第二十六話・同盟
「王様、お久しぶりです。受け入れて頂きありがとうございます」
「ジュード君、久しいな。あれから君たちがどうしているか随分心配していたのだよ、元気そうで何よりだ。大変な道中をよく来てくれたね、ゆっくりと寛いでほしい」
「は、はい、でも……」
謁見の間に通されたジュード達は、玉座に座して待っていた国王リーブルに頭を下げていた。リーブルはと言えばまるで子供のように表情を笑みに破顔させながら顔を上げるようにと促しつつ、嬉々に輝く双眸で彼らを見渡した。
彼にとってジュードはもちろんのことだが、昔から知っている隣国の貴族ルルーナや、嘗ては愛娘オリヴィアの護衛をしていたリンファなど特に気に掛ける存在は多い。
しかし、ここまでの旅の疲れは確かにあるのだが、ジュード達は決してゆっくりしてはいられないのだ。彼らにはまだやるべきことも、行かなければならない場所もある。地の国グランヴェルとの協力関係を結ぶことは叶わなかったため、今は少しでも早く他の国へ同盟の話を持って行かなくてはならない。この水の国と協力関係を結べた次は、現在地から遥か南西に位置する風の国ミストラルだ。
ジュードは下げた頭を上げつつ、国王の手に渡った書状へとそっと視線を投げ掛けた。どのような返事が返るのか、その反応が気になるのは仲間もやはり同じらしい。静かに頭を上げると固唾を呑んでリーブルの返答を待った。特にシルヴァは女王から与えられた任務と言うこともあり、余計に緊張しているように見える。
水の国は火の国に対して並々ならぬ敵対心を持っていることもまた、その不安を煽る要素の一つだろう。
「ふむ……エンプレスと協力し、魔族を撃退する、か……」
「――お初にお目にかかります、陛下。私はエンプレスの騎士シルヴァと申します。アメリア様は各国との協力を心より望んでおられます、過去に我が国が貴国に対し酷な徴兵をしたことは当然理解していますが……しかし」
「今はそのようなことでいがみ合っている場合ではない――そうだな?」
「は……」
シルヴァの言葉の先を察したようにリーブルは静かにそう呟くと、一度目を伏せて低く唸る。
水の国は無暗な争いを好まない温和な性格の者がほとんどだ、それはこの国王リーブルとて例外ではない。身を護るために武器を持つことはあっても、進んで争いに関わりたがるようなことはない。
この協力要請に賛同するということは、自国の民を争いに駆り出すことになる。嘗て火の国の争いに巻き込まれただけでも民の不満は大きく、憎悪さえ持つ者も多かったと言うのに、同盟関係を結び魔族と戦うことになればどのようなことになるか――それを考えているのだ。
しかし、今回の相手は魔物ではない。嘗て世界を恐怖に陥れた魔族だ。知らぬ顔をし、万が一火の国が負けるようなことがあれば魔族は瞬く間にこの世界を支配し始めるだろう。そうなれば、争いが嫌だなどと言っている場合ではないのもまた事実。
そこまで考えて、リーブルは静かに双眸を開くと重い口を開いた。
「……分かった、我が国は貴国との同盟を結ぼう。微力ながら協力するとアメリア様に伝えてほしい」
「――! よ、よろしいのですか!?」
「うむ、これは国一つの問題ではない、恐らくは世界規模での問題だ。ただ……同盟は結ぶが、今すぐ協力するのは難しい。少し時間を与えてはもらえんだろうか?」
「時間……ですか?」
地の国グランヴェルとの同盟が上手くいかなかったからこそ、このリーブルの返答はシルヴァにとって何より嬉しいものであった。自国の者だけで戦うにはやはり限界がある。しかし、他国の者と協力することが出来れば、兵力の増強だけでなく役割分担も様々に可能になるのだ。
だが、続いた言葉にシルヴァは疑問符を滲ませると、次の言葉を待った。
「うむ、王一人が賛同したからと民がそれに納得して付いてきてくれるとは思わぬ。特に我が国の民は貴国に対し強い憎悪と敵対心を持っているからね。……少々時間は掛かると思うが、私が皆を説得しよう。アメリア様にその旨も伝えてほしい、貴国が本格的に戦闘を行うまでには馳せ参じる、と」
「陛下……」
「魔族がこの世に広まりを見せれば、国同士でいがみ合っている場合ではないことは当然理解しているつもりだよ。……元々我がアクアリーとエンプレスは友好国だったのだ、これを機に再び分かり合っていけたらとも思う」
リーブルのその言葉に、シルヴァは思わず表情を和らげた。
彼の言葉通り、嘗て火の国エンプレスと水の国アクアリーは確かな友好国であった。魔物の狂暴化さえなければ、今もまだ変わらずに在っただろう。
だが、これを機に本当にそのような結果になってくれれば――言葉には出さずとも、シルヴァはそう願いながら一度双眸を伏せて片手を己の胸の辺りに添えた。
* * *
「シルヴァさん、嬉しそうですね」
「グランヴェルがああだったからなぁ、そりゃシルヴァさんだって嬉しいさ。やっと一つ良い返事をもらえたんだから」
「ふふ、そうだな、それもある。だが、リーブル様は非常に器の大きい王だと思ってな」
謁見の間を後にしたジュード達は、シルヴァを先頭に城の中を歩いていた。嘗てのように、王が休む部屋を用意してくれたため、各々休息を取るべく部屋へと向かっているのだ。――尤も、その王本人は忙しいらしく、謁見が終わるなり奥の自室へと籠ってしまったが。
この異常気象だ、一国の王として何かとやらなければならないこと、目を通さねばならない書類などが多いのだろう。そんな中で謁見のために時間を割いてくれたのだから、頭が下がる。異常気象について色々と話を聞きたい部分もあったのだが「また明日に」と言われてしまえばそれ以上の言葉を掛けることは憚られた。
自分達の王を褒められたことがやはり嬉しいのか、部屋までの案内を買って出てくれたエイルが何処か誇らしげに胸を張った。
「あったりまえだろ、陛下は本当に本当にお優しいお方なんだ!」
「……なんでお前が誇らしげなんだよ」
「変な子供だに」
そんなエイルの様子に、ウィルは何処となく呆れたように双眸を半眼に細めて呟く程度にツッコミを洩らし、並んで歩くジュードとカミラは一度互いに顔を見合わせて笑った。ジュードの肩に乗るライオットは首――元い身体を傾け、不思議そうに疑問符を滲ませる。
だが、シルヴァは優しくふわりと笑うと特に否定を向けることなく肯定を返してみせた。
「そうだな、お優しく……そして立派な王だと思うよ」
「えっ……」
「我が国はこの国の民を無理矢理に徴用したことがある。王ともなれば特にその怒りが強いだろう、どれほどの叱責を受けるかと覚悟はしていたのだが……まさか、あのような対応をして頂けるとは……」
シルヴァの返答にエイルは拍子抜けしたように、そして何処か呆気に取られたように双眸を丸くさせながら数度瞬きを繰り返す。彼の中にはこれまで、火の国の民の勝手な人物像が存在していたのである。
火の国の者は傲慢で強引で、野蛮な生き物だと。そんな火の国の騎士であるシルヴァもまた傲慢であり、自分達にとっては決して好ましくない存在だろうと認識していたのだ。その彼女の口から自国の王への純粋な称賛が出たとあれば、言葉を失うのも必至と言える。
「まっ、まあ……陛下の偉大さが分かったなら、それでいいけどね……」
それは傍目から見ればなんとも微笑ましい光景だ。あれほどまでに火の国の民を毛嫌いしていたエイルが、シルヴァ相手に調子を崩され年相応の少年のようにもじもじとしている様子は見ていて幾分気分が良い。――少なくとも、自分はエリートだと豪語していた頃よりは。
だがその時、ふと行き着いた部屋からオリヴィアが出てきた。それにいち早く気付いたルルーナは「げ」と小さく声を洩らすと共に端正なその顔を不快そうに歪める。
「あら、みなさま。お久しぶりでございます」
「え、あ、オ……オリヴィアさん、お久しぶり、です……」
オリヴィアはジュード達の姿を認めると、にっこりと柔らかく微笑み片手を胸元に添えてから静かに頭を下げた。その姿は、やはり以前とは異なり何処までも淑やかなものである。
そんな彼女の姿を見て、当然ジュード達が驚かない筈はない。――尤も、彼女の以前を知らないシルヴァや、普段から見ているだろうエイルだけは別であったが。
「オ、オリヴィア……? あんた、一体どうしたの……?」
「てっきりまたジュードに飛び掛かると思ったのに……」
「あら……なんのことですの? わたくしがそのようにはしたない真似をする筈がありませんわ。どうぞみなさま、長旅でお疲れでしょう? ごゆっくりお休みくださいませね」
疑問を持ったのはルルーナだけではなく、彼女の隣にいたマナも同じだったらしい。恐る恐ると言った様子で問いかけたルルーナに続く形でマナが呟くと、当のオリヴィア本人はと言うと双眸を笑みに細めながら可愛らしく小首を傾けてみせた。
嘗てのように可愛らしい顔を怒りに染めて反論してくる、などと言うようなこともない。リンファはオリヴィアのあまりの変わりように怪訝そうな表情を滲ませて、その姿を凝視するしか出来なかった。彼女が護衛を務めていた頃とは全く異なる、一体オリヴィアに何があったのか――純粋に心配になったのだ。
自分達の脇をすり抜けて立ち去っていくオリヴィアの背を見つめて、リンファは表情を曇らせて口唇を噛み締めた。