第二話・新しい住処
馬車は王都ガルディオンの南側出入り口から入り、北側区画へと進んだ。
武器や防具類の店は東側区画に数多く建ち並んでいるが、北側区画に住居を用意させたのは女王の気遣いによるものである。北側区画には一般の住居が多く、店屋らしきものはあまり存在していない。
ここならば、作業をするにも気が散らないだろうとの配慮だ。幸いなことに、住宅も隣の屋敷以外は比較的離れている。これなら武具製作の騒音被害も一般の民家にはほとんどないだろう。
ジュードは馬車を降りると、眼前にそびえる大きな屋敷に思わずぽかんと口を半開きにしたまま佇む。メンフィスは手綱を握りながら、そんなジュードに一声向けた。
「この屋敷は自由に使っていい、空いとるワシの屋敷だよ。なにかあればいつでも言いなさい、ワシは隣の屋敷におるからの」
「で、でも、いいんですか? こんなデカい屋敷……」
「陛下はそれほどまでにお前さんたちに期待しているんだよ。無論、このワシもな」
田舎暮らし山暮らしのジュードたちにとっては、想像したこともないほどの大きく広い屋敷である。彼らが暮らすこじんまりとした自宅の何個分であろうか。五つ分はあるかもしれない。
この辺り一帯にあるいくつかの屋敷の中でも、隣のメンフィス邸とこの屋敷は特に大きいようだ。面食らうジュードやマナ、ウィルに対しメンフィスは高らかに笑い声を上げてそう告げた。
「……精一杯、努力します」
それに対し、ジュードは一言だけを返した。――否、一言だけしか返せなかったのである。
前線基地の話を聞く限りでは、戦況は考えていたより遥かに深刻だとは理解できた。しかし、自分たちに向く責任の重さはあまり想像はできなかった。実感できなかったと言うべきか。
だが、こうして自分たちのために用意された待遇から、その期待の大きさが容易に想像できてしまったのだ。改めてしっかりと、ジュードは自分自身に言い聞かせるように一度大きく深呼吸をして目の前の屋敷を見上げる。
メンフィスはそんなジュードの姿に目を細めて笑い、隣にある屋敷へゆっくりと馬車を走らせていった。
マナは鉄でできた両開きの門にそっと手を触れさせて、静かに押し開く。自宅と異なり、軋むような古びた音はしなかった。
門を開くと石造りの道が屋敷の出入り口まで連なっている。両脇には広い庭があり、色とりどりの花が挨拶でもするかのように頭をもたげていた。
ジュードの後ろを歩いていたカミラが「わあ」と呑気に声を洩らし、嬉々として花壇の前に屈む。それを見てジュードも足を止めると彼女の隣へ並んだ。
火の国エンプレスは南方に位置しているため、一年を通して他の国より暖かい。真夏は時に死者が出るほどの熱帯地方になるが、比較的作物や植物が育ちやすいのである。
「カミラさん、花は好き?」
「うん!」
そんな呑気な会話を繰り広げていると、それまでジュードの隣を歩いていたルルーナがやはり不愉快そうに目を細めてそちらに歩み寄る。あ、とウィルが慌ててジュードに声をかけようとはするのだが、それは間に合わなかった。
カミラの隣に立ち花壇を見下ろすジュードの横へルルーナが並び、かかとの高い黒のヒールで思い切りジュードの足を踏んづけたのである。これはつねられるより遥かに痛い、効く。
案の定ジュードは、あまりの痛みに言葉にならない悲痛な声を洩らして飛び上がった。あちゃ、とウィルは片手で己の目元を覆い、マナはやはり不愉快そうに表情を歪ませる。
カミラはその場に屈んで痛みをこらえるジュードの頭を、よしよしと幼子でも慰めるように撫でつけていた。
両開きの玄関戸を押し開くと、まず真っ先に吹き抜けの天井が視界に飛び込んでくる。
奥には更に扉が見えるが、広間を通り抜けた先にあるために距離は遠い。そこに行き着くまでに二階に続く階段が両脇に伸びており、二階の廊下も道はいくつかに分かれているようであった。問答無用に広い屋敷だ。
床には赤い絨毯が敷いてあり、絨毯の敷かれていない床さえも大理石で造られていた。
「……本当にいいのかしら、こんな立派なお屋敷を使わせてもらっても……」
マナは屋敷内部の広さに対し、困惑気味に片手を頬に添えて小首を傾けた。田舎暮らし山暮らしであったジュードやマナ、ウィルには生涯縁のなさそうな屋敷だったからである。妙なほどに気後れしてしまっていた。
そんなマナにルルーナは双眸を細めて挑発的に笑うと、両手を腰に添えて上体を軽く前に倒す。マナの顔を下から覗き込むように。
「田舎者ですものねぇ、マナは。私の家はこんな小さな屋敷じゃないわ、もっと広いわよ」
「田舎者で悪かったわね! そんな自慢聞いちゃいないわよ!」
「嫌ねぇ、貧乏人は心が貧しくて」
またしても一触即発な雰囲気にウィルは咳払いをひとつ洩らすと、取り敢えずと広間を見回してから面々を振り返る。仲間を纏めるのは、年長者であるウィルの役目なのだ。
――年長者と言ってもわずかしか違わず、更に言うのならルルーナはウィルと同い年なのだが。
とにかく自分が纏めなければならないとウィルは思っていた。なぜってそうしなければ一向に先に進めないからだ。これほどまでに広い屋敷、部屋の場所を覚えるだけでも大変そうだというのに。
「取り敢えず、まずは手分けして中を見てみよう。各自、自分の気に入った部屋を自室にしようか」
これだけの広い屋敷ならば、一人一人自室を持つことも可能だろう。ジュードはウィルの言葉に頷くと、改めて広い屋敷内を見渡す。中を見てみるにしても、まずはどこから見て回ればいいのかさえわからないほどだ。
だが、そこにまたしてもルルーナが動く。ジュードの背中に身を寄せると、前へ両手を回してしっかりと背中に抱きついた。
「ねぇ、ジュード。私、あなたと同じ部屋がいいわ」
「え……」
「ダメ?」
しっかりとした密着具合に加え、紡がれた言葉はジュードの嫌な予感を煽る。頬を冷たい汗が辿ったのと同時、案の定マナが互いを引き剥がしに来たのである。
その顔が多少なりとも赤いことが、彼女の男性経験の乏しさを表していた。
「なに言ってるのよ! 少しは恥ってモンを持ちなさいよね!」
「だぁって、私はマナみたいなちんちくりんと違って、見られて困るカラダはしてないもの」
「ちんちく……ッ、あんたはただ乳がデカいだけじゃないの!」
「小さいより大きい方がいいじゃない、ねぇジュード? 私、ジュードにならいくらでも見せてあげるわよ」
「なんて話をしてるんだよ!!」
自分の背中側でまたしても言い合いを始めてしまったマナとルルーナに、どうしたものかと一度こそジュードも頭を抱えはしたのだが、彼女たちの会話内容に流石の彼も思わず声を上げた。
それには流石のマナとルルーナも目を丸くさせる。ジュードは半ば強引に二人から離れてしまうと、苦笑いを浮かべながら手招くウィルの元へ足を進めた。
「(いつから女の人は奥ゆかしさや慎ましさを失っちゃったんだよ、ったく……ん?)」
ジュードにとって、女性というのは特別な存在である。母親というものを知らない彼にとって女性は大切にしなければならないもので、神聖視してしまう存在とも言えた。
だからこそ、そんな特別な存在が恥も外聞もない会話を繰り広げている様は目にあまったのである。
しかし、ジュードがウィルの後ろに続いて階段に向かおうとした時だった。
ぺた。
視界の片隅に映ったカミラが、両手で自分の胸に触れている。程なくして彼女の蒼い頭がしゅん、と落ち込むように垂れるのを見て、ジュードは胸を――心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。
「(……いや、人によるのか。カミラさんみたいな人もいるしなぁ……)」
自分の好みに、カミラはこれでもかと言うくらいに当て嵌っているのだと改めて思う。
ジュードは活発な女性よりは、守ってあげたくなる女性の方が好みである。奥ゆかしさを持った女性というか、とにもかくにも男の目の前でいかがわしい話をする女性よりは、マナの言うように多少でも恥じらいを持つ女性の方が好ましく感じられた。
カミラはただ単純に、ルルーナとの比較をして頭を垂れていたようではあるが。
カミラは、胸と足をそれぞれ触って項垂れていた。
ルルーナは全体的に女性らしい――出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる魅力的なプロポーションの持ち主だが、特に胸の大きさやラインはピカイチである。
逆にルルーナにちんちくりんと言われるマナは、確かに胸は小さいが、彼女は大層綺麗な足を持っている。そのためか、基本的に短いスカートや短パンの着用が多いのだ。
反してカミラはよく食べる。マナやルルーナのような体型は持っていないのかもしれない。だが、二人と比較して人知れず落ち込む様はジュードの胸をくすぐるのだ。
* * *
屋敷の中を一通り見て回り、自分たちの部屋を決めたジュードたちは先ほどの広間へと戻ってきていた。まずはなにから着手すべきか、それを決めなければならない。
「……食材かな、まずは」
「そうよね、仕事も大切だけど……ご飯食べれなきゃ困るわ」
「エンプレス地方は暑いから食材の保存は結構難しい、あまり買い溜めしないようにな」
ウィルの言葉にジュードは一度頷くと、窓越しに外の景色を眺める。まだ外は明るい、買い出しに行くには充分である。ウィルの言うように火の国は全体的に暖かい、そのため食材は種類によってはすぐにダメになってしまうのだ。
野菜や果物であれば数日保つものは多いが、肉などの生モノは即日調理しなければ危ない。魚を始めとする魚介類、海の幸は火の国ではあまり食べられてはおらず、生モノといえば大体が肉類であった。
「じゃあ、買い出しに行こうか」
仕事で来た、と言ってもまだ十代の若者たちばかり。
ジュードの提案に、普段は風の国からあまり出ることのなかったマナが嬉々として頷いた。
「……ウィルもマナも、ちゃんと着替えてきてるんだな」
「当たり前じゃない、着古した仕事着で失礼があったら困るもの」
至極当然のように頷くマナは、黒のチューブトップと下は太股を露出した白のショートパンツ。上から赤のケープ型マントを羽織る形だ。
ウィルは普段、仕事で国外に出る時の服装である。肩を露出するオリーブ色のタートルネックに、下は黒の長いズボン、腰に白の上着を巻いているが動き難くなるということで袖を通すことはあまりない。
マナもウィルも、風の国ミストラルにある家で作業することが多いために普段は仕事着と部屋着は分けていなかったが、こうして外に出るとなると違うらしい。ただガルディオンに来るのを楽しみにしていたようにも見えるが。
まあいいか、とジュードはすぐに思考を切り替えると踵を返して屋敷の出入り口へと足を向ける。カミラはその後を追った。
「ジュード、わたしも行く」
「うん。この前は店とか見る時間なかったからね、すぐに腐らないものなら好きなの買っていいよ」
隣に並ぶカミラを横目に見遣りジュードとカミラが屋敷を出ようとすると、後方から声がかかる。
「もうっ、待ってよジュード! マナと一緒なんて絶対にゴメンだわ!」
「それはこっちの台詞よ!」
「ああもう、少しは仲良くしてくれよ……」
ルルーナ、マナ、ウィルの声だ。どうやらみんな一緒に買い出しに行くらしい。
ジュードとカミラは一度後方を振り返ると、彼らの姿を確認してから互いに顔を見合わせ、そして笑った。
火の国の王都ガルディオンでの、新しい生活の始まりである。
裏で魔族が動き出している――その事実をジュードたちはまだ知らなかった。