第三十二話・怒りと嫉妬
目を覚ました時のジュードの荒れっぷりはウィルの想像していた以上であった。
オリヴィアの裏切り、そして目的。更には想いを寄せるカミラが魔族に誘拐された事実。
恐らくジュードにとってオリヴィアに襲われたことは怒りを覚えるようなものではない、カミラが連れ去られたことが許せないのだ。自分が迂闊に出歩かなければ――そう思っているのだろう。
「……落ち着いたか?」
そのジュードが随分と落ち着いた頃にウィルはそっと彼に声を掛けた。当の本人は上がった息を整えるべく、忙しなく肩を上下させている。つい今の今まで感情のままに怒声を張り上げていた所為だ。
ジュードは寝台に腰を落としたまま、暫し項垂れるように頭を垂れ黙り込んでいたが、軈て言葉もなく小さく頷く。そして「ごめん」とか細い声が返るとウィルは痛ましそうに双眸を細めた。
「……謝んなよ、まさかお姫さんが裏切るなんて思ってなかっただろ? 俺だってそうさ。だから、お前の所為じゃねーの」
「それもそうだけど、ウィルに当たった」
「そっちかよ、別にいいって。当たられたなんて思ってねーし」
自分が出歩いた所為でこんなことになった、カミラを探しに行く、邪魔しないでくれ――などなど、感情が昂ったジュードに確かに先程までウィルは怒鳴られていた。
だが、自分が惚れ込んでいる相手が魔族に連れて行かれたら――ウィルとて穏やかではいられない。もしもマナが魔族に連れて行かれたら、自分もジュードのように平静を失うだろう。そこまで考えられるからこそ、ウィルにはジュードを責め立てる理由がなかった。
ジュードの隣に腰を落ち着かせると、垂れたままの彼の頭を普段からそうしているように撫でつける。恐らく部屋の外ではマナやリンファ辺りが心配して耳を欹てている筈だ、ジュードの性格からして女性に泣き言など聞かれたくはないだろう。そう思って距離を詰めたのだ。
「俺たちだって同じだよ、久々に暖かい場所で寝れるってことで完全に油断してた。お姫さんの変わりようには驚いたけど、エイルの奴があんだけ変わったんだからお姫さんにも何かしら心境の変化があったんだろ、くらいにしか思わなかったし」
「……うん」
「だから、お前の所為じゃねーの。お前がそうやって自分のこと責めてばっかいたら、カミラが一番悲しむんだぜ」
起きたばかりの頃よりは随分と落ち着いたようだ、今度は怒りよりも自己嫌悪の方が強く出てきたのだろう。その表情は依然として曇っている。
自分の所為でリンファが怪我をした――恐らく、彼の罪悪感の大半はそれだ。尤も、リンファはジュードのような特異体質を持っている訳ではない、その傷は昨晩の内にエイルの治癒魔法によって治療された。現在では傷痕すら残っていない。
また彼が何事か言い出す前に、と。ウィルは努めて明るい声色で口を開いた。
「とにかく、だ。ライオットとノームの話から察するに、俺たちがこの国にいても異常気象に対して出来ることは何もない。だから冷たいようだけど、俺たちは本来の目的に戻るべきだってのがシルヴァさんの考えだよ。……カミラが何処に連れて行かれたかも分からないしな」
「……本来の目的って、書状を届けることか?」
「そう。あとはミストラルだけだ」
「大丈夫かな、この国……」
「分かんねーけど、フォルネウスが戻らない限りはどうとも出来ないってことだからなぁ……」
そこまで呟いて、ウィルは横目でジュードを見遣る。軽く眉根を寄せ、そして彼が口を開く寸前で片手の人差し指を立てて、それをジュードの口唇前に添えた。
「――ストップ」
「な、なんだよ」
「自分と引き換えにフォルネウスにこの国に戻ってもらって、尚且つカミラも返してもらおうって考えてるだろ」
その言葉に目を丸くさせたのは無論ジュードだ。
だが、その風貌はすぐに不服そうなものへと変わる。そして抗議でもするように小さく呟いた。
「……ウィルって人の心が読めるのか」
「バーカ、何年の付き合いだと思ってんだ。お前の考えてることなんて丸分かりだよ。……変なこと考えんな、お前と引き換えに助かってもカミラは苦しいだけだ」
幾ら長い付き合いだと言っても、マナはこのようにジュードの言わんとすることを予測などしてこない。
これは頭の回転が速いウィルだからこそ出来ることだ。更に言うのなら、それだけ彼はジュードをよく見ているということだろう。ウィルは恐らく、今のメンバーの誰よりもジュードの性格を理解している。
その言葉に依然としてジュードは複雑な表情を浮かべてはいたが、ややあってから静かに頷いた。
* * *
「――フォルネウス様っ、どういうことなんですの!?」
一方で、カミラを拉致したフォルネウスは水の国の西方に位置する氷山にいた。――正確には、氷山にある洞穴の中だが。
その中では納得出来ないとばかりにオリヴィアが声を張り上げて、フォルネウスを責め立てている。
当のフォルネウス本人は常の無表情のまま、何事か思案するようにぼんやりと中空を眺めているが。
「なぜあの女を連れてきたのです!? なぜ、ジュード様をあのまま放置してきたのですか!?」
「……」
「フォルネウス様のお傍にはわたくしがいますっ! 他の女など不要ではありませんか!」
「――黙っていろ」
次々に捲し立てるオリヴィアに対し、フォルネウスは表情一つ変えることなくそう告げた。
その冷たい物言いにオリヴィアは信じられないとでも言うような表情で呆然と――否、愕然とした様子で彼を見つめる。
自分の孤独を癒してくれた優しい男性――オリヴィアにとってフォルネウスはそのような存在だ。そんな彼から「黙っていろ」などと言われて、彼女が落ち着いていられる筈もない。
「そ、んな……フォルネウス様、なぜ……っ」
しかし、フォルネウスは彼女の洩らした疑問に言葉を返すことはしない。
彼は別にオリヴィアを煩わしく思った訳ではない、単純に気配を探るように意識を集中させていただけだ。そんな矢先に傍らで騒がれれば、誰でも黙ることを要求するだろう。
だが、オリヴィアはそこまで深く読み取ることが出来なかったのである。鞄に入れたナイフを手に持つと、洞穴の奥へと足を向けた。
その先には小さな空間がある。部屋と呼ぶには相応しくないが、布を敷き簡素な寝床にするには充分なほどの広さの空間が。そして今、そこにはカミラがいる。
「(あの女がいなくなれば、フォルネウス様の隣はわたくしだけのもの……あの女はいつもいつも、わたくしの邪魔ばかり!)」
思えば、カミラはいつもジュードの傍にいた。オリヴィアが嘗て想いを寄せていた時も。
そして今回また、今度はフォルネウスを自分から盗ろうと言うのか――そう考えると、込み上げる怒りと嫉妬心で気が狂いそうであった。
コツコツ、とヒールの音を響かせながら行き着いた先、そこには拉致した時と変わらずカミラがいる。カミラはオリヴィアの姿を確認するなり、座り込んでいた地面から立ち上がった。
「あ、オリヴィアさん……あの」
「お前が……ッ」
「……え?」
「お前さえ、いなければああぁッ!」
カミラには分からないことばかりであった。だが、それをオリヴィアに問うよりも先に、彼女が手に持っていたナイフを振り被ったのだ。
可愛らしい筈のオリヴィアの相貌は今や怒りに染まりきっており、これまで魔族と戦うことも多かったカミラでさえその迫力に圧倒される。
今まさに自分に迫り来る刃を避けるだけの余裕は、カミラにはなかった。