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蒼竜世界の勇者 -鍛冶屋が勇者になる物語-  作者: mao
第六章~出逢いと別れ編~
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第三十四話・変貌

次回からジュードたちの方に戻ります。


「フォルネウスさん、シヴァさんのところに戻ってください!」

「……」


 カミラは、ジェントの言葉を代弁し彼へとそう告げていた。

 ちらりと頻りに隣の――傍目には何もない場所を見遣ってから口を開く彼女は非常に怪しい。だが、こうでもしないと彼の言葉を伝えられないのも事実なのだから、仕方のないことであった。

 フォルネウスは地面に腰を落ち着かせ、胡坐を搔きながらそんなカミラを静かに見上げる。――オリヴィアは何処までも胡散臭そうな顔をしていたが。


『地の王都で会った時に分かった、水の国はもうシヴァ一人の力では支えきれない。あいつはもう限界だ』

「シヴァさんお一人じゃ水の国を支えきれないそうです、もう限界――って、ええぇ!? げ、限界ってシヴァさんがですか!?」

『君も見ただろう、国中を覆い尽すほどの大雪を。これまで保たれていた均衡が崩れ、天候を制御することも出来なくなっている。今はまだ雪だけだが、このままいけば軈て国全体が凍り付いてしまう。気温が極限まで下がり、生き物が住めない環境になるんだ』

「そ、そんな……」


 そのような状況になってしまえば、文字通り水の国は終わりだ。

 今ここにいるオリヴィアは、最愛の家族と生まれ育った故郷を失ってしまう。カミラはそこまで考えると両手で拳を作り、声を上げた。


「フォルネウスさん、お願いします! このままだとオリヴィアさんの故郷だって大変なことに……!」


 最初こそ水の国に訪れた際に色々なことはあったが、国王リーブルを始めアクアリーの者達は決して悪人ではない。平和を愛し、争いを嫌うために時に過激派になってしまうだけだ。

 そして彼女の脳裏に浮かぶのは、やはり野宿をしたあの晩のこと。

 人間が魔族になれるのか――そう問うた際に言葉を濁した、シヴァの言い澱んだ姿だ。

 例え人間ではなくとも、シヴァは兄としてフォルネウスを愛しているのだろう。そこには「人間」や「精霊」などと言った違いはない、在るのは純粋な愛情だけだ。

 だが、カミラの嘆願に応えたのはフォルネウスではなく、彼の隣に座していたオリヴィアだった。


「別に、お父様や民がどうなろうとわたくしの知ったことではありませんわ」


 その言葉に、カミラは一瞬何を言われたのか理解が出来なかった。

 オリヴィアは水の国の王女で、国王リーブルの一人娘だ。その彼女が、父や国の民がどうなっても良いと言ったのである。


「な……なんてことを……どうしてですか……!?」

「フォルネウス様がいてくださればそれで満足ですもの、わたくしにはもうお父様も民も必要ありませんわ」


 至極当たり前のことのように告げるオリヴィアに、悲しめば良いのか怒れば良いのか――カミラには分からなかった。

 否、恐らく燃え盛るほどの怒りを覚えていたのだ。だが、ここで感情のまま声を荒げたところでどうにもならない、そう思うことで必死に感情をコントロールしようとしていた。

 そして傍らのジェントに何気なく視線を投げた時、彼女のその激情は瞬く間に飛散する。

 彼が、ジェントが――恐ろしいと思ったからだ。

 表面上は普段とほとんど変わりはない。だが、言葉を発することなく黙り込む無表情の面からは、確かな怒りの気配を感じる。彼には肉体などないと言うのに、背筋が凍り付きそうなほどの空気が醸し出されていた。そしてそれは、間違いなくオリヴィアへと向けられている。

 カミラは一度視線を下げて俯くと、脇に下ろした手で改めて拳を作り口を開く。


「……いなくなってからじゃ……遅いんですよ……」

「……?」

「自分にとっての大事な人が、今日も明日も……そこにいてくれる確証なんて、ないんです。明日その人がいなくなるって分かってても……そんなこと、言えますか……」


 絞り出すように紡がれたカミラの言葉に続いて、彼女の足元には一つ――ぽたりと雫が落ちた。

 彼女には暖かい家族の愛情など与えられなかった。愛した王子は、彼女にとっての当たり前の日常から突如として奪われてしまった。

 カミラが流した涙にフォルネウスは一度こそ切れ長の双眸を軽く見開くものの、暫しの空白の末にふと――薄く口元に笑みを滲ませる。まるで思い出し笑いでもするように。


「……ジェントがそう言ってるのか?」

「はっ! ち、違います、ごめんなさい!」

「……分かっている」


 彼の言葉にカミラは反射的に顔を上げると、涙が滲んだ目元を慌てて片腕で拭う。そんな彼女の姿を見てフォルネウスは静かに立ち上がり、無言で踵を返した。

 その様子に慌てたのはオリヴィアの方だ、一体どうしたのか、何処へ行こうと言うのか、と。


「フォルネウス様!? 一体どちらへ……まさか……!」


 フォルネウスは一度足を止めると、そちらを振り返ることはしないまま静かに口を開く。背中を向けているために表情こそ窺えないが、それはこれまでとは異なり――非常に優しい声色だった。


「……随分と昔、ただ存在していただけの我々に人の感情を教えた大馬鹿者がいたことを思い出した。兄上に限界が来ている――そう聞いてこれほどまでに苦しいのは……その大馬鹿者の所為だ」

「……フォルネウスさん!」


 その言葉にカミラは瑠璃色の双眸を丸くさせて暫し瞬いていたが、軈て先程までの涙も忘れたようにその表情を綻ばせた。それはもう、花でもまき散らしそうなほどに。

 きっとジュードたちも喜んでくれる。だが何より喜んでくれるのは――恐らくシヴァだ。イスキアはフォルネウスを恨んでいるようであったが、彼も時間の経過と共に受け入れてくれる筈だろう。

 だが、オリヴィアは納得いかないとばかりに勢い良く立ち上がると、改めて声を張り上げた。


「お待ちください、わたくしは戻りませんわ! わたくしはフォルネウス様のために全てを捨てましたのよ、この女を使ってジュード様をおびき寄せるべきですわ!」

「――私はジェントと敵対することは出来ない、我ながら勝手なことだがな」

「な……っ、その方とわたくし、どちらが大切なんですの!? わたくしはこんなにもフォルネウス様のことを――!」


 オリヴィアがそこまで捲し立てるように言葉を紡いだ時、不意に彼女の肩が大きく跳ねた。それと共に苦し気に呻き声を洩らすと、片手で胸の辺りを押さえてその場に蹲る。

 カミラは慌てて彼女の傍らに駆け寄ろうとしたのだが、その刹那――不意に、カミラは胸部に激痛を覚えた。


『……! カミラ、離れろ!』

「な……なに……?」


 ジェントの声が聞こえはするが、彼女の頭は現状を全く呑み込めずにいた。

 目の前には確かにオリヴィアがいる、依然として苦しそうに呻きながら。

 しかし、彼女の右手は肩部分から下が――まるで熊のような異形へと変貌していたのだ。その右腕は黒い(もや)のようなものに包まれている。

 カミラが激痛を覚えたのは、彼女のその右腕が胸部を掠ったからだ。熊のような鋭利な爪が生えたその腕は、カミラの胸元をやや深めに抉っていた。

 フォルネウスは身体ごとそちらに向き直り、怪訝そうな視線をオリヴィアへと向ける。


「う、うぅ……許さ、なイ……ユルサナイ、ワタクシを……もてアソンデ……っ!」

「まさか、人間が魔物になると言うのか……このような現象、今までにはなかったぞ……!」

「こ、これも負の感情の所為なんですか!?」

『……だろうな、強過ぎる嫉妬と怒り、払拭し切れない孤独感……そんなところだろう。この国には元々強い負の感情が渦巻いていた、これまでシヴァが蔓延を抑え込んできたが、まさかここまで……』

「そ、そんな……」


 片言のように言葉を絞り出し、オリヴィアは可愛らしかったその身を醜悪な獣へと変貌させていく。身に纏っていたドレスは張り裂け、天使の輪が出来るほどの美しい髪は留め具が砕け散り、長い髪が宙を舞う。だが、それはすぐに(たてがみ)のように広がった。可愛らしい顔はまるでオーガのようなものへと変わり果ててしまったのだ。

 カミラはあまりの変貌ぶりに言葉を失い、痛みさえ忘れたように両手で己の口元を覆った。

 ジェントは変貌したオリヴィアを歯噛みしながら眺めていたが、次いだ瞬間――弾かれたように洞穴の出入り口へと視線を投じる。


『……!? この(おぞ)ましい気配……死霊使い(ネクロマンサー)、あいつの仕業か!』

「ね、ねく、ろまん?」

『カミラ、フォルネウスと共に王都に戻れ! あの男が来たのならこの国が危ない、沈められるぞ!』


 ――国が沈められる。

 それがどういうことであるのか、彼女の頭では具体的な想像など出来なかったが言われるままカミラは何度も頷いた。



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