第二十四話・エイルとリンファ
王都シトゥルスへ向かう道中、見えるものは右や左に広がる真っ白な大雪原のみ。村や集落などがあったのだろうが、この延々と降り積もる雪によって埋まってしまったのだろう。住人が無事に避難出来たかどうかは定かではないが、今は気にしていても仕方のないことだ。
王都への道を慎重に進みながら、エイルは傍らを歩くリンファをそっと視線のみで見遣った。寒さの所為か、はたまた別の理由があってか、その頬にはほんのりと赤みが差している。そして一度その視線を外し、あちこちに巡らせてから静かに口を開いた。
「……お、お前、リンファなんだよな?」
「え? はい、そうですが」
「……」
「……エイル様、如何なされましたか?」
リンファはジュード達と行動を共にするようになるまでは、水の国の王女オリヴィアの護衛をしていた身だ、当然水の国の兵士であるエイルとも面識がある。当時はこのように気軽に言葉を交わすような仲ではなかったが。
エイルは眉を寄せてまじまじとリンファの顔から足元までを視線で辿ると、何処か面白くなさそうな、不貞腐れた様子でその顔を背けた。
「……ふん、なんだよ。……前は僕が声掛けたって、そんな顔しなかったくせに……」
「……え?」
「なっ、なんでもないんだからな!」
今のリンファはと言えば、確かに無表情ではあるのだが以前に比べれば幾分自然だ。嘗ては何処までも感情がなく、まるで人形のようなものであった。
これまでにもエイルは何度かリンファに声を掛けたことはあったのだが、間違っても今のような――自然な彼女の姿を見ることは叶わなかったのである。
しかし、ジュード達と共に旅をしたことで彼女自身に何かしらの変化があった。そう考えると、何となく面白くなかったのだ。それは一種の嫉妬と言える。自分では崩せなかったリンファの心の壁をジュード達は崩し、歩み寄れたのだから。
「……エイル様、申し訳ありません。私は何かしてしまったでしょうか?」
だが、当然リンファがそんな複雑なエイルの心情に気付くことはない。不思議そうに、それでいて何処か心配そうにエイルを見遣りながら、幾分か潜めた声量で問いを投げ掛けた。
そんな彼女にエイルはと言えば顔ごと視線を背けたまま、静かに「なんでもない」とだけ返す。否――それしか返す余裕がなかったのである。
なぜなら――――
「(あの頃はいつも無表情で気付かなかったけど……)」
特に答えらしい答えが返らないと判断したのか、リンファはそれ以上の追及をすることなく進行方向へ視線を戻してしまうと、先程までと変わらず黙々と歩き始める。そんな彼女の様子を気配で確認するなり、エイルはそっと――改めて横目にリンファの様子を窺った。
赤み掛かった紫の瞳は何処か神秘的で、その双眸を縁取る黒い睫毛は長い。やや伏目がちになる度に、ミステリアスな雰囲気さえ醸し出す。肌の色は白く、一見血色が悪いようにも見えるほど。
艶やかな長い黒髪は当時と異なり背中に流す形で三つ編みに結われており、これまでとは異なる落ち着いた雰囲気や印象をエイルに与えてくる。オリヴィアの護衛として彼女の後ろに控えていた頃はそう目立つものではなかったが、こうして見てみるとリンファは大層な美少女だ。美しく着飾れば多くの男が振り返って見るだろう。
そんな彼女を横目に盗み見ながら、エイルは固唾を呑んだ。
「(こ……こいつ、こんなに可愛かったっけ……!?)」
幾ら兵士とは言え、エイルも年頃の少年だ。異性への興味は充分に備えている。そんな中で、平均以上に可愛らしい少女が隣にいる現実。関心を寄せるなと言うのが無理な話だ。
早鐘を鳴らす己の胸を片手で押さえながら、エイルは王都を目指して一歩一歩と足を前に進ませた。通常馬を走らせて向かう距離を、徒歩で向かっているのだ。時間はまだまだ掛かる、今日中に次の休憩小屋に辿り着く必要もあった。今は少しの時間も無駄にする訳にはいかないのである。
エイル自身、考えなければならないことはある。この国は本当に助かるのか、このまま降り続ける雪に全て埋まってしまうのではないか――考えないようにしても、彼の頭にはそればかりが浮かんでは消えていく。
「(ジュード達がいてくれる、陛下とも話して……それで、きっと何とかしてくれるよね……)」
そう思いながらエイルは一度肩越しに後方を振り返った。
彼らが一体どのようなことに巻き込まれているのか、それはエイルには分からない。だが、以前から何かあれば助けてくれたジュードがいてくれると言うことは、彼にとっては何より心強いことであった。
きっと何とかなる――自分にそう言い聞かせながら、エイルは再び前へ前へと足を進めて行った。