第二十三話・夢の中の自分
ジュード、と。そう自分を呼ぶ耳慣れた声にジュードは目を覚ました。
耳に心地好い幾分低いテノールはウィルの声だ、彼が自分を呼んでいる――ジュードの頭がそれを理解するのに時間など必要ではない。半ば反射的に伏せていた双眸を開いた。
『……あれ?』
だが、彼が目を覚ました場所は見知らぬ場所であった。
否――この雰囲気や状況、ジュードには既に覚えがある。自分は確かに水の国の王都シトゥルスへ向かう道中の小屋で休んだはず、ならば当然目を覚ますのは小屋の中でなければならない。
しかし、現在彼が座っている場所は何処かの砦のような場所であった。――これは夢だ、ジュードは瞬時にそう悟った。これまでにも何度かこのような状況に陥ったことがあるからである。
ジュードは静かに辺りを見回すと、確かに己を呼んでいたであろうウィルの姿を求めて立ち上がった。これが夢なのだとしても、とにかくこのまま大人しくしている訳にもいかない。ただの夢であれば問題はないが、これも精霊達がジュードに何かを知らせるために見せている予知夢なのだとしたら今後何が起きようとしているのか、それを確認しなければならないのだ。
『……ウィル? いるのか?』
現在のいる場所が何処なのかは分からないが、どうやら石造りの砦のようだ。周囲を埋め尽くすひんやりとした石の冷たい感触があまりにも生々しく肌に感じられ、これが本当に夢であるのか疑念さえ湧いてくる。ジュードは片手を傍らの壁に添え、ゆっくりと耳を澄ませながら慎重に足を進めた。
やがて長い廊下を抜けた先、広い空間に行き着いた。その空間の一角、そこにようやく探していたウィルの姿を捉えてジュードの表情にも安堵が滲む。ウィル――と、そう声を掛けようとして、そこでジュードは一度足を止めた。
なぜなら、ウィルが見つめる視線の先に『自分』が居たからだ。
夢とはひどく曖昧なものである。時には自分が夢の中にいたり、またある時にはこうして外側から自分を見つめている夢もあるのだ。これは後者の夢なのだろうと、ジュードはそうぼんやりと思いはしたのだが彼は確かな違和感を感じていた。
『(……なんだ、胸の辺りがざわざわする……)』
言い知れぬ嫌な予感。
なぜこんなにも胸がざわつくのか、ジュード自身にもその理由は分からない。ただ、ウィルを止めなければ――その感覚と焦りが今の彼を支配していた。警鐘を鳴らすように心臓の鼓動は大きくなり、その心音が嫌でも感じられる。
だが、早く、早く――そう焦るジュードを嘲笑うかのように、彼の目の前で『それ』は起きた。
ウィルの正面に居た『自分』が、闇色の刃を持つ剣で彼の――ウィルの胸を突き刺し、貫いたのだ。
不意を突かれたためか何の抵抗も出来ずに崩れゆくウィルの身を見つめて、ジュードは瞬きさえ忘れ呆然とした。否――頭が状況を理解出来なかったのだ。
なぜ自分が、どうしてウィルを。なんで、どうして。
そんな疑問が次々にジュードの頭に浮かび、波のように寄せては引いていく。だが、どれだけ考えてみても目の前で起きたことは事実であった。これが例え夢であっても『自分』が確かにウィルを刺したのだ。
そして、当の『自分』はと言うと――
『……!?』
闇色の剣を持つ『自分』は、ジュードを真っ直ぐに見据えてきた。
だが、そこでジュードはふと違和感を覚える。
夢の中の『自分』にはジュードが見えているのだ。これが外側から見ている夢であるのなら、それには少々違和感がある。そして何より引っ掛かったのは、ジュードの目に映る自分自身の姿。
その彼は確かにジュードに酷似した顔をしているのだが、瞳の色は刀身と同じく闇色をしており、表情もウィルを突き刺した後だと言うのに何処までも愉悦に満ちていたのだ。歪んだ快楽でも楽しんでいるような――そんな様子であった。
『……仲良しごっこはもう終わりだ』
『お前、一体……』
『分からないのか? オレはお前だよ、お前に置き去りにされた――お前自身だ』
目の前の男は、確かにそう答えた。口元に薄い笑みを滲ませながら。無論、ジュードがその言葉を理解することは出来なかったが。
自分だと言うのなら、なぜ目の前にいるのか。置き去りにされたとは、一体どういう意味なのか。
だが、その夢も突如として終わりを迎える。――なぜって、不意に何処からか仲間の声が聞こえてきたからだ。
* * *
「……ジュード、ジュードってば! もう、早く起きなさい!」
「う……あれ、マナ……?」
「はあぁ……ジュードってほんと寝起き悪いわよね、早いとこ王都まで行きたいんだから支度して」
「あ、ああ、うん。悪い」
ジュードが目を開けると、そこには腰に両手を当ててやや怒り顔のマナがいた。どうやら先程の声は、彼女がジュードの覚醒を促して掛けていたものだったらしい。
横たえていた身を起こし、ジュードは身に走る鈍痛に思わず表情を歪ませる。幾ら小屋とは言え、この休憩小屋は非常に簡素なもので満足な寝床さえない。それ故に板張りの固い床で寝るしかなく、多少なりとも身を痛めてしまったのだろう。
しかし、それでも外で眠って凍死するよりは遥かにマシである。何をするにも命あっての物種だ。
「よお、やっと起きたかこの寝坊助」
「……ウィル」
仲間たちも起きてまだ間もないのだろう、皆それぞれ得物の手入れや持ち物のチェックなどを行っている。外は昨日に引き続き雪が降っている筈、出発前の除雪は男の仕事だ。女性に力仕事を任せるのは極力避けたいことである。シルヴァのような騎士であれば良いのかもしれないが、それでも男よりは体力面で劣る。力仕事となると、やはり男の出番なのだ。
だが、ウィルはふと――もの言いたげな様子で自分を見てくるジュードに気付くと不思議そうに首を捻る。
「……? どうした、どっか具合悪いのか?」
「い、いや、そういう訳じゃないんだけど……ウィルの方こそ、具合とか大丈夫なのか?」
「ああ、俺の方は特になんともないかな。流石に寒かったけどよ」
それは当然である、幾ら小屋の中で火を焚いているとは言え、隙間風がこれでもかと言うほどに吹き込んでくるのだ。眠っていて寒くない筈がない。それでも風邪を引いただの体調を崩す者がいなかったのは幸いと言える。
しかし、なぜ突然そんなことを聞いてきたのか――ウィルは怪訝そうな面持ちで改めてジュードを見遣った。だが、ジュード自身はそれ以上何かを言う気はないようだ。小さく頭を左右に振り、何処か安堵したようにそっと一息洩らす程度に留めた。
彼の頭には、今もまだ先程の夢が鮮明に残っている。あれがただの夢であってくれるようにと――そう願いながら、込み上げる不安を押し殺すように固く拳を握り締めた。
ジュードにとってウィルは実の兄のようなものだ、そんな彼が死んでしまう現実など起きて良い筈がないのだから。