも、現在シヴァは苦しんでいる。その事実にジュードは表情を顰めた。
大恩のある彼が苦しんでいても、自分は何も出来ないのかと思うと単純に情けなくなったのだ。
「ジュード、お待たせ!」
「……あ、ああ」
そこへ、支度を終えたマナ達がやってきた。
時刻はまだ朝の八時を回ったばかり。時間的には普段より早い方だが、昨日一日ジュードが動けなかったことで足止めを喰ってしまったこともある。出立は早ければ早いほど良い。
今日の内に何処まで行けるか、旅に必要な道具は買い揃えてあるか、などを話す仲間たちの声を聞きながら、ジュードはふと――近場から聞こえてきた会話に耳を傾ける。見れば、使用人と思われる女性数人が窓越しに空を眺めて不安そうな表情を浮かべていた。
「……? どうかしたんですか?」
「ああ、ジュード様。おはようございます。それが……なんだか今日はいつもよりも空が暗い気がするんです」
「普段はこの時間でも、もう少し明るい筈なんですが……」
「空が暗い……?」
彼女たちの言葉に倣い、ジュードは今一度外へと視線を投じる。そして空を見上げてはみたが、彼にはよく分からなかった。
ジュードには分からないことでも、毎日この空を眺めている彼女たちには些細なものであったとしても違いが分かるのだろう。ライオットやノームも同じように空を見てはいるが、やはり反応はジュードと同じだ。不思議そうに首――元い、身体を捻っている。
「ジュード、どうした?」
「ああ、ウィル。お姉さんたちが――」
身体を捻る精霊二匹に気付いたのだろう、ウィルが文字通り不思議そうな様子で声を掛けてきた。その後方では、シルヴァやマナも彼同様にどうしたのかと首を捻っている。
だが、説明すべく口を開いたその矢先――ジュードは自分の足元がひっくり返るような強烈な眩暈を感じた。
「……ッ!?」
「ジュード、おい!」
何かをした訳ではない、何か変わったことがあった訳でもない。不意に額の辺りを押さえてよろめいたジュードの身を咄嗟に支え、ウィルは困惑した様子で声を掛けた。
まだ調子が良くないのか、そう心配になったのだ。マナ達も何事かと慌ててジュードの元に駆け寄った。
だが、ジュード本人には分かる。――これは、調子が悪いとか、いつもの魔法に対する拒絶反応の類ではないと。
彼の頭の中には声が響いていた、苦痛を訴える幾つもの声が。
それは地の国で聞いたノームのものとも異なる。あの時はノームの声だけであったが、今回は一つや二つではない――何十、何百もの声だ。幾重にも重なり木霊するように頭の中に響き渡る声に、脳が壊れてしまうのではないかと錯覚を覚えてしまうほど。
「なんだ、これ……声、声が……聞こえる、色々な方向から……っ」
「こ、声? ノームの時みたいなやつ?」
「ち、がう……数え切れない、苦しい、痛い、熱い……身体が、溶けるって……」
「身体が溶ける、だと……? なんと奇怪な……どういう意味だ?」
シルヴァは、ジュードが告げた言葉に文字通り怪訝そうな表情を浮かべた。
この水の国は現在雪に覆われた寒い国だ、そんな場所の一体何処に身体が溶けるような要素があると言うのか。――尤も、彼女の故郷である火の国とてそのような現象は起きないが。
だが、いずれにしても理解し難い言葉であることは事実。
しかし、その一方でジュードの頭に響く声は減ることを知らず――寧ろ増えていく一方であった。
苦痛を訴え、助けを求め、そして悲鳴を上げる。それら一つ一つが消えることなく、仲間が増えるかのように次々多くなっていくばかり。
そしてその刹那、それまで心配そうにジュードの傍らで狼狽していたちびが、何かに怯えたように身を引き攣らせて毛を逆立てたのだ。
「ウ、ウウゥッ! ガウウゥ!」
「ちび、どうした!? ……外に、何かいるのか……?」
ジュードの身を支えながらウィルはちびの様子を見守るが、その瞳が明らかな敵意と恐怖を宿して外を見つめているのに気付き、彼も窓の方へと視線を投じた。
すると、程なくして城下街の方から耳を劈くような悲鳴が聞こえてきたのだ。
「……!? なによあれ、ちょっと! 見て!」
「雪に混ざって……雨です、黒い雨が……」
窓枠に片手を添え身を乗り出すルルーナの傍らからはリンファが同様に外を覗き、彼女の声に続いて不可思議なそれを目に留めた。
真っ白な粉雪に混ざり、天からは確かに黒色の雨粒が降り注いできたのだ。最初は数滴、だが徐々に勢いを増し、その雨粒は叩き付けるほどのものへと変わっていく。
それを見てライオットとノームは揃って身を強張らせると、小さなその身を恐怖に震わせた。
「ま、まさか……! み、みんな、窓の近くは危険だに、城の中に避難するに! あの雨に当たったら大変だに!」
「な、なに? どうしたの?」
「これはトール・レーゲン……触れたものを溶かし、腐敗させていく死の雨だに! マスターが聞いてるのはこの雨で身を溶かされた人たちの……!」
「生き物の身を腐らせ、苦痛や恐怖で負の感情を呼び起こして魔物に生まれ変わらせていく死の魔法ナマァ……!」
ライオットとノームの説明に、マナは背筋が凍るような錯覚を覚えた。
つまり、現在城下街では多くの住民たちがその身を溶かされているという訳だ。そして、この黒い雨粒を受ければ当然マナ達も例外ではない。
そこで彼女は初めて『死』と言うものを身近に感じた。
これまでにも直面したことはある、だが今までは『死』を深く感じ取ったことはない。大体が感じるだけの暇も余裕もなかったからだ。
だが、今は違う。この雨に触れれば身を溶かされて死ぬ――それはまるで、死神が後ろからゆっくりと迫ってきているような感覚だった。じわりじわりと恐怖を与えながら命を刈り取ろうと。
マナは蒼褪めながら、ジュードの身を支えるウィルの衣服を震える手で掴む。言葉など出なかった。
ウィルはそんな彼女に気付くと、見るからに顔色の悪い様子に心配そうに表情を曇らせる。そしてライオットにその視線を戻した。
「そいつが、この王都に来てるのか?」
「き、きっとそうだに……嘗て勇者を誰よりも苦しめた恐ろしい男――死霊使い……メルディーヌだに!」
* * *
「……ああぁ、ふふ……人間の悲鳴と言うのはいつ聴いてもイイですねぇ、ついつい聴き入ってしまいますよ」
ライオットの言葉通り、その男――メルディーヌは王都の上空にいた。
粉雪と死の雨が降り注ぐ中、上空にふわふわと浮かびながら地上を見つめている。その表情は何処か恍惚としていた。
地上では多くの人間たちが死の雨により肉体を溶かされ、苦痛に喘いでいる。じゅううぅ、と音を立てて身が溶けていく様と燃えるような灼熱感に発狂し、雪の上を転げ回る者も多い。恐怖に泣き叫ぶ者も少なくはなかった。
そして彼らの身からは黒い靄のようなものが次々に溢れ出し、都を覆っていく。それを見てメルディーヌは嬉しそうに表情を輝かせた。片手を額の辺りに翳し、はしゃぐような声を上げて上空でぴょんぴょんと飛び跳ねる様は幼い子供のようだ。
「おや? おやおやおや、負の感情が肉眼で確認出来るということは――ぐふふ、どうやらもう限界のようですねぇ、大精霊どの?」
次にメルディーヌが視線を投げ掛けた先、それは自分の真下。
そこには、彼とは対照的に何処までも苦しそうな表情を浮かべる――シヴァがいた。剣を大地に突き立てることで辛うじて身を支え、忌々しそうにメルディーヌを睨み上げている。肩を上下させて荒い呼吸を繰り返す様は言われずとも限界であることを物語っていた。
「流石に精霊の身を腐敗させることは出来ませんが……ぐふふぅ、既に負の感情を抑え込むことも出来ないほど弱ってしまったのなら、あとは狂うか化けるか消えるか? う~ん、どれでしょうねえぇ、楽しみですよぉ!」
「う、ぐ……が、ああああぁッ!!」
「うふふ、苦しい? 苦しいでしょ? アハハ、アナタの力で制御するよりも早いペースでどーんどん負の感情が広まってってるんですからねぇ! 興味あるなぁ、どんな感じなんです? 自分の内側から刃物でズタズタにされる感じですかぁ?」
人々から上がる靄が増える度、シヴァの身にはまるでひび割れるような激痛が走る。メルディーヌはそれを見る度、至極嬉しそうにはしゃいだ。
そして王都全体を覆い尽さんばかりの黒い靄を呼び寄せ、己の頭上に集束させていく。それはこの都だけのものではない、この国に蔓延する全ての負の感情だ。
「さ~て、これでジ・エンドです。今のアナタではこの巨大な負を受け止めるのは無理でしょう、守護するこの国と共に消え去りなさい!」
メルディーヌは高々と片手を掲げると、上空に蓄積した黒の塊を地上のシヴァへ向けて解き放った。